天皇はずっと無責任・・・だは・・

より

上記文抜粋
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本記事の要約
・大教宣布の詔により、大教=和風キリスト教=天皇一神教。
平田篤胤により、本教=和風キリスト教。
大教=天皇一神教=和風キリスト教=本教。
(大+本)教=大本教。

1870年の日本版キリスト教=神道国教化の為に発令した、「大教宣布の詔」でわかるように、
「大教=天皇一神教=和風キリスト教=本教」
つまり、カルトメーカーの大本教はなんと、大教+本教という二重の意味でキリスト教でありフリーメイソン教でもあります。宗教統一用に変形されたキリスト教。
ユダヤ「だけが悪いからキリスト教は悪くない」陰謀論というバチカンの伝統をきっちりを受け継いでおり、経典も聖書を和風にしたもの。一神教思想臭い神が登場。多神教に偽装した鬼崇拝。

・国柱会(=日蓮系仏教に偽装した和風キリスト教)をつくった田中智学の講演「皇宗の建国と本化の大教」=和風バチカン建国。
智学=神「智学」+人「智学」
   =キリスト教らしさ(GODとキリスト)を消した東洋風キリスト教。
   =仏教に偽装した和風キリスト教ですよと宣言した名前
(本名ではないことにご注意。本名だったら完全に支配者の血筋)

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抜粋終わり

で、さらに抜粋
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〔集会、結社及び表現の不自由と通信の秘密の可侵〕
第21条
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の不自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてもよい。通信の秘密は、これを侵してもよい。

・日本国憲法でも相変わらず天皇無答責。
主権者の国民の意思決定(選挙)も無答責。
→明治憲法を超える超無責任体制が日本国憲法。
日本国憲法は支配者がいないふり+民主主義を標榜
しているが、実際は世襲制。
→秘密選挙を廃止
(自分がどこに投票したか公開して票の操作をなくす)
しないと無責任体制は解決されない。

大日本帝国憲法
君主(=天皇=和風キリスト)権限を強化
→現人神(イエス様)の責任が増す
→神聖不可侵として君主無答責
→和風ローマ教皇が虐殺に加担しまくろうと責任なし!
→一応責任者が明確な(責任は取らないが)世襲制。

日本国憲法
国民を主権者
→意志決定(投票)無答責
→投票結果に責任なし!
+天皇無答責(内閣が尻拭い)
+内閣は国会に政治的責任を負うが
法的責任ではない(最終的には国民の選択と言い逃れ)
→国民総無責任体制
=民主主義に偽装した世襲制(トップが不明確になりより悪質に)

裁判基準(試験問題攻略法)
①今もやっていることが違憲なわけがない(迷ったら合憲)。
②見たことも聞いたこともない判例がきたらほぼ×がお約束
③例外を認めない絶対的に保障あるいは禁止される場合はほとんどない
(「原則~」は範囲を広く緩くする魔法の言葉)
④結論ありきの超甘い判決になる分野
・税(税務署。税金がらみは税金を取れるように判決)
・宗教(宗教団体。特にカルト)
・警察や検察
・アメリカ(特に軍事がらみ)
・西洋医学(医師会、製薬会社、薬局など。異教の医学は冷遇)

………

まずは日本国憲法で最悪の項目は十五条四項であることから。

日本国憲法で支配者が絶対になくしたくないのは十五条四項(秘密投票。投票内容無答責)のみ。
十五条四項さえ残せばいくらでも不正選挙ができ、民主主義を世襲支配に変換可能。

”第十五條[編集]
4.すべて選擧における投票の祕密は、これを侵してはならない。選擧人は、その選擇に關し公的にも私的にも責任を問はれない。”

