伊勢崎賢治先生の解説 3

より


上記文抜粋
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 とにかく、今回のウクライナの件で、この凄惨を極めたアフガン戦争のことも含めてすべて見落とされている。イスラエルによるパレスチナ侵攻もだ。

 今回のウクライナで最初にロシア軍の砲撃が始まったとき、アルジャジーラが見出しに使ったのは「ショック&ウォー(SHOCK & AWE)」=「衝撃と畏怖」だ。イラク戦争でやった米軍の戦略だ。まず空爆で重要施設を叩いて恐怖心を与えてから地上軍が乗り込む。「これはかつて米国がイラクにやった戦術だ」という意味合いを込めて報じていた。そこでスタジオのアンカーがムスリム系有識者へのインタビューで「これは第三次世界大戦の始まりではないか?」と口を滑らすと、その識者が「世界大戦とはどういうことですか? 白人が死ななければ世界大戦にはならないんですか?」と怒って答えていた。

 アフガニスタン戦争(2001~2021年)は米国史上最長の戦争だ。それに続くイラク戦(2003年~)。犠牲者も数十万人規模だ。これを世界大戦と呼ばないで、なぜウクライナのことだけは世界大戦なのか? その違いは何か?白人が死ななければ世界大戦ではないのか? と。あそこで起きていたことはウクライナどころの話ではない。「戦後最大の人道の危機」と騒いでいるのは、あくまで「欧州で」ということに過ぎない。戦後最大の人道の危機というのなら、もっともひどいのがイエメンだ。現在も悲劇的な状況だが、既に国際メディアから見放されている。

米国のいう民主化とは  本当の民主主義か?

 ――ウクライナでは2014年のヤヌコヴィッチ政権転覆後、とくに東部では国軍と親ロシア派との内戦が住民を巻き込んだ状態で放置されてきた。ロシアの侵攻はその結果ともいえ、そこに至るまでの問題に光を当てて解決しなければ平和と安定は訪れないのではないか?

 伊勢崎 2014年以降、ウクライナ東部の親ロシア派地域で暮らす住民が国軍から攻撃を受け続けていた。通常これだけのことがあれば国際社会は黙っていない。それから8年経っているのに民族和解などはされていない。そのツケが回ってきたとしか考えられない。だが、どんな形であれ、この戦争にいつか決着がついてみんなが冷静になったとき、これだけ分断され、傷つけあった民族がこの後どうなるのか。簡単にウクライナが東部と西部に分かれることは難しい。キエフにもロシア系の人たちはたくさん住んでいるのだ。

 だからそれを見越して南アフリカの代表が国連総会で、「対話」の重要性を説いた。人が殺し合えば溝はさらに深まる。だから、できるだけ早期に撃ち合いをやめさせて、未来に向かって、分断された民族和解の道を今のうちから考えるべきであり、それが安定への決定的な課題になる。国際社会はそこに向かって支援をするべきだ。

 ――ウクライナの経緯をみると、2004年の「オレンジ革命」に続き、2014年の騒乱(マイダン革命)で親ロシア派政権が転覆され、親欧米政権となった。米国はウクライナの反政府勢力に全米民主主義基金(NED)を通じて反政府側に資金を注いでいたといわれ、当時のオバマ政権の副大統領だったバイデンも政権転覆に深く関与していた。日本ではあまり馴染みのないネオナチやネオコンの介在が指摘されているが、実際は?

 伊勢崎 僕は「明るいCIA(米中央情報局)」と呼んでいる。「民主化」という名のもとに明るくレジームチェンジ(体制転換)していくわけだ。ネオコン(新保守主義)という発想があるとすれば、アフガニスタンからの敗走は、誰がどうみても彼らによる「自由と民主化」の敗北だった。その責任がまず米国内から追及されないように、今起きているウクライナの問題で注意を逸らす。でも、それは政治家なら誰でもそうするだろう。脅威が必要な人が脅威を煽るのが戦争であり、その脅威を常に政局化するのが国内政治だ。

 米国のNGO全米民主主義基金(NED)がウクライナにテコ入れしている2005年から、ちょうどアフガンでも同じことをやっていた。いわゆる「民主化支援」だ。当時、NHKが東欧やアラブの「カラー革命」(民主化を掲げた政権転覆運動)に資金を提供していたNEDの役割について特集番組を組み、ゲストとして招かれた僕はそこで次の様な指摘をした。

