植民地になりたい天皇家 家畜になりたい日本人。

モスクワのザンビア共和国大使館のアビン・ムウィンガ教育一等書記官の思い。

「私たちは経済的に再植民地化されることから逃げたいのです。そして、私たちは自立して、私たちの資源を使ってアフリカの経済を世界市場で競争できるレベルまで押し上げたいと考えています。」

天皇家は、植民地の総督になりたいんです。で、統治責任は取らない・・・

日本人は・・・・天皇を信じているってのは「家畜になりたい」ってことです。

なにせ「統治責任」を取らない「象徴・元首」を国家のトップにするのは、無理でしょうに・・・


しかし、天皇も皇族も誰一人自決していません。

モーリス パンゲのように、敗戦によっておのが過ちとおごりに

気づいた者はいません。

いたかもしれないが、責任はとっていません。

高貴とは責任を逃れぬ者にある、高貴とはおのが引き受けるべき

重荷を決して重すぎるとは言わぬ者にある。



責任をとったのは、陸軍大臣、中佐、少佐などの階級の人ばかり。

政治家もそうですね、責任を取るのは秘書などの使われている者ばかり。

一番の長は責任をとらない、、、、



一番の長が責任をとらないことによって、その後の日本が歪んで行くんです。


日本政府は今も、15年戦争肯定論の立場を公式見解として維持しています。
 民間にも相呼応する政府と同じ動きが目につきます。
 それが上のような慰霊碑建立の文章に刻まれています。
 このように過去の戦争を美化する風潮が、最近高まりつつあります。
 ということは、来るべき戦争への積極的参加の意欲を喚起しようとするものと
 いう印象を禁じ難い。
 刻まれた文章は、大東亜戦争は自存自営のためであり、亜細亜の民が
 次々と独立、栄光を勝ち得たのは、日本の聖なる戦いのおかげであったと
 絶賛されています。
 戦争の惨禍に対する反省の意の片鱗もなく、戦争美化一色で塗りつぶされています。
 そして戦没者は英霊として顕彰されています。
 英霊とは、正当な戦争での功績ある戦死者を賛美する呼称です。
 大東亜戦争で亡くなった戦死者は、英霊ではなく犠牲者です。
 大東亜戦争で亡くなった人は、無謀な侵略戦争の犠牲者として悼まれる
 べきものです。
 日本が行った侵略戦争を聖なる戦争だと、国民に大ウソをつき 
 戦死者を英霊として靖国神社にまつる日本とはいったい
 どういう国なんでしょう。


 A級戦犯は日本国首脳にとっては、英霊なのです。
 占領軍が未だに撤退せず、居続けるのもアメリカによって救われた
 天皇あればこそです。
 不思議でもなんでもありません。


売国奴が「象徴」とか「神聖で霊力がある」国ですから、日本は消えます。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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