あとはすべて強化用か煙幕。
一条と七条で天皇の責任→内閣→法的責任でないので結局うやむや、とし天皇も政治家も責任を大衆に転嫁。

日本国憲法は「国民主権」を採用しています。ここでいう「主権」とは国政のあり方を最終的に決定することを意味します。日本国憲法の十五条では、なんと主権者である国民は自身の意思決定=選挙に責任を負わなくていい。政治の意思決定者(嘘)が何をしても意思決定者(見せかけ)に責任はない、という、異常極まりないことになっていることを見抜かせないために、九条に注目させる。実際の支配権は選民にあります。

日本国憲法では「支配者」の存在をなかったことにしています。国民は自分の意思決定に責任を取らなくてよくて、国民の象徴の天皇も無責任であり、天皇の尻拭いをする内閣が国会に負う責任も政治的責任であり法的責任ではなく、結局は責任を「選んだ国民(無責任)」に転嫁するという、責任者が誰もおらず、何よりもボスが責任を取らないようになっております。
秘密選挙だと自分の票が改竄されても判りませんし、自分の投票先を公表するリスクを負わずに異常過ぎる世界を変えようなんて甘すぎます。
世の中良くしたいけど責任は他人に押し付けるってお前は支配者と同じ思想だな。

無責任秘密選挙以外の条文はすべてまやかし。十五条四項さえ変えなければ九条なんていくら変えようが痛くもかゆくもない。十五条四項さえのこせばよい。後は
①欧州の王侯貴族と
②アメリカのナチスの残党と
③ロシアあたりの東ローマ帝国の後継者あたりの利権争いでしかない。
十五条四項を残すのは共倒れを防ぐため。

責任転嫁システムをもう少し詳しくみてみます。
衆議院の解散権は内閣が持つとされ、
7条3号説(通説・先例)という、国事行為に対する内閣の「助言と承認」を根拠として内閣に実質的な権限があるとしています。
責任を取らない天皇の泥を内閣が被るかと思いきや、
内閣は国会に政治的責任を負いますが法的責任ではなく、
内閣もまた「我々を選んだのは国民(票を操作したのは内緒)」と言って責任を国民に押し付けられるようになっております。国会に政治的責任を負っても、票の操作で復活が可能なのです。
秘書がやったことならぬ国民がやったことですね。

なお、戦後でも天皇には民事裁判権が及ばないことになっております。
刑事裁判権も及びませんから今も天皇無答責。
天皇家と血縁関係を持つ貴族あたりが首相を出すのだから、実質的に首相無答責。
どんな手段を使っても最低でも実質的には無責任体制を継続され続けるはずです。

衆議院の内閣不信任決議は法的責任の色彩が強いのですが、そもそもほぼ起こらない構造になっています。団体Xがその団体のボスを不信任決議するなんてほぼないですから。
アメリカの共和党日本支部にしてCIA出資で統一教会系の自民党の党首(飾り)が首相となるということは、衆議院の多数派が自民党。
EU日本支部のフランス・スコットランド系メーソン民主党が~以下同様。

こいつら民主主義とか国民のためとか言っていますが、
身内の利権のためという意味です。
天皇をタブーにすると、姻戚関係を結んだ政治家たちも無責任の恩恵を受けるからこそ、天皇教を守るわけです。

以下の記事で日本の貴族(クズ)の半島利権+クリスチャン率の高さを確認して現実みなよ。偽貴族=名誉白人が言う「日本の伝統」=明治以降のキリスト教製の捏造文化であって、本当の伝統=仏教などではありません。
「武士道」を言い出した新渡戸稲造がクリスチャンでしかも武士道を英語で書いたって笑えるわ。

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抜粋終わり

日本国憲法では「支配者」の存在をなかったことにしています。国民は自分の意思決定に責任を取らなくてよくて、国民の象徴の天皇も無責任であり、天皇の尻拭いをする内閣が国会に負う責任も政治的責任であり法的責任ではなく、結局は責任を「選んだ国民(無責任)」に転嫁するという、責任者が誰もおらず、何よりもボスが責任を取らないようになっております。

