殿様ですら無い。


家来が、殿に「モノ申す」ことができない。

て、バカ殿ですので、逃げるのが吉。

上記文抜粋
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皇室情報発信強化と「批判の自由」


 政府・宮内庁は今年4月、インターネット上の皇室情報発信を強化するため「広報室」を新たに設けます。
 その狙いは、「SNSを含めた新たな情報発信の手法を検討する「プッシュ型」の発信をすることで国民に皇室への理解を深めてもらうとともに、「虚偽の情報による誹謗中傷」を減らしていきたい考え」(2022年12月31日付朝日新聞デジタル)だと報じられています。

 この動きには2つの面で警戒が必要です。

 1つは、皇室情報を市民の日常生活に浸透させることによって、天皇制の維持・強化を図る狙いです。

「宮内庁幹部によると、これまではホームページ上で、ほぼ日程のみを掲載していた皇室の日々の活動を、詳しい説明とともに、写真や動画を添えて速やかに発信することが考えられている」(同朝日新聞デジタル)

 イギリス王室は、王族が個人のアカウントを持って盛んに発信しています。何かと英王室を模範としている日本の皇室が、この点でも英王室に倣って個人のアカウントを持つ可能性も考えられます。

 もう1つの問題は、「誹謗中傷を減らす」という名目で、皇室・天皇制に対する「批判の自由」が抑圧される危険性があることです。

 秋篠宮は一昨年の「誕生日会見」(2021年11月25日)でこう述べました。

「記事に対して反論を出す場合にはですね,何かやはり一定のきちんとした基準を設けて…それを超えたときには例えば反論をする。何かそういう基準作りをしていく必要が私はあると思います」(宮内庁HPより)

 直接的には週刊誌の皇室記事について述べたものですが、「一定の基準」が皇室・天皇制に対する論評・批判記事全般に適用される恐れは十分あります。

 河西秀哉名古屋大准教授(憲法)は、「(宮内庁の)情報発信の中身と頻度によっては、過度な情報操作につながり、自由な報道や発言の抑制につながる恐れもある」と警鐘を鳴らしています(同朝日新聞デジタル)

 ここで想起する必要があるのは、昨年6月、「侮辱罪」を厳罰化する刑法「改正」が自民、公明、維新、国民民主によって強行されたことです(2022年6月15日のブログ参照)。

「侮辱罪」の厳罰化は、「批判の自由」「言論の自由」の抑圧を強化する危険性を持っています。
 山田健太専修大教授(言論法)は、「批判の自由は民主主義の根幹」だとし、「言論が弾圧された戦争の反省を踏まえ、公権力は表現行為には抑制的に対応してきた。侮辱罪の厳罰化は歴史を逆回転させており、そのことに社会が気付いていない恐ろしさがある」と指摘しました(2022年6月14日付共同配信)

「批判の自由」「言論の自由」の抑圧・弾圧が軍事国家体制づくりの重要な柱であることは歴史が示すところです。

 皇室・天皇制を市民生活に浸透させ、「批判の自由」の抑圧(現代版「不敬罪」)につながりかねない皇室情報発信強化が、「軍拡(安保)3文書」の閣議決定(2022年12月16日)と相前後して目論まれていることは、けっして偶然ではないでしょう。

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抜粋終わり


天皇家は、日本人を道ずれに無理心中の選択を取った。

まあ、天皇家と特にその閨閥は、死ぬほどアホですから。


より

上記文抜粋
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景公、刖跪の辱を慙ぢて朝せず、晏子直を称してこれを賞せんことを請ふ【第十一】

景公は真昼に髪を振り乱して、六頭立ての馬車に乗り、婦人を御者として宮門を出た。足切りの刑を受けたびっこがその馬を鞭打って 「おまえはわが君ではない」と言い、馬車を返させた。

公は恥じて朝廷に出なかった。晏子は裔款に公に問わせて「なぜ朝廷に出られないのですか」と言わせた。
公は答えて「かくかくしかじかということがあった。 だから出ないのだ」と言った。

