そんな感じです。
本邦は多民族ではなく「多部族社会」です
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
貴方の苗字があるでしょ?それが部族名なのです
そして、その部族名には如何にして、その部族名となったかの背景があるのです
故に「政治が部族の長としてどれだけの利益を恩恵を振る舞えるのか?」という事が選択肢となるのです、コレは古代首長制と同じです
アラブでもコニィーエと言って部族や家族単位で変わると敵対し合うなんてザラにありました
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
貴方が見ている「親戚同士の喧嘩・見栄の張り合い」がまさにそれなのです
その喧嘩や見栄の張り合いを黙らせるのが実権力であったり、資本や権威であり、それが私たちの地獄の根源なのですよ
だから「善悪で判断するのは家畜で人間は形而上からの認識から眺める」のは金言となるわけです
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
アンタらは「自分の利益・労働力としての有無・家族や部族の利益になるかの有無・国などの空想が利益になるかの有無という『善悪に汚染されている』」なので人間ではなく家畜・産業動物でしかないのです
「人々を分割する議論は全部ゴミ」という認識がないなら除外せざるを得ない
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
私はフェミニズムだろうが、資産の話だろうがそれらは人々を分割統治するタネにしか見えないので「無駄に認識と言葉を増やさせる議論を『嫌悪』しない」ならば、私が与えられる処方箋には何の意味や意義がない
ワクチンという例で示せば
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
化学療法の反対は自然療法であり、ワクチンの反対は自然療法や既存の漢方や複合された薬草に針などの「未だに科学が反証と実証しきれていない治療法」がそれの対義語となる
しかし、化学療法と自然療法は有位と無位となる「役割」でしかないんだけど、アンタら混ぜるよな
ちげえよ
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
生きづらさの根本は「己の価値や意義の踏み間違え」であり
生きづらさが判明するのが「定年やそれ以後」に起こる事もあるのよ
私が見たモノとして、定年後も働いていた人が死ぬことで「昇進」と「現場の混乱」が発生したのを見たが「組織に個人を委ねすぎた結果」がそういう事象を起こす
それは間違いなく起こる
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
何故なら、大工をただの「プレカット材合わせ屋」としたように、人間ができることは「現場の微調整」でしかなくなると思うの
それすらも必要無くなれば、人間の役割は一切なくなる
ただ、工場や倉庫労働がなくなることは「人類の希望」とも思っているけどね、悲惨だからあそこ
魂はない
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
コレが今の世界を動かしている第一命題です
だから、自然発生する魂を認めない・できる限り管理するという世界観がここに生じているわけです
即ち、学力エリートというのは過去や勉学に励むことによって「九十九神」のように自己鍛錬の結果として「魂を創造した」から家令やメイドとなれるの
それもそうではない
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
「人道という定義を誰と誰らがしているのか?」という疑問が生じない時点で除外されるの
いいかい
人道を定義できるのは「神学」と「形而上」だけだ、それ以外は「時代の流動性の談話」でしかない
しかし、アンタらが宣う人道というのは「己の効率の中で最も便利なもの」でしかない
我々は残念ながら「命が無駄に発生し、それが苦痛と悩みを発生してしまうことを事前に止める」ことを『人道と定義している』の
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
だから、その「人道という定義が何者かにされているのか?」と踏み込むことが「相手の謀略を破る」ことに繋がるわけなのです
認識を疑え、間違いなくお前の認識ではない
それは間違いなく起こる
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
何故なら、大工をただの「プレカット材合わせ屋」としたように、人間ができることは「現場の微調整」でしかなくなると思うの
それすらも必要無くなれば、人間の役割は一切なくなる
ただ、工場や倉庫労働がなくなることは「人類の希望」とも思っているけどね、悲惨だからあそこ
それもそうではない
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
自然を管理しようとしてきたのが「人類史」であるならば、都合の良い「自然の発見」を探索・模索してきたのが人類であると言える
自然は「人類の敵」であるからに管理しようと努めてきた、コレが自然科学であり、実証性と反証性と立証性を懇願してきた人類の「神話的力」なのです
そーではない
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
どっちも疑えってこと
最低でも「今までは子供が多いことは多福」であったが、コレから「それが逆転することも極端」なの
私は「管理生産される方が幸せ」だと思っているし「信じている」けど、その認識が「この一時の時代性に準じた『個人的感想』でしかない」事も前提にしているのよ
プロレタリアートというのは「子供しか資産がない」という意味です
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
なので、資産というのは「下部構造としての子供」であったわけです
ただ、神学的には「産めよ増やせよ」という前提があるので「それを『信用』仕切れるか、否か」でしかないの
残念ながら私は「信用」できないの
くたばれ
— 触おぢ (@AXv4075LUC78949) April 23, 2024
人類は「空想と物語から無縁であることはない」
私からすれば「間違った解釈だからこそ、なぜにその解釈が力を持ったのか?」を再考察が必須なの
同胞と話したが「間違った読み方の呪詛は間違った読み方でしか呪詛の効力を成し得ない」のよ、呪力って正確さではなく「その意志」
勉強になります・・・・・
お読みくださりありがとうございます。
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