ウクライナの動向から見る、ネオナチの動き。
より
上記文抜粋
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ウクライナ体制からネオ・ナチ以外が離脱、ナチズムの国になりつつある
ウクライナ軍の兵士が戦線から離脱、その理由をインターネット上で説明している(ココやココやココやココ)。戒厳令や戦闘の最中、命令に従わなかった兵士を司令官が射殺しても構わないとする法案がウクライナ議会に提出され、後に取り下げられたようだが、こうした法案が出てくるのは兵士の造反が無視できなくなっているからだろう。ウクライナはネオ・ナチの影響下にある国ではなく、ナチズムに支配された国になりつつある。
マリウポリのアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)はウォロディミル・ゼレンスキー政権から「玉砕」を命令されていたようだが、大多数の兵士が投降、人質になっていた住民が解放された。その住民はネオ・ナチ軍の実態をカメラの前で証言、西側の有力メディアが展開していた「報道」が嘘だということが明確になっている。
そうした住民が証言する様子を撮影した映像を西側の有力メディアは避けていたが、ドイツの有力な雑誌「シュピーゲル」はマリウポリのアゾフスタル製鉄所から脱出した住民のひとり、ナタリア・ウスマノバの証言を3分間の映像付きで5月2日に伝えた。ところがすぐに削除する。ショルツ内閣や米英の政権にとって都合の悪い事実が語られていたからだ。(インタビューのロイター版と削除部分の映像:ココ)
その前から、脱出した市民がマリウポリにおけるアゾフ大隊の残虐行為を証言、映像をツイッターに載せていた人もいた。その人のアカウントをツイッターは削除したが、一部の映像はインターネット上に残っている。
その後も脱出した市民の声が伝えられている。現地で取材していいる記者がいるからで、ドイツ人ジャーナリストのアリナ・リップ、フランス人ジャーナリストのアン-ローレ・ボンネル、カナダ人ジャーナリストのエバ・バートレットが有名だが、フランスの有力メディアTF1やRFIのスタッフ、またロシアやイタリア人の記者もいたという。こうした人びとによって事実が伝えられ始めるにつれ、情報統制が強化されている。
兵士の離脱が続いている一因は、現在のキエフ体制が国民に支持されていないということもある。ゼレンスキー大統領は選挙で圧勝したが、それには理由がある。
例えば「コメディアン」として彼の良いイメージを国民に植え付けていたほか、キャンペーン期間中、腐敗の根絶、進歩、文明化、そしてドンバスとの和平実現といった公約が受け入れられたということもあった。ネオ・ナチ、つまり西側の政策に従わないと宣伝していたのだ。国民はネオ・ナチ体制にうんざりしていたのである。
しかし、大統領に就任してからゼレンスキーはネオ・ナチに従う。今年に入ってからドンバスへの本格的な攻撃を計画していた可能性が高いことは本ブログでも指摘してきた。
ロシア軍の攻撃が始まった後、ウクライナ政府にも話し合いで解決しようとする人がいた。そのひとりがボロディミル・ストルクだが、3月1日に誘拐され、拷問された上で射殺されている。3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺され、3月7日にはゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見された。ウクライナ全体では11名の市長が行方不明だとも言われている。
4月7日にフィリップ・ブリードラブ元NATO欧州連合軍最高司令官(SACEUR)は核戦争への恐怖がプーチンに対する適切な対応を西側はとれないのだと発言したという。ロシアとの核戦争を恐れるなということだ。その2日後にイギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフを訪問したが、それを境にしてロシア政府とウクライナ政府の停戦交渉は止まったようだ。
4月21日にミコライフ州のビタリー・キム知事は「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語っている。処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともしていた。それだけ民心がゼレンスキー政権から離れている。キムにとって「裏切り者」とはゼレンスキーの政策に同意しない人びとであり、それはアメリカやイギリスの政府の政策でもある。
現在のキエフ体制は2014年2月にバラク・オバマ政権がネオ・ナチを利用してビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒して始まった。ヤヌコビッチの支持基盤である東部や南部の住民はクーデター体制を拒否、東部にあるドンバス(ドネツクとルガンスク)でクーデター軍と反クーデター軍との戦闘が続いている。
クーデター後、ウクライナではネオ・ナチが幅を利かせ、ベルクト(警官隊)の隊員は命を狙われていた。軍や(ウクライナ保安庁)の隊員、特にベテランの中にはクーデター政権に従うことを拒否した人が少なくなかったようで、ドンバスの反クーデター軍へ合流した人もいると言われている。