晏子は入って公に見えた。
景公は「先日こういうことがあった。寡人は晏子のおかげで百官を率いて宗廟を守ることができている。いまびっこに鞭打たれて、社稷を辱めた。 わしはまだ諸侯の位におれようか」と言った。

晏子は答えて
「君よ、そんなに責めないで下さい。臣はこう聞いています。
下の者に直辞がなくなれば上の者は悪事を隠し立てするようになります。人民がはばかってものを言わなければ、 上の者におごった行為があります。
昔、明君が上にあれば、下に直辞が多く、君が善を好めば、民がものを言わないことがありませんでした。
今、君に間違った行いがあり、びっこが直辞をもってこれを禁じました。これは君にとっての福です。ですから臣は来朝して慶賀するのです。この者を賞して、わが君が善を好むことを明らかにして、 この者に礼をつくして、わが君が諫言を受けることを明らかにさせてください

と言った。
公は笑って「できるだろうか」と言うと、晏子は「できます」と答えた。
そしてびっこの禄を二倍にして税を免じ、参朝を免じた。

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抜粋終わり


日本の「えらいさん」は、江戸城跡地の住人からことごとく、まあ、オベンチャラばかりいう、肉ロボットかき集めて、死ねばいいのさ。




こんなこともあったとか・・・知らんけど。

あまりにその隠匿法が怪しいので、下衆の勘繰りをしたくなる人もいるだろね。


昔、明君が上にあれば、下に直辞が多く、君が善を好めば、民がものを言わないことがありませんでした。今、君に間違った行いがあり、びっこが直辞をもってこれを禁じました。これは君にとっての福です。ですから臣は来朝して慶賀するのです。この者を賞して、わが君が善を好むことを明らかにして、 この者に礼をつくして、わが君が諫言を受けることを明らかにさせてください

あまりに、善を好まない「バカ殿・暴君」が、日本を支配している。




てことだは。


カースト制度ですら無い、奴隷制が日本国~天皇カルトなのですは。


《軍讖》にこうあります「姦雄なる腹黒い人間たちが互いに称賛し、実態を明らかにせず陰に隠蔽する。中傷と賞賛を自由に行い、正論を聞き入れず耳を塞ぐ。それぞれ私利するところに媚びへつらい、主君から忠臣を遠ざける」と。

ですから主君は異なる意見も考慮すべきですし、そうであれば小さな企みも看破できるのです。主君が優れた人材を招聘すれば、姦雄は自然と去るほかありません。主君が老練な旧臣を用いれば、万事全て安定します。主君が在野の人材を招聘すれば、人材としても能力を発揮でき国としても実利を得ます。下々の民にも気をかければ、功績を広めることにもなります。人心を失わなければ、その徳は満ちて天下という広い大洋に溢れることになります。


バカ殿に明日は無い。

黒田如水も、藤堂高虎も、「バカ殿から逃げろ」という。


あるいは革命だな。


「民は至って弱きものなり。されど力を以ってこれを怯えさせることはできぬ。(民は)至って愚かなり。されど智を以ってこれを欺くことはできぬ。即ちその心を得て心服させるべし。その心を得られなければ民はすぐ去ってゆく」(下民至弱也。不可以力劫之也。至愚也。不可以智欺之也。得其心則服之。不得其心則去之)と言い、民こそが国の根本であり政治を行う王や士族は民のために存在するものとした。またこれはそのまま王としての役目を果たさず人民を苦しめる暴君を討ち人徳のある君主を立てるべきだという易姓革命にも通じ、朝鮮王朝創建の理論的な土壌を作った。


孟子「仁をだめにする者、この者を名付けて「賊」。義をだめにする者、この者を名付けて「残」。残賊の者は、ただの一人の男です。紂とかいうただの一人の男を武王が誅殺したとは聞いていますが、臣が君主を殺したとは聞いていません。」

「対等の人間関係」が、なければ、「殿様と家来」すら機能しないのだよね。


慈悲と憐みに富む社会になりますように

お読みくださりありがとうございます。

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