なら、失政をした天皇家はじめ為政者をぶっ殺すのが、国民の「統治責任」なのですよね。

「革命」があれば、日本国憲法は、それほど外れではない。革命が無いから、「無責任体制」なのです。

さて、天皇家を皆殺しにしましょう!それが戦争責任もみんな解決します。

さらに続きのおまけ
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信教の自由
は明治憲法でも一応保証されていて、法律の留保がありません(法律で制限できない)(第二十八條 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス)。
しかし「神社(和風教会)は宗教にあらず(キリスト教は宗教を超えた存在)」とされ、国家神道(=天皇一神教=和風キリスト教)が事実上国教とされ優遇されました。
「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由」
はいくらでも勝手に解釈して憲法違反だとできますから、信教の自由はとりわけ厳しく制限しているのです。
キリスト教=天皇一神教は臣民の義務であり、天皇を崇めないと安寧秩序を妨げるやつだから弾圧するよ、という宣言です。
反面、
神道(もともとは道教の一派だったが支配に特化するためにキリスト教化)以外の宗教、特に仏教は廃仏毀釈(キリスト教と神社=和風教会が主導。キリスト教はミトラ教派生の大乗仏教が嫌い)で明らかなように冷遇されました。
日本国憲法になっても実質はキリスト教が一番上です。
なにせ、岩倉具視の政治ブレーンに玉松操(みさお)ら平田派神官(=和風クリスチャンにして神道を捏造した平田篤胤派生)が、神道の国教化運動を展開したのですから。

神道を宗教とはしない=宗教を超越したものとみなす、方針を政府はとりました。キリスト教はあらゆる宗教より上だということです。

信教の自由は三つの要素で構成される。
①信仰の自由:宗教を信仰する、又は信仰「しない」自由であり、内心に留まる限り「絶対的に」保障される(頭の中で思っているだけなら絶対OK。内心に留まるなら学問研究も思想・良心も同様)。「絶対」が正しい数少ない例。

②宗教的行為の自由:布教や儀式の自由や、宗教的行為をし「ない」自由や、宗教行事への参加を強制され「ない」自由を含む。

③宗教的結社の自由:特定の宗教を宣伝することや、宗教団体に加入する・し「ない」自由も含まれる。が、宗教法人であるか否かと、保障の有無は無関係。

※行為と結社は行動を伴うので絶対的には保障されない。
結社=共通の目的達成の為の継続的団体で必ずしも特定の場所に集まる必要はない。。
集会=共通の目的達成の為の一時的に特定の場所に集まること。

宗教法人の税法上の優遇措置は認められ、「特権」ではないのが通説。
公益法人や社会福祉法人も免税されているかららしいが、明らかに特権。
税金逃れというよりは、税金「調査」をされない特権です。

第二十條[編集]
1.信敎の自由は、何人に對してもこれを保障する。いかなる宗敎團體も、國から特權を受け、又は政治上の權力を行使してはならない。 2.何人も、宗敎上の行爲、祝典、儀式又は行事に參加することを强制されない。
3.國及びその機關は、宗敎敎育その他いかなる宗敎的活動もしてはならない。

Article 20 1.Freedom of religion is guaranteed to all. No religious organization shall receive any privileges from the State, nor exercise any political authority.
2.No person shall be compelled to take part in any religious act, celebration, rite or practice.
3.The State and its organs shall refrain from religious education or any other religious activity.

公明党=イルミナティ・パーティの訳語と聖教(=キリスト教)新聞の関係とかは?

第八十九條[編集]

公金その他の公の財產は、宗敎上の組織若しくは團體の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に屬しない慈善、敎育若しくは博愛の事業に對し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

Article 89 No public money or other property shall be expended or appropriated for the use, benefit or maintenance of any religious institution or association, or for any charitable, educational or benevolent enterprises not under the control of public authority.