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「仮に民主主義を広めることに普遍的な価値があったとしても、対象国のある特定のグループもしくは個人を、資金力をバックにした外部の力が支援することは立派な内政干渉だ。そのなかで“内なる力を支援したのだ”とか、または“彼らに頼まれたからやったのだ”というのは、国際協力全般によく聞かれる詭弁であり、これは本音ではない。民主化支援は、いわゆるレジームチェンジのための内政攪乱工作と紙一重の非常にセンシティブな世界だ」「民主主義を育む土壌や社会システムをつくるという神聖な国際支援そのものが、果たして米国の政権にとって都合のよい政治グループもしくは個人を台頭させるという政治工作行為とどれだけ一線を画するか――。それが民主化支援に課せられた一番大きな問題だ」と。

 アフガニスタンでは、同じく民主党系のNGO団体である全米民主国際研究所(NDI)が活動していた。彼らは選挙監視などでアフガンに民主主義を根付かせるうえで一定の役割を果たしはしたが、彼らの資金源の多くは米国の国家予算であり、そうである以上、米国政府の外交政策から独立したものには絶対になりえない。

 だが、米国がやっている「民主化支援」は、民主主義の支援ではない。民主主義というのは、多数決でものごとが決まっても少数派の意見を大事にすることだ。それは包括的なものであり、原則は排除しないことだ。米国がやっている民主化支援とは、要するに米国に楯突く勢力を排除した政権をつくることであり、それを民主化と言っているに過ぎない。まさにウクライナがそうであり、アフガニスタンもイラクもそうだった。イラクではサダム・フセインのバアス党を完全に排除した。アフガニスタンでは、米国の掃討作戦のターゲットであったタリバンを民主化プロセスから完全に排除した。本当であれば彼ら敗者も民主化プロセスにとりいれる工夫をするべきだった。彼らも同じアフガン人、イラク人なのだから。
 米国の民主化は、米国のための民主化であって、その国々にとっての民主化ではなかった。


 僕は18年前、NEDの代表が東京に来たときに彼と面談したが、そのとき彼は豪語していた。「オレンジ革命は俺がやった」と――。

 彼らがやったことは民主化という名を借りた分断だ。自分たちの利益につながるのなら、それが例えイスラムのジハーディスト(聖戦士)であろうと、分断というもののために金を出す。こういう議論は、一歩間違うと「陰謀説」として片付けられてしまう。しかし、上記のことは、僕が実際に経験したことだ。

 ウクライナ危機にあたって、少なくとも今われわれは外野席にいる。だからこそ、多角的に見る、というと安い言葉になってしまうが、西か、東かの二択ではないという視点を持つことが必要だ。それは国際社会全体にもいえることだ。緩衝国家というのはいろいろなタイプがある。最初からNATOの一員である場合もあれば、中立もある。旧ソ連圏の中でも、国民のほとんどの合意で西側についても国が割れなかったバルト三国のような国もあれば、ジョージアやウクライナのように割れた国もある。ただ西側か、東側かのどちらかではない。緩衝国の生存の仕方はいろんな選択肢があるし、それは日本の将来を考えるうえでも問われていることだ。

緩衝国家が歩むべき道  二者択一なのか

 伊勢崎 先日おこなわれた韓国大統領選では、どちらかといえば北に対する強硬派が大統領になった。緩衝国家のもう一つの問題がここにある。韓国も、歴史的に北朝鮮と中国を見据えた米国の「トリップワイヤー(仕掛け線)国家」といえる。その後ろにいる日本は、後方トリップワイヤー国家といえる。この場合、対ロシアというよりも主には中国だ。だが韓国と日本には決定的な違いがある。韓国には「意思」があるが、日本にはそれがない。

 地位協定の問題ひとつとっても、NATOはかつての仇敵である旧ソ連圏の諸国に、米国を含む加盟国と対等な「互恵性」を原則とするNATO地位協定を結んでいる。例え駐留するとしても、お互いの主権を最優先する「自由なき駐留」だ。だが、日本においてはそんな議論が俎上にのぼることもなく、ただ米国に従うだけの意思のない「地雷原」国家というほかない状態だ。

