片務的な、日本の先祖供養
いわゆる「先祖供養」とかさぁ、なんかお節介っていうか介入っていうか、過保護な気がするんだよなぁ、雑な生き方して浮遊霊になるとしたら、その先祖本人「本魂?」の自己責任だし。
— 朝乃玲🧙♀️魔女🧙♀️関西弁(激辛) (@witchrei) March 28, 2023
自分や周りをほったらかしにして一生懸命先祖供養やってる人見ると、コイツ死んだら成仏しそうにねぇな〰️って思う笑
— 朝乃玲🧙♀️魔女🧙♀️関西弁(激辛) (@witchrei) March 29, 2023
へんな宗教にカモられてるだけのことが多いし。
子孫が供養してくれることを当てにしないで、今のうちちゃんと自分に向き合う生き方しといた方がいいんじゃない?と思うよ。
一生懸命先祖供養しても、子供を虐待したり、ヘイトやパワハラを繰り返すような人の、その供養に意味があるのかな・・・
日本の先祖供養って「御先祖様にひれ伏す」て感じ。子孫の自分自身の尊厳が無い。
まあ「天皇陛下万歳」っていう「天皇への絶対服従」に、似ている。
だから、天皇家も日本人も、必然的に衰亡しているのだろう。
左伝 昭公 25年
「君子たるもの、己を尊重してこそ他人を尊重できるし、礼のある交際ができる。」
ジャンヌダルクの戦友のラ・イールが
「もしもお前がラ・イルで、ラ・イルが神様だったら、ラ・イルがお前にしてほしいと思うだろうことをラ・イルのためにしてやってくれ」
て感覚が大事だと思うのだが・・・
論語に
「主君は、礼をもって臣下を遇し、臣下は、忠{真心}をもって職務に励む」
てある。
小説周公旦の中で
https://ameblo.jp/mystery-books/entry-10295397384.html
『こちらが礼を履めば、むこうも履まざるを得ません。友好の使者であれ、戦さの使者であれ、礼としてそうなる。これが私のいう礼の力というものです』
そういうものが、あまり日本の先祖供養に、感じない。
ある意味で「こちらの意思を伝え、駆け引きする」ってのが、先祖供養にも必要なはずなのに・・・
一方的に従属し、一方的に願う・・・
そんな先祖供養だから、家族が崩壊し、死産が80セントになるのも、必然だろうね・・・
ラ・イールにならって
「己のように先祖を敬い、先祖のように己を尊ぶ」
てのが大事だよね。
承認欲求が強いのは日本の教育が、次のような奴隷教育であることが原因だと思います。
・歯車として代替できる存在
・個性を殺す
・自分の頭で考えさせない(先生が教えたことを覚える)
・成績が良いと褒め、成績が悪いと叱る
成績が良いと褒め、成績が悪いと叱る教育は「成績が良くないと価値がない」という自己肯定感を破壊する教育です。
奴隷教育の「自己肯定感を破壊する」のでは、先祖供養など無意味。
「君子たるもの、己を尊重してこそ他人を尊重できるし、礼のある交際ができる。」
だし、
己を大事にしないと
「犀の角のように突き進め」
という釈迦の言葉からも違うことになるからね。
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