片務的な、日本の先祖供養




一生懸命先祖供養しても、子供を虐待したり、ヘイトやパワハラを繰り返すような人の、その供養に意味があるのかな・・・


日本の先祖供養って「御先祖様にひれ伏す」て感じ。子孫の自分自身の尊厳が無い。

まあ「天皇陛下万歳」っていう「天皇への絶対服従」に、似ている。

だから、天皇家も日本人も、必然的に衰亡しているのだろう。


左伝 昭公 25年
「君子たるもの、己を尊重してこそ他人を尊重できるし、礼のある交際ができる。」


ジャンヌダルクの戦友のラ・イール

「もしもお前がラ・イルで、ラ・イルが神様だったら、ラ・イルがお前にしてほしいと思うだろうことをラ・イルのためにしてやってくれ」

て感覚が大事だと思うのだが・・・

論語に

「主君は、礼をもって臣下を遇し、臣下は、忠{真心}をもって職務に励む」

てある。

小説周公旦の中で

https://ameblo.jp/mystery-books/entry-10295397384.html


『こちらが礼を履めば、むこうも履まざるを得ません。友好の使者であれ、戦さの使者であれ、礼としてそうなる。これが私のいう礼の力というものです』

そういうものが、あまり日本の先祖供養に、感じない。

ある意味で「こちらの意思を伝え、駆け引きする」ってのが、先祖供養にも必要なはずなのに・・・

一方的に従属し、一方的に願う・・・

そんな先祖供養だから、家族が崩壊し、死産が80セントになるのも、必然だろうね・・・



ラ・イールにならって

「己のように先祖を敬い、先祖のように己を尊ぶ」

てのが大事だよね。



 承認欲求が強いのは日本の教育が、次のような奴隷教育であることが原因だと思います。

・歯車として代替できる存在
・個性を殺す
・自分の頭で考えさせない(先生が教えたことを覚える)
・成績が良いと褒め、成績が悪いと叱る


 成績が良いと褒め、成績が悪いと叱る教育は「成績が良くないと価値がない」という自己肯定感を破壊する教育です。

奴隷教育の「自己肯定感を破壊する」のでは、先祖供養など無意味。

「君子たるもの、己を尊重してこそ他人を尊重できるし、礼のある交際ができる。」

だし、

己を大事にしないと

「犀の角のように突き進め」

という釈迦の言葉からも違うことになるからね。


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