イジメの防止に不可欠な「復讐」











もっと「いじめへの復讐は悪ではない。むしろ正義の執行の可能性も有る。」を宣伝すべきですな・・・

『報復されないから体罰が起きる?』復讐するは我にあり

名門の大阪市立高校における体罰によるバスケット部主将の自殺問題に関して、元巨人軍投手で大阪出身の桑田真澄が、体罰は『指導者の力量不足が原因している』、『彼我の力関係が一方的である』『体罰をしても報復されないからだ』との3点を強調。
監督コーチの力量不足が体罰の原因であることは野村克也など多数の指導者も指摘しているが、桑田真澄が主張する『報復されないからだ』は誰も主張していない。
唯一桑田真澄だけですね。他と意見が違うのは。
年長の野村克也とは違い、若い桑田真澄は時間が経過していない分、自分の少年時代の体罰を正確に覚えているのですしょう。
高校1年で常勝PL学園でエースになるくらいの素晴らしい素質があった桑田選手でも、少年時代は毎日体罰を受けていたのですね。
少年たちにとって大人の監督コーチの力は絶対であり、選手には抗う力が少しも無いのですよ。
だからいくら禁止しても体罰が横行する。

『選手に体罰があり、責任が重い指導者に体罰がない』

体罰問題に対して『指導者の力不足』や『彼我の力関係が一方的である』は他と同じ一般的な考えで正しくはあるが枝葉末節、些細な話である。
間違いではないが、体罰の本質からは遠い。
勝利至上主義で、選手は些細なミスでも厳しい体罰がある。
ところが勝利至上主義の自己矛盾としてもっと問題な、重大な指導や采配でのミスでは当該責任者に対して体罰が一切無い。
体罰肯定論の石原慎太郎などがいうように体罰が本当に勝利に有効であるなら、ミスをした選手への体罰よりも、ミスをした監督コーチに対して体罰が行われて当然である。
ところが、『下』の弱い立場の者に対してだけ体罰があり、責任が重い『上』の強い者(指導者)に対しては一切体罰が行われない。
桑田真澄の他とは全く違うユニークな、『采配ミスで試合に負けても監督コーチが体罰を受ける事はない。体罰の横行は、仕返しが無いからだ』(安全だからだ)は実に的確で核心部分である。
いくら体罰をしても『相手から報復されない』。
教育現場での体罰やイジメやシゴキなど関連するだけではなく、他のすべての暴力問題での一番大事な本質を突いた素晴らしい指摘である。

『しごきで人が死ぬ日本の後進性』

『指導力不足』や『力関係が一方的(アンバランス)』の条件下、『報復されない』から体罰は発生する。
体罰と瓜二つで良く似たものに日本独自の教育方針である『しごき』がある。
『シゴキ』を売り物にして客を集めて何人も殺した私設少年院である戸塚ヨットスクールは論外であるが、昔昔の敗戦前は私的制裁で有名な旧日本軍のしごきの話は有名すぎるぐらい有名だった。
敗戦後の民主化で体罰やシゴキは劇的に減少したが一部には残り、何十年か昔はしごきで死んだといえば大学山岳部の話だった。(他のスポーツ部とは逆に、旧制大学山岳部ではしごきは無かった)
最近では時津風部屋リンチ殺人事件のような相撲部屋でのシゴキが問題となっている。
これらの死亡例の共通点は、
(1)死ぬのが一番弱い新人であること。
(2)組織の拘束時間が24時間であること。
(3)組織が『美しい伝統』とか『輝かしい歴史』とか、やたらと『歴史』や『伝統』を強調するところ。
などの同じような傾向があるようです。
(1)は、先輩(コーチ)の力量不足を如実に物語っている。
(2)は、やはり逃げ場が無かったことが最悪の結果を招いている。
(3)は、そもそも、その組織が主張している美しい伝統や輝かしい歴史に、根本的に問題がある可能性が在る。
絆(共同体)文化の日本社会の持つ、近代以前の後進性こそが『しごき』が未だに一部で根強く残っている原因なのでしょう。

最近、本田靖春のルポを幾つか拾い読みする機会がありました。
その中に70年代、中東でプラント建設に携わっていた日本企業の社員についてのエピソードがありましてね。
イラン・イラクに赴任して現地人を指揮しプラントを建設する人たち。中でも現場で仕切る土木・建設の監督は、いわゆる職人、技能者です。
こういう職人・技能者たちは現地人に言葉で諄々と作業の手際を説いたり注意するより先に、まず手が飛ぶ。自身も現場でそう「躾けられて」きたのでしょう。
早い話が体罰です。日本でそうしてきたように、序列が下の作業者に体罰を用いた。
しかし、彼らはじきに体罰を止めることになる。
なぜか。
現地人たちは体罰に対して、暴力で反撃してきたからです。現場で監督役の日本人の職人にはたかれたら、高額な重機を故意に河に転落させてお陀仏にする。解雇しようとすれば集団で猛抗議する。
同じく日本人の職人に殴られたら、反撃して腕をへし折ってしまう。倍の暴力でもって返礼してくる。
日本企業は予想だにしなかった現地人作業者からの反撃に震え上がって、現場での体罰を固く禁止したそうです。
体罰が体罰として機能するのは、序列が上位者と下位者の間で共有され、特に下位者に服従の意思があるときに限られるということですね。


「天皇」って「いじめの王」が支配して「謝罪」もしない。


それが諸悪の根源です。


「天皇」の根絶やしだけが、日本人を救います。

「天皇」を根絶して 日本人を救う

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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