武士道は、衆の道だった。で・・・それが帝国軍人の忠誠心っていうのだから・・普通に滅びます。
より
上記文抜粋
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『日本の「武士道」の本質とは「衆道」(ホモ友だちの恋愛)の心得だったとのオチ』
300年前の武士道の『葉隠』(1716年ごろ)では武士における衆道は、命がけの『最高のもの』とされた。
男色の心得として「互いに想う相手は一生にただひとりだけ」「相手を何度も取り替えるなどは言語道断」「そのためには5年は付き合ってみて、よく相手の人間性を見極めるべき」。
ホモ相手が人間として信用できないような浮気者だったら、付き合う価値がないので断固として別れるべきだと説き、怒鳴りつけてもまとわりついてくるようであれば、「切り捨つべし。」と断言する『葉隠』は、武士道の教本というよりも、ホモの情死の教本でもあった。(十返舎一九の『東海道中膝栗毛』と同じ原理で『葉隠』からもホモの情死『衆道仇討ち』の事実は不都合なので隠蔽される)
・・・・・・・中略・・・・・
『原本は英語だった胡散臭い「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり]の葉隠精神』
佐賀藩士・山本常朝によって口述された『葉隠』の武士道書から消された本当の意味とは、『武士道と云ふは「衆道」(ホモ)と見つけたり』だったが、あまりにも欧米一神教徒(キリスト教道徳)に対して不都合なので、明治の知識人である新渡戸稲造は丸ごと封印して誤魔化したらしい。(そもそも『武士道』とは、新渡戸稲造は欧米の騎士道精神に対する日本における宗教的教育の欠落に 突き当たって、苦し紛れに葉隠の『武士道』を英語で書いて欧米人に説明したものを、後に日本語に翻訳して世間に広まった)
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抜粋終わり
帝政日本の軍人や官僚は、天皇家に関して、一種の「衆道」~同性愛の相手として「忠義」「忠誠心」が要請された。。。
てみていいのだろう。
晏嬰が「君主が社稷のために死んだのならば私も死のう。君主が社稷のために亡命するのなら私もお供しよう。しかし君主の私事のためならば近臣(直臣)以外はお供する理由はない。」{ウイキ}
てなど、考えもつかないのだし、公共への奉仕・尽力など無い。
まあ考えりゃ、日本の戦国時代も末期になると「衆道」てのも評価も少し低くなるように思える。
黒田如水が
「殉死するくらいなら、後継者を支えろ。殉死するのは後継者や国家を見捨てるのと一緒」
とかいうし、
秀吉は「衆道は無縁」で、家康も「井伊直政以外は、おねーちゃんの方が大好きだった」し。
天下人が、「衆道」を評価しなくなるから、自然マシになったけど
「忠誠心競争」で、また衆道が流行りだす。
そういえば、乃木希典は、衆道もしてたとか・・。
ああ、、組織や社会の「忠誠心・貢献の志」が、帝政日本では「衆道」を基本に考えられる。
そのような不倫社会が、まともに存続していけるはずもない・・
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
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