 僕はここで緩衝国家という概念を広めたい。日本もその一つであるということを日本人が理解することだ。地政学上の位置づけは、天から与えられたものであり、変えることはできない。中国に「あっちに行け」とはいえない。米国は1万㌔離れた海の彼方だが、中国は目の前にあるわけだ。

 僕は、防衛省の統合幕僚学校の教員を15年やっているが、そこで必ず言うことがある。「米国は軍事上の必然性(駐留の必然性)があっても、世論がそれを支援しないと政治が判断したら無責任に退く。それが米国だ。それがアフガンで証明された」と。だから日本もみずからの足でちゃんと立って考えようということだ。

 米国がいなくなったらその穴を埋めるのはどうするのか? 残るは自衛隊しかないが、それを5倍くらい増強しなければいけないのかといえば、そうではない。それが緩衝国家を意識するということだ。緩衝国家は隣にいる軍事大国と同じ軍事力を持つ必要はまったくない。よほどの理由がない限り侵略はできない。日本で集団的自衛権を悪用した侵略が起きるとしたら、一つしか考えられない。それは沖縄の独立論みたいな話になる。だから、沖縄の人を大切に扱いましょうということになる。米国はすぐに逃げる。アフガンが一番いい例だ。

 ――このロシア侵攻が勃発する直前まで、米国はウクライナを含めた大規模な軍事演習を黒海上でやっていた。ロシアを刺激したことは疑いない。日本周辺でも同じ事が起きる可能性は危惧されないか?

 伊勢崎 敵の鼻先で行う軍事演習というのは、国連憲章第二条によって禁止されている「武力による威嚇行為」スレスレの行為だ。30年かけてやってきた東方拡大も軍事演習も含めて、これはロシアに対する威嚇行為だ。それは30年間かけてやっているから、国連憲章二条に引っかかっているという風に意義が唱えられていないだけの話だ。

 同じように北朝鮮に対しても、その周辺でずっと軍事演習をやっているのは米国と韓国側だ。この威嚇行為に対して北朝鮮がミサイルを日本海に撃つと、それが威嚇行為といわれて制裁の対象になる。こういう時に、私たちは、すべての国家間の行動はReactionary(反動的)であるということを忘れる。

 ――米国が地球の裏側まで出て行って軍事演習をすることが、その地域の安全保障に寄与するのではなく火種になっている。しかも問題解決能力を失っている。そのなかで世界は多極化し、アジア、欧州など地域問題は、その地域を構成する国々で解決するしかない趨勢にある。その意味で日本は全土に米軍基地が配置され、南西諸島では米軍と一体となって自衛隊のミサイル配備が進んでいるが、これは非常に危険なことではないか?

 伊勢崎 例えば、われわれと同じようにNATO加盟国でありながら緩衝国家であるノルウェーなどがどうやっているのかは参考になる。そのノルウェーも今の空気を読んで反ロシア世論が増し、ロシアに接する北側と南側とで温度差が広がっている。だが、ノルウェーは、戦後ずっと国是としてロシアと接する北部を非軍事地域と指定している。強い国軍を持っているが、そのノルウェー国軍でも北部では軍事演習をしない。ロシアを刺激しない。そしてNATOの一員でもある。こういうやり方もあるのに、なぜ見習わないのかということだ。沖縄は、緩衝国家日本の国防のために、非軍事化しなければいけない。

南西諸島でのミサイル配備も、時間を掛けた中国への挑発だ。非常に危険な行為だ。なんとか大国と接している緩衝国家がどういう工夫をして生存してきたのか。その苦しみも含めて共有しなければいけないと思う。

 僕の家系はサイパン入植者で、「伊勢崎」の一族郎党は、戦前に小笠原からサイパンへ行き、第二次大戦末期、現在観光名所になっている「バンザイ・クリフ」から身を投げて全滅した。一昨年に98歳で他界した僕の母を含め数人を残して。「米国は悪魔だ。捕まれば拷問され、レイプされ、殺される。そうなるくらいなら天皇陛下のために自決せよ」という言説に囚われ、みずから「死の忖度」を選んだのだ。彼らの目の前に現れた悪魔は、本当の悪魔かもしれない。だが、「悪魔化」の犠牲は常に一般市民なのだ。玉砕はまさに「国家のために死ね」といわれた犠牲者だ。なぜその日本人が現在、「国家のために死ね」というゼレンスキーを応援するのか。どう考えてもおかしい。

