本物っているのだろうね・・。
上記文抜粋
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『現代思想2024年12月号 田中美津とウーマンリブの時代』
『現代思想2024年12月号 田中美津とウーマンリブの時代』
青土社 2024年11月27日
田中美津は鍼灸師です。2024年8月に亡くなられた際には、『朝日新聞』や『毎日新聞』『共同通信』など全国の報道で訃報が報道されました。1970年代のウーマンリブ運動をけん引し、1980年代に鍼灸師となり、私も『ぼーっとしようよ養生法 心のツボ、からだのツボに』は出版された際にリアルタイムで読んだ記憶があります。
2019年には田中美津のドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』が全国で上映されて話題となり、小さな田中美津リバイバルが起こりました。2024年8月に亡くなられた際には、共著も出されている上野千鶴子が追悼文を書き、2024年11月、雑誌『現代思想』で特集が組まれました。
現代に生きる鍼灸師で、全国紙で訃報が流れ、雑誌『現代思想』で特集が組まれる方は田中美津のみだと思います。本人が望んでいたかどうかはさておき、将来のフェミニズムや日本の女性史の資料に田中美津の名前が載ることは確定ですし、研究者も現れると思います。
『現代思想』2024年12月号で上野千鶴子や江原由美子、信田さよ子など日本を代表するメンバーが異口同音に「田中美津さんが亡くなって悲しい」「寂しい」と感情を吐露していること、そして「田中美津の思想を文章でまとめることができない」と書いているのが印象的でした。
橋迫瑞穂の『ウーマン・リブの身体論とその限界―田中美津の健康本を中心に』は、田中美津が鍼灸師として書いた文献を読みこんで分析した鋭い指摘があると感じました。一般的には、1970年代にウーマンリブで活躍した田中美津は、メキシコでメキシコ人男性との交際と出産を経て、帰国後は鍼灸師となり、ウーマンリブ運動から降りたと理解されますが、橋迫瑞穂は鍼灸師としての思想と情報発信はウーマンリブ運動と連続していると言います。
上野千鶴子が田中美津の第1印象を「イヤな女だと思った」と正直に書いている事も興味深く思いました。東京大学の社会学教授である上野千鶴子は「強い女性」の象徴的存在ですが、田中美津先生は「ふつうの鍼灸師」という対照的な存在でした。『現代思想』12月号にも、田中美津のダメなところ、情けないところが友人たちから赤裸々に書かれています。
田中美津は病弱で情けない自分を隠そうとしません。思ったことをそのまま言ってしまい、他人を傷つけることもしょっちゅうでした。田中美津は映画『この星は、私の星じゃない』の吉峯美和監督に「自分の中の膝を抱えて泣いている少女の存在を忘れてはいけない」と言ったそうですが、この言葉は田中美津の優しさをあらわしていると思います。
私は生前の田中美津が苦手でしたが、この『現代思想』の特集を読んで、田中美津への自分の考え方が変わりました。自分や患者さんの弱さやダメさも含めて包摂する人間性が、鍼灸師・田中美津から学びたいところです。鍼灸界に田中美津がいてくれて本当に良かったと思いました。
以下のYouTube動画は、わずか9分ですが田中美津と上野千鶴子のかけあい漫才のようなやり取りで、おふたりの人間性がにじみ出ています。感動しました。
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抜粋終わり
思い当たったのは・・
上記文抜粋
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家父長制については真のフェミニストであるカミール・パーリアの言い方もあるがね。
判で押したようにことごとく非難される家父長制は、避妊ピルを生み出した。このピルは、現代の女たちにフェミニズム自体よりももっと自由を与えた。Patriarchy, routinely blamed for everything, produced the birth control pill, which did more to free contemporary women than feminism itself.〔・・・〕
フェミニズムが家父長制と呼ぶものは、たんに文明化である。家父長制とは、男たちによってデザインされた抽象的システムのひとつだ。だがそのシステムは女たちに分け与えられ共有されている。What feminism calls patriarchy is simply civilization, an abstract system designed by men but augmented and now co-owned by women.”(Camille Paglia, Vamps and Tramps , 1994)
文明が女の手に残されたままだったなら、われわれはまだ掘っ立て小屋に住んでいただろう。If civilization had been left in female hands, we would still be living in grass huts. (カーミル・パーリア『性のペルソナ』 Camille Paglia, Sexual Persona、1990年)
西欧文明が達してきたものは、よきにしろわるきにせよ、アポロン的である。アポロンの強敵たるディオニュソスは冥界の支配者であり、その掟は生殖力ある女性性である。ディオニュソス的なものは流動的自然、不吉な沼沢地あり、その原型は沈黙した子宮の海である。
western achievement are, for better or worse, largely Apollonian. Apollo’s great opponent Dionysus is ruler of the chthonian whose law is procreative femaleness. As we shall see, the Dionysian is liquid nature, a miasmic swamp whose prototype is the still pond of the womb.