SBUは早い段階で粛清が進み、今ではCIAの下部組織になったが、軍にはネオ・ナチ体制に従えない兵士もいるようだ。そして現在のような状況になっている。親衛隊の人質になっていた住民も兵士がネオ・ナチに殺されていたと話している。
下準備は別として、クーデターは2013年11月に始まった。その中心になったのはドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーらによって組織された「右派セクター」。その直前まで「三叉戟」と呼ばれていた団体がベースになっている。
クーデター直後の2014年3月、ヤロシュは声明を発表し、その中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団への支援を表明した。ヤロシュが率いる右派セクターは2014年5月2日、オデッサで反クーデター派の市民を虐殺している。5月5日に内務省の親衛隊で中核になる「アゾフ大隊」が組織されるが、中心になるのは右派セクターだ。
5月9日にキエフ体制はドネツクのマリウポリへ戦車部隊を突入させ、住民を虐殺。そうした軍事的な圧力の中、5月11日にドンバスでも自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が実施され、ドネツクでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)している。この結果を受け、ドンバスの住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は助けなかった。マリウポリは戦略上重要な場所で、アゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)の拠点になる。6月2日にはデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りしたが、その日にクーデター政権はルガンスクの住宅街を空爆している。
ヤロシュはドロボビチ教育大学の学生だった時、ワシル・イワニシン教授から学んでいる。この教授はステパン・バンデラ派のOUN-B人脈が組織したKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに属していた。
イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。その当時、アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。
その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。この段階でネオ・ナチはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団と連携していたと言えるだろう。そして昨年11月、ヤロシュはウクライナ軍参謀長の顧問に就任した。
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抜粋終わり
ウクライナ同様に、日本を「ナチス天皇国」に戻そうと、天皇とその臣僚が画策しているよね。
より
上記文抜粋
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81年目の6月22日 & 無自覚ナチは健在
昨日6月22日は、ロシアにとっての悲しみと記憶の日。
もちろん、1941年6月22日、ドイツ軍の大兵力がソ連に襲い掛かった日のこと。
例年通り、プーチンは大祖国戦争で倒れた人々を記念した無名戦士の墓に詣でて頭を下げた。
Wreath-laying at Tomb of the Unknown Soldier
今年は、若いモノがウクライナに出張って頑張ってるわけで、5月9日の勝利の日もそうだったけど、年取った人たち何を思っているのだろうなぁと興味を持つ。またこんな時代なのか、の人もいれば、決着付けるしかないな、の人もいるんだろうなと思う。
去年までと違うのは狭義ロシアだけでなく、ウクライナの各地でもこういう日を記念することができるようになった。これはヘルソン。
ルガンスク
で、現実問題としては、今年は、結局のところこの81年前の出来事を繰り返さず、それが故に、大きく局面を変えた年として記憶されることになるんだろうな、などと私は思う。
今年の2月24日の出来事を受けて3月に私はこんなことを書いた。
スローモーションのバルバロッサが失敗したわけだが
3か月以上経って、今も正しかったと思ってる。そして、時間の経過とともに冷静に考える機会が増え、いろいろ思うに、結局のところこれは81年目の決着だったとも言えるのかもしれないと思うようになった。