中立選択した北欧諸国に学ぶ  前提は主権の確立

 伊勢崎 緩衝国としての日本を再確認するうえで、今回のウクライナのケースを見るべきだと思う。少しでもそこから学んだ教訓を、日本の安全保障に生かさなければいけない。地政学上の位置づけは変えられないのだ。日本は緩衝国家であり続けなければならないが、米国はいつでも身勝手に出て行くのだから。

 そこで強調したいのが北欧のアイスランドという国だ。人口は杉並区の半分くらいの島国だが、戦後ずっと米国のための「不沈空母」といわれてきた。ロシアの弾道ミサイルはアイスランドの上空を越えて米国に到達するので、それを調査・観測するためにもアイスランドは米国にとって重要な基地だった。だが2006年に、この小さな国は55年続いてきた米軍を全撤退させた。

 その後、どうやって国防をするのか。若い首相は考えた。アイスランドはNATO加盟国だが、ロシアとうまくやって、ロシアを刺激しなければ、国軍さえもいらないという判断をした。だから米軍を追い出した後、国軍さえも持たないという選択をしたのだ。ここまで大きな組織となった自衛隊を持つ日本がそこまで行くとは思わないが、自分の足で立って考えるということは、軍事力ゼロという選択だってあるということだ。

 だから米軍がいなくなった後に、米軍にかわる軍事力として自衛隊を増強させなければいけないという方程式はありえない。つまり敵をどのように捉え、その敵とどう付き合うかという国家の“意気込み”次第で、新しい安全保障体制を築くこともできる。

 これは、中国、ロシアのいいなりになることではない。緩衝国家のノルウェーやフィンランドは人権国家だ。緩衝国家としてロシアを刺激はしないが、人権については一切妥協もしない。中国の新疆ウイグル自治区の問題などもちゃんと糾弾すべきだし、不買運動をどの国よりも率先してやるべきだ。僕は、ウイグル、香港、ミャンマー問題等、人権外交を考える超党派の議員連盟の設立にかかわったが、緩衝国家という立場は、大国にすがって主権を捨てることではなく、むしろ主権を確立し、大国との対等なつきあいを土台に築くべきなのだ。 

(おわり)         

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抜粋終わり

>「仮に民主主義を広めることに普遍的な価値があったとしても、対象国のある特定のグループもしくは個人を、資金力をバックにした外部の力が支援することは立派な内政干渉だ。そのなかで“内なる力を支援したのだ”とか、または“彼らに頼まれたからやったのだ”というのは、国際協力全般によく聞かれる詭弁であり、これは本音ではない。民主化支援は、いわゆるレジームチェンジのための内政攪乱工作と紙一重の非常にセンシティブな世界だ」

>「民主主義を育む土壌や社会システムをつくるという神聖な国際支援そのものが、果たして米国の政権にとって都合のよい政治グループもしくは個人を台頭させるという政治工作行為とどれだけ一線を画するか――。それが民主化支援に課せられた一番大きな問題だ」

>だが、米国がやっている「民主化支援」は、民主主義の支援ではない。民主主義というのは、多数決でものごとが決まっても少数派の意見を大事にすることだ。それは包括的なものであり、原則は排除しないことだ。米国がやっている民主化支援とは、要するに米国に楯突く勢力を排除した政権をつくることであり、それを民主化と言っているに過ぎない。まさにウクライナがそうであり、アフガニスタンもイラクもそうだった。イラクではサダム・フセインのバアス党を完全に排除した。アフガニスタンでは、米国の掃討作戦のターゲットであったタリバンを民主化プロセスから完全に排除した。本当であれば彼ら敗者も民主化プロセスにとりいれる工夫をするべきだった。彼らも同じアフガン人、イラク人なのだから。
>米国の民主化は、米国のための民主化であって、その国々にとっての民主化ではなかった。


そういうことを、日本のリベラル派は、考えているのかな。

考えたことなど、まず無いように思える。

ていうか考える知能の有無すら疑わしいと思うのだけど。

まあ、天皇は、日本人を低知能化・家畜化する、最強の兵器なのだよね。


天皇の無い 蒼い空をとりもどす



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