(カミール・パーリア『性のペルソナ』1990年)
彼女によれば、フェミニストたちは勉強不足らしいよ。
女性研究は、チャレンジなきグループ思考という居ごこちよい仲良し同士の沼沢地である。それは、稀な例外を除き、まったく学問的でない。アカデミックなフェミニストたちは、男たちだけでなく異をとなえる女たちを黙らせてきた。Women's studies is a comfy, chummy morass of unchallenged groupthink. It is, with rare exception, totally unscholarly. Academic feminists have silenced men and dissenting women. (Camille Paglia, Free Women, Free Men: Sex, Gender, Feminism, 2018)
フロイトを研究しないで性理論を構築しようとする女たちは、ただ泥まんじゅうを作るだけである[Trying to build a sex theory without studying Freud, women have made nothing but mud pies](カミール・パーリアCamille Paglia "Sex, Art and American Culture", 1992年)
もちろんパーリアは30年以上、こういうことを言い続けてきた爆弾女だからひどく嫌われてんだがね、
私は全きフェミニストだ。他のフェミニストたちが私を嫌う理由は、私が、フェミニスト運動を修正が必要だと批判しているからだ。フェミニズムは女たちを裏切った。男と女を疎外し、ポリティカルコレクトネス討論にて代替したのである。
I'm absolutely a feminist. The reason other feminists don't like me is that I criticize the movement, explaining that it needs a correction. Feminism has betrayed women, alienated men and women, replaced dialogue with political correctness. (カミール・パーリアCamille Paglia, Playboy interview, May 1995)
フェミニズムは死んだ。運動は完全に死んでいる。女性解放運動は反対者の声を制圧しようとする道をあまりにも遠くまで進んだ。異をとなえる者を受け入れる余地はまったくない。まさに意地悪女 Mean Girls のようだ。〔・・・〕フェミニストのイデオロギーは、数多くの神経症女の新しい宗教のようなものだ。Feminism is dead. The movement is absolutely dead. The women’s movement tried to suppress dissident voices for way too long. There’s no room for dissent. It’s just like Mean Girls. 〔・・・〕Feminist ideology is like a new religion for a lot of neurotic women. (カミール・パーリア Camille Paglia on Rob Ford, Rihanna and rape culture, 2013)
僕は米国フェミニスト以上に日本のフェミニストに宗教臭を感じるね。つまりは美しいよ、彼女らの狂信ぶりは。
信念の人は信念のうちにおのれの脊椎をもっている。多くの事物を見ないということ、公平である点は一点もないということ、徹底的に党派的であるということ[Partei sein durch und durch]、すべての価値において融通がきかない光学[eine strenge und notwendige Optik in allen Werten] をしかもっていないということ。このことのみが、そうした種類の人間が総じて生きながらえていることの条件である。〔・・・〕
狂信家は絵のごとく美しい、人間どもは、根拠に耳をかたむけるより身振りを眺めることを喜ぶものである[die Menschheit sieht Gebärden lieber, als daß sie Gründe hört...](ニーチェ『反キリスト者』第54節、1888年)
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抜粋終わり
上記文抜粋
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何度か掲げているが、ノーベル文学賞作家で、かつては英フェミニズム運動のアイコンだったドリス・レッシングは既に20年前、フェミニズムは宗教だと言っている。
男たちはセックス戦争において新しい静かな犠牲者だ。彼らは、抗議の泣き言を洩らすこともできず、「継続的に、女たちに貶められ、侮辱されている」。[men were the new silent victims in the sex war, "continually demeaned and insulted" by women without a whimper of protest.]〔・・・〕
フェミニズムは批判できない宗教の一種になっている。もし批判したら大義への裏切り者になる。[It (feminism) has become a kind of religion that you can't criticise because then you become a traitor to the great cause] (ドリス・レッシング Doris Lessing, Lay off men, Lessing tells feminists, The Guardian, 14 Aug 2001)
これは別の言い方をすればフェミニズムは支配的イデオロギーだということだ。このイデオロギーには容易に抵抗できない。あからさまにフェミニズムを叩けば、仕事ができなくなる。客商売であれば、客が来なくなる。学者だって医師だって政治家だって芸術家だって結局、客商売だ。作家も、アンチフェミニストのレッテルを貼られれば、書物が売れなくなる。
現在のフェミニズムはトンデモだとわかっている者たちがいてもあの「大義」を批判することは難しい。社会的ポジションから外れた者たち、大義を批判をしても生活に困らない者たちのみが批判可能だ。
日本においてもフェミニスト学者たちが、ごく最近のオープンレター事件でとんでもキャベツ頭だと明瞭に露顕したにもかかわらず、批判し難いのだ。
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抜粋終わり
そんな感じ・・・
田中美津さんは、老荘だよね・・・鍼灸て中国医学~道教~だし、道教は老荘。。
老荘は「威張り腐る男」は否定するし、「女性ってすごいよね」だしね・・。
孫子信者でもある私。。当然孫子~老荘だからね・・・
田中美津さんは西洋的な「フェミニズム」の限界を見えていたのだよね・・またまさに「迂直の計」で
三略だよ・・・
にしてもカミール・パーリアさんは、正面突破で「フェミニズムの欺瞞」~本当は「人間解放にならないとフェミズムは完成しない」って突いているよね。
まあ「弱者男性たたき」できるアホでなければ、「フェミニズム」って宗教は信じれないのですよね。
三略や老荘から見ても、カミール・パーリアさんの視点から見ても、偽物ばっかりになっているのが惨いね。。
お読みくださりありがとうございます