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【観劇レポ】対比と両立のマリアージュ ミュージカル「ファインディングネバーランド」

ミュージカル観劇レポ。日本オリジナル版初演を迎えたミュージカル「ファインディングネバーランド」。大阪公演の初日ソワレです。

言わずと知れた名作「ピーターパン」の物語ができるまでを描く、事実をもとにしたミュージカル。ピーターパンの作者ととある家族が織り成す舞台。

先に一言いいですか。
今年のミュージカル豊作すぎ!

現実と夢、光と影、大人と子ども、などの二つのものの対比と両立・共存が巧妙に描かれている作品。そう、この世はどちらかだけでも成り立たず、どっちもあってこそ。ただ対比させるだけじゃなく、共に在るというのが良い。非常に良い。

では、観劇レポです。

ネタバレ含みます。全国公演中につきご注意ください。

心の中のネバーランド

「年を取らないこども」が住むネバーランド。ピーターパンの舞台となるこの架空の世界は、作者のジェームズが心のなかに描いたもの。シルヴィアに初めてその存在を打ち明けたとき、ともに語られるのは幼くして亡くなった兄と、それに囚われた母のこと。
亡くなった兄とその亡霊を求め続ける母の姿。それがジェームズに生み出した、ネバーランドという夢の国。亡くなった兄が、亡くなった時のまま年を取らずに生きている国。それは夢の国というには少し悲しく、きらびやかに映れば映るほどに陰りが深くなる国。

そんなジェームズは、妻のメアリーや劇場支配人、舞台俳優たちをはじめとする現実を生きる「大人たち」にとって、童心を忘れないヤツとして見られる。とうとう妻にも愛想をつかれてしまいますが、悲しみや寂しさを夢に変えることで、彼は生きてきた。

そんな彼と心を通わせたのが、未亡人で4人の息子を育てる女性シルヴィア。ジェームズが心の内に秘めていたネバーランドの存在を彼女に打ち明けることで、ジェームズが自分らしく生きる活路を見つけ出します。夢を語ることは、年をとればとるほどに難しくなる。夢を語ることができる相手がいることの幸せと、内なる世界を人に打ち明けることで生まれる希望を感じさせるシーンです。

僕も小さい頃(というか今も割と)、一人で空想の世界を作るのが得意でした。それを公けにしたことはありませんが、このnoteがそうであるように、今の時代は自分の内にある世界を語る場所がたくさんある。その場が多いということは、それを嘲笑う人も同時に多く呼び込んでしまうのですが、自由な心を誰しも持っていて、かつ、それを持っていて良いんだ、ということが作品のメッセージの一つのような気がします。

よく「自分探しの旅に出る!」とかいう人がいますが、「自分なんて世界のどこを探しても自分の中にしかない」、と有名な誰かが言っていました(旅に出ることを批判はしていませんよ)。
もちろん、世界のいろいろなものに触れ、さまざまな人と出会うことで、探している何かが見つかることもあります。
でも、ネバーランドが現実のどこにもないように、自分がどう生きるか、どうありたいか、アイデア、イマジネーション、それらはすべて自分の心の中に、答えあるいはヒントがあるのかもしれない。自分の中の空想ばかり追いかけていてもみつからないけれど、外にある現実ばかりを見ていてもみつからないものなのかもしれません。

何が大人と子どもの線を引くのか

冒頭書いた通り、大人と子ども、というの対比的なもののが描かれる本作。

ジェームズを「こどもだ」という大人たちは、決して悪ではありません。守るべきものや目の前の生活、年を重ねるごとに現実の比重が重くなるのは当然のこと。

では現実を守る姿が必ずしも「大人」かと言うとどうでしょう。劇中の舞台俳優たちは、「ピーターパン」を上演するにあたり、こんな役はできないと文句を言いますが、その姿は皮肉にも、こどもが駄々をこねるその姿と重なります。
早く大人にならねばと、笑顔と遊びを封印してしまうシルヴィアの息子・ピーター。空想や遊びの世界を捨てることが、大人になることだと感じている彼も、空想や物語の世界から目を背けようとすればするほどに辛くなる。

何が大人を大人たらしめるのか。
現実を生きる上で、「夢見る少女じゃいられない」こともあるけど、現実ばかりを見ていても生きていけない。現実があるから夢があり、夢があるから現実がある。もしかすると、そのことに気付けることが「大人の要件」なのかもしれません。

シルヴィアという愛

主人公はジェームズなのですが、個人的にシルヴィアの存在があまりに大きすぎて、もはや濱めぐさんには五体投地で全霊の感謝を伝えたい。

「今日を生きていれば明日が来る」。劇中のシルヴィアのセリフです。毎日必死に現実を生きることも必要だけれど、同じ時間を過ごすなら楽しく自由な方がいい。夫を亡くし、自分も病に侵されていることに気付きながらも、4人のこどもたちに明るく楽しく育ってほしいと願う彼女が言うこのセリフの重みたるや。

作中で町行く人々が噂するのとは違い、ジェームズとシルヴィアは、いわゆる男女の愛によって成り立つ関係性の中にはいません。ジェームズの心に住むフック船長が「キスしろーー!」と、リトル・マーメイドのセバスチャンばりに煽りますが、一人の人間としてお互いを敬い、愛すのは、単純な言葉で表現できる関係性ではないのです。
シルヴィアという人そのものが、亡き夫への愛、息子たちへの愛、ジェームズと紡ぐ人間愛、様々な愛を体現する存在。僕みたいな人間には到底筆舌が尽くしがたい、この愛を何とか汲み取って感じてください。僕の文章じゃ伝わらないな・・・。