冷戦期以降の西側というのは、結局のところナチ2.0だった。一貫して、西側なる集団は反ロシアのブロックであることを止めていなかった。反ソだと思ってた人が多いだろうけど、そうじゃない、と気づいた人がごく少数だがいたらしい。どこかで読んだところによれば、政治学者のモーゲンソーには、冷戦期の書物の中で、反ソビエトだとみんな思ってるけど、ソ連だろうが帝政だろうが関係なく、ロシアは敵視されるだろうという一文があるらしい。
そして多分それはもう1つひねりがあって、多分、これによって1914年以降の西側主導体制が崩壊しつつある、って感じなんだろうなとも思う。
3月のコモディティーに裏打ちされたルーブルの出現に続き、BRICSがバスケット式で準備通貨を作ろうとしていることなどは、大きな出来事でしょう。
BRICS basket-based international reserve currency under consideration — Putin
そんな中、他方で、ドイツの首相は、6月22日、ドイツの議会で、
Olaf Scholz: NATO partners can 'rely on Germany'
安全保障は国が国民に負っている最も基本的な約束だ
ドイツ軍を強化して、我が国のみならず、我が同盟を攻撃から守れるようにする
もちろんウクライナへの武器支援をする、他のNATO諸国と同様だ
パートナーたちはドイツを頼りにしていいぞ
ロシアとのパートナーシップなど見える将来には考えられない、プーチンが攻撃的でロシアが帝国主義だからだ、
と演説していた。
Olaf Scholz: NATO partners can 'rely on Germany'
2月に、このショルツが、ドンバスで起こってることは「ジェノサイド」なんかじゃない、大げさだといって、プーチンを笑いものにしたことは、ロシア国民が今般の戦いに際しての決意を固めるにあたって重要な要素の1つだったと思うのだが、一連のドイツの様子を見て、ロシア人集団はさらに、脱ナチ化の重要性を認識することとなったことでしょう。
2月に、ショルツがへらへら馬鹿な発言をして回っている時、こりゃもう、「聖戦」の最初の3音が鳴っておるなと思ったものだった。
cf;The Sacred War
Гимн защиты Отечества
この曲は、1941年6月24日、ドイツ軍の攻撃直後に詩人が書いて、それに名高い作曲家のアレクサンドロフさんが曲を付けて、早くも6月26日にモスクワのターミナル駅の1つベラルースキー駅で演奏されたというもの。つまり、前線に行く出征兵士の前で演奏されたってことでしょうね。
しかし、圧倒されるような悲劇性を予感させる曲なので、しばらく放置され、しかししかし、ドイツ軍の巨大な侵攻作戦によって追い込まれて、これはもう長期戦覚悟の巨大な戦いだというのが人々に認識されはじめた1941年10月頃に、クレムリンからのチャイムの後にラジオで流される仕様となり、以降ずっと流れていたらしい。
そういう経緯だからなのか、現在でも、この曲が演奏されると皆さん起立してる。他のどの曲でもない、これなんだなぁと思って見てた。
ちなみに、現在の5月9日の勝利の日のパレードはこの曲から始まる。
■ オマケ
同じ日、ラブロフ外相はテヘランにいた。
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抜粋終わり
そういえば、人民中国も一種の行軍歌が、国歌。
フランスも、行軍歌が、国歌。
人権も、民主主義も、西欧セレブの「詐欺と強盗の道具」になり下がっている現実を、直視できないものは、いろんな意味で死ぬ。
それは間違いないと確約できる。
中国の筋が面白い解析を。
上記文抜粋
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中国報道に見る露宇戦争の行方
中国での露宇戦争に関する報道を総合すると、
ウクライナ軍は出血過多で危険領域に達しつつある
ロシア軍は出血強要戦術に徹し、東部州における砲撃力はウクライナ軍の10倍に達する
前線に到達する西側援助の兵器や物資は3割あるかないか
ポーランド軍・政府はウクライナの滅亡を予測して西部の保障占領を検討中
などと西側報道とは全く異なり興味深い。
これも学生の時にソヴィエト学をきっちり学んだおかげだな。
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抜粋終わり
これいいね。
日本は・・・きっと、天皇家が戦争を仕掛ける{毎度の事、オモテには顔を見せないけど、天皇の詔勅で開戦・あるいはなし崩しに戦闘に入って、事後承認。それもまた天皇の詔勅でな}で、核攻撃で天皇家と都民の死滅・・で、日本の分割統治。
てあるよね。
参政党とか「ウクライナ危機怖い」で、再軍備に走っているから、まあそうなるかもね。
まあ、「ファシズムになりきれないファシズム{それだから天皇は何をしても責任を取らない}」
なので、アメリカの属国で、ナチスになるのが、天皇家の狙いです。
だから、その根源の天皇を駆除し尽くしましょう。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
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