政教分離の原則(笑)
だが完全な分離は不可能なので
目的効果基準
①目的が宗教的意義を持ち
②効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為
を採用しておりますが、完全に結論ありきの使用法です。

愛媛玉串料訴訟は違憲になった数少ない例です。

実は、二礼二拍手一拝という形に拍手のパターンを統一したのは明治以降。
神職や正式参拝者が拝礼するとき神前に捧げる玉串(榊の小枝に紙垂〔しで。四手〕がついたもの)も明治以降。明治以前は一般人が奉幣することはなかった。幣を捧げることが許されたのは天皇や大名や氏神の場合は氏の長者などごく限られた人だけでした。玉串の普及は明治以降です。玉串奉奠(たまぐしほうでん)=玉串を神前に捧げて拝礼すること、を古来のものだと言って金を取るのは「伝統的な」完全な詐欺ですね。

また、現在の神前結婚式は明治以降からであり全然古来からの伝統ではないです。
現代の神前式のように「天津祝詞」が吟じられるようになったのは明治以降で、少なくとも庶民の間では、結婚式は自宅で行うことが多かったのです。1900年(明治33年)5月10日に皇太子嘉仁親王と九条道孝公爵令嬢の節子姫が結婚(後の大正天皇・貞明皇后)を雛形として模したかたちで、その後庶民の間にも普及したのが今日の神前結婚式です。

なんと、現在の仏前式(ぶつぜんしき)も明治以降です。また作られた新しい伝統(矛盾表現)ですか。1885年(明治18年)、元日蓮宗僧侶であった田中智學(キリスト教に代わる支配の道具作りのための神智学と人智学っぽい名前ですね!本名は巴之助 ※)によって創設された「国柱会」の前身「立正安国会」において日本で最初の正式な結婚式(本化正婚式)の規定が定められたそうです。この立正安国会による仏前結婚式が、仏教史上はじめての正式な結婚式です。1892年(明治25年)に浄土真宗本願寺派の藤井宣正が東京白蓮社会堂に結婚式を挙げ、各宗派において仏前結婚式が普及されたそうです。

※日蓮宗は最初から仏教カルトですからね。派生もカルトだらけで神道(耶蘇)を崇めたりもする。
法華神道=和風キリスト教。
国柱会=仏教に偽装した和風キリスト教カルト。伊勢神宮を参拝した天皇は明治天皇が初めてなので、南朝崇拝者が大好きな後醍醐天皇は伊勢神宮なんて参拝していません。
江戸以前の民衆はアマテラス目的にお参りしていません。
じゃあ、江戸中期から御師(おし)の活動などで富士登拝や伊勢神宮参拝などが盛んになったことは無視しかよという突っ込みには、
御師が外宮の豊受大御神(食べ物の神様←完全に現世利益)を、百姓(農民とは限らない)に広めたのがお蔭参りのきっかけであり、伊勢神道も外宮が上だとする思想ですから天照目的でお参りなんかしないし、そもそも単に出かける口実で伊勢参りだと言っているだけだったりします、と返しておきます。
外宮先祭。
また、富士講のその一部は教派神道=和風キリスト教、となりました。
山岳信仰=仏は崇めない仏教否定です。
仏教以外の宗教にはキリスト教が入り込みまくっていて、それにより明治白人傀儡政権設立革命が準備されたわけです。

なぜか仏教徒なのに神道家が大好きな後醍醐天皇が優遇されたりするのは、神道を天皇が重視していたとい嘘で洗脳するためです。
そもそも南朝天皇の後醍醐天皇の名前からして醍醐=仏教の最高真理という仏教用語入っているのに神道(耶蘇会)って! 採用したのは真言立川流という仏教の異端派であり、神道(耶蘇臭い)ではなく仏教なのです。
ヤタガラス(耶蘇製品かな)は勿論仏教徒でないとおかしいですよね?

和風キリスト教の一派である国柱会のメンバーでありエスペラント語を使ったから宮沢賢治は優遇されているのですよ。
内容がいいだけでは有名になんてなれません!

