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ダイアリー21/11/09 三浦春馬を愛するすべての人に切に願う

僕は四半世紀ほど生きてきて、親しい人が亡くなったという経験がありません。そんな僕が、人生で初めて「引きずっている死」。

三浦春馬。2020年に突然この世を去ってしまった俳優。

彼のパフォーマンスを見て魅了されたのは、彼の死の約一年前のことでした。舞台「罪と罰」、ミュージカル「キンキーブーツ」でのパフォーマンスには、彼が「one of イケメン俳優」ではないことを知らされました。特にキンキーブーツは、作品自体も、彼のパフォーマンスも、すべてが僕の人生にとって無くてはならないものになりました。

舞台を見るまで、ドラマや映画で活躍されている姿を知ってはいたけれども、彼を追いかけるまで熱狂的なファンではなかったです。それでも彼の存在がこの世からいなくなったことは今もなお、僕に喪失感を刻んでいます。これは僕だけでなく、立ち直れない人、苦しんでいる人も多いことと思います。

そして同時に、「死人に口なし」をいいことに、彼の死を消費し、貪った報道やコンテンツに、大きな憤りも感じます。様々な憶測を無責任に流し、片付けるわけでもなく次のニュースへ。これが報道の在り方かと、心底呆れました。そしてこれは報道機関・媒体だけでなく、おそらくファンであろう人によってアップロードされた、憶測混じりの動画や写真も、僕にとっては憤りを感じさせるもの以外の何物でもなかったです。


彼の死から1年以上が経った今。彼が出演した作品の公開、続編、再演、映像化。様々なニュースの中、その関係者を「口撃」し、刃を向ける方を見かけました。

「その役は春馬くん以外ありえない」「そのキャスティングは春馬君を侮辱している」「この作品の制作陣が悪いんだ」

ちょっと待ってよ、と。

彼を失った悲しみはよく分かります。彼の演じた役が最高だったのもよく分かる。
でも、彼の意志や、彼の愛した作品を、彼がいなくなってしまった世界でも続けていくために、違う誰かが意志を継いだり、彼の演じた役を演じたりもするわけで。それに対してその意志を継がんとする人たちを非難するのはどうなんだ?

愛と憎しみは紙一重なのかもしれません。でも、あなたがそうやって、彼の死を悲しむがゆえに発した言葉は、違う誰かを突き刺す刃となって、血を流しているのではないでしょうか?それは、彼への愛という免罪符があれば許されることなんでしょうか。

僕から見れば、人を攻撃するのに彼の死を使っているだけです。あえて強い言葉を使うなら、彼の死を使って殺人しようとしているんです。彼のように、突然に人生の幕を下ろしてしまう人を、その言葉が生み出しているんです。こんな悲劇はありません。

彼の死の原因は分かりませんし、それをどうこう言うつもりは全くないですが、彼を苛んだものの一つは、そうした「言葉」だったと思うのです。その言葉を受け取る人がどう思うか、その配慮に欠けた言葉だと思うのです。賞賛や勇気づける言葉を覆い隠すほどに大きく見える、大きく聞こえる、誰からともなく発される無慈悲で無責任な言葉の洪水なんです。

非難やネガティブな意見も、時には必要です。人を成長させることもあります。そうした意図で発される「あえての厳しい言葉」というのも存在するでしょう。でも、人を成長させる非難や批評は、時と場所をものすごく選びます。一歩間違えば毒薬です。

彼を愛するのなら、もう、人を傷つけるのはやめましょうよ。彼に向けた愛情を、人を傷つける刃物に変えるなんてやめましょうよ。誰も幸せになりません。

いなくなってしまった人には、もう何も届きません。でも、今生きている人には、賞賛を、拍手を、叱咤激励を、応援を、することができるじゃないですか。
愛した人がいなくなってしまう苦しみに、まさに苦しんでいるのはあなた。同じような思いをする人を増やしたいなんて、あなたは思っていないはずです。

本来この手の話は三浦さんに限った話ではないのですが、彼が突然この世を去ったことが衝撃的すぎて、顕著な例として見えているのかなと思います。

僕ごときが他人様の生き方、行動に口をはさむ権利はないと思います。それでも、三浦春馬を愛するやさしい人へ、少しでも届いたら。

この残酷な世の中が、すこしでもやさしくなるように。2021/11/09。

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