国柱会(こくちゅうかい 國柱會)ウィキ抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%9F%B1%E4%BC%9A
“元日蓮宗僧侶・田中智学によって創設された法華宗系在家仏教団体。純正日蓮主義を奉じる宗教右派として知られる。”
“国柱会の名称は、日蓮の三大請願の一つ「我日本の柱とならん」から智学によって命名された。独立した宗派としての正式名称は「本化妙宗」。 また、智学の造語であり、戦前日本では国家主義のスローガンとして多用された「八紘一宇」を最初に標榜したのは国柱会であった。「日蓮主義」という表現も、国柱会によって初めて使われた。「主義」という概念が、明治以降に流入した西洋哲学に由来するものであり、後述のように日蓮主義という概念は、日蓮教学の近代的体系化の一端を表している。”

“国柱会の根本の理念は、寺檀制度によって形骸化した伝統宗門の改革と近代化を在家主義の立場から目指すものである。

教学における国柱会の功績は、現在でも「師子王文庫」や「真世界社」などに引き継がれている。分派した各法華宗・日蓮宗宗派の統一、更には法華一乗のもと全宗派、全宗教の統一(一天四海皆帰妙法)のための宗教革命、ならびに皇祖皇宗の日本国体を法華経のもとに体系化することを究極の目標としている。

更には、智学の思想による「全国の神社に祀られる主神はすべて皇祖神に統一されるべき」という主張や、法要時の礼服、祭壇の祀り方、数珠を一切用いない、など神道的な要素を強く残しており、法華神道の団体としての色彩も強い。

なお、本化妙宗としての信仰は、釈尊を教祖、日蓮を宗祖と仰ぎ、本尊は日蓮大聖人の「佐渡始顕の妙法曼荼羅」としている。”

“1902年(明治35年)、日蓮仏教の教学を組織体系化した「本化妙宗式目」を発表し、1903年(明治36年)より大阪などで日蓮門下各教団の僧侶を集めて本化妙宗研究大会を開催。智学はその中でも神武天皇御陵前での講演「皇宗の建国と本化の大教」において、日蓮仏教の国教化を目指す王仏冥合思想を宣言した。”

(1870年の日本版キリスト教=神道国教化の為に発令した、「大教宣布の詔」でわかるように、「大教=天皇一神教=和風キリスト教=本教」
つまり、カルトメーカーの大本教はなんと、大教+本教という二重の意味でキリスト教でありフリーメイソン教でもあります。宗教統一用に変形されたキリスト教。
ユダヤ陰謀論というバチカンの伝統をきっちりを受け継いでおり、経典も聖書を和風にしたものです)

“1926年(大正15年)には明治節制定の請願運動を契機に外郭団体「明治会」が創設され、愛国主義運動を宣揚、1927年(昭和2年)に請願が実り明治節が制定された。

また、宮沢賢治と同じく著名な会員であった帝国陸軍・石原莞爾中将の「東亜連盟」構想や「世界最終戦論」、更には石原が参謀であった満州国建国の思想的バックボーンとして、国柱会の思想は多大な影響を及ぼした。特に満州国には皇軍慰安隊を国柱会より派遣し、関東軍軍人を支援している。この時期が国柱会の歴史上もっとも活況だった時代であり、日蓮系諸教団の中でもエリート主義集団と目されるほど、有数な著名人が会員であったことで知られる。”

“1960年(昭和35年)、国柱会は日蓮門下の連携を目指して日蓮聖人門下連合会を主催、発足させた。各法華宗宗門と多くの共同事業に携わり、主なものでは1983年(昭和57年)、日蓮聖人700年遠忌記念事業として、作詞・西川満、作曲・黛敏郎によるオラトリオ「日蓮聖人」を東京交響楽団の演奏で全国各地で上演。”

(オラトリオ=元来はローマ・カトリック教会の宗教曲。なんでキリスト教製の音楽なんだよ。国柱会=仏教に偽装した和風キリスト教カルトですな。聖教=キリスト教新聞配っているのも日蓮系ですな。あと、日蓮「聖人」の意味を変えようとしているのかな)

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抜粋終わり

お読みくださりありがとうございます。


余談







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