ちなみに、彼女はラストシーンで、ピーターパンとともにネバーランドへ旅立ちます。愛する4人の息子たちに、笑顔の母を強く印象付けながら、そしてバリに息子たちの後見を託しながら。史実では彼女は、愛する息子たちに自分の死に顔を見せないでほしい、という遺言を遺したそうです。

10割余談ですが、僕自身も母子家庭で育ちました。僕の場合は父を亡くしたわけでも、4人兄弟でもないですが、シルヴィアの姿や、そして父を亡くしたことで「はやく自分が大人にならなければ」と思うピーターの姿に、勝手に自分を投影してしまいました。同時に、ピーターがそうであるように、頭の中で物語を作ったり、キャラクターを動かすことの楽しさも、すごくよくわかる。とどのつまり共感できる要素が多くて…。
シルヴィアがピーターに言った、「世界と戦うのはもうやめなくては」という言葉、学生のころの僕にも言ってあげたい。…とか、観劇しながら色々思うところがあって、一人勝手にしんみりしたり。

キャストのお話

主人公ジェームズ・バリは山崎育三郎。そしてジェームズのソウルメイトとなるシルヴィアは濱田めぐみ。お話はこの二人を中心に展開するのですが、まあこれがふたりともハマリ役。

二人の素に近いというか(いや、素のお二人のこと知らんけど)、二人それぞれの持ち味や個性と、役のキャラクターがうまく噛み合っていて、すごく自然なキャラ造形。ミュージカル俳優を語る時、この二人を語らずして終えることはできないでしょう。

いっくんは、ルックスも声も甘いというイメージがある、言わずと知れたミュージカル界のプリンス。「エリザベート」のトートも良かったですが、ジェームズのように人間らしい、自由や人間愛を大切にするキャラクターがとっても似合う。もはやジェームズ役自体がいっくんそのもの。いや、いっくんがジェームズなのかもしれない。

そしてシルヴィア。劇中歌「行くべき場所」はシルヴィアの大ナンバーですが、俳優・濱田めぐみのすべてがそこに在りました。歌詞の意味とかメロディとかも素晴らしいですが、その歌声とメロディに乗った感情そのすべてが、脳ではなく体で感じる圧倒的な存在。ミュージカルは所々言葉が聞き取れないこともありますが、濱田めぐみについてはそれが一切ない、というのは有名な話。それでかつ声量が人間離れしていて、舞台で歌うために生まれてきた人と言っても過言じゃない。濱めぐさんを観るのは初めてじゃないけど、「歌う姿」そのものに感動したのは久々です。

劇場支配人フローマンは武田真治さん。そしてジェームズの内に潜む「フック船長」も演じます。作品の中でコメディ担当の3枚目的なところもありますが、興行的成功した考えていないように見えて、実はジェームズを信頼していることもうかがえる、人間臭い役。遊びと演劇がどちらも「PLAY」だと気付くのも彼です。

ジェームズの妻メアリーは夢咲ねねさん。初めましてでした。メアリーとしての出番が実はそんなに多くなくて、他のいろんな役もこなされていました。全然気付けないんだこれが…。
ちなみに、彼女がジェームズに怒りをぶつけるとき、弓を引く描写があって、「ふーん」と流していたのですが、劇中劇ピーターパンでタイガーリリーを演じているのは夢咲さんなんですね。パンフを読み込むまで気付かなかった。だから弓引いてるのか。ピーターパンでお馴染みのキャラクターや言動などが、ジェームズの現実の誰かとリンクしていて面白い。

シルヴィアの母でもあるモーリエ夫人・杜けあきさん。こちらも初めまして。子どもは子どもらしく、大人の言うことを聞きなさいという厳しさも持ちながら、その裏にシルヴィアや孫たちへの愛も感じるお役。若かりし頃はは自由奔放だったという設定があって、ラストシーンの茶目っ気や、げきちゅげきピーターパン上演時の、弱ったティンカーベルを復活させるために我先にと観客の拍手を煽るかわいらしさもある(ちなみにティンカーベルを復活させるために観客の拍手を求めるのは、実際に舞台「ピーターパン」である演出らしいです)。

プリンシパルに追加で、行く公演先々でお目にかかることの多い、キャナン卿演じる遠山さんについて。いっくんから豆を鼻に入れられても、たぶん3分~5分くらい静止するという体を張った演技にまずは拍手を送りたい。素敵よキャサリン…(※キンキーブーツでのお役)。遠山さんのハイトーンボイスを堪能したかったというのは少し心惜しい。

ちなみに、アンサンブルメンバーの振り付けや動きに感じるところがあって、公演プログラムを見たところ、「マリー・キュリー」「BARNUM」と振付担当の方が同じでした。なるほど。僕の好きなタイプの振付の系統にようやく自覚。

探す先に

「インナーチャイルド」という言葉があるように、きっと誰しも、少なからず自分の中に「こどもの自分」がいます。光と影は、お互いになくては存在しえないもの。
現実があまりに重くのしかかる人。辛い現実にぶち当たった時、悲しみや苦しみが襲ってくるとき、ふと、自分の中の「こども」の声を聴くと、心の中の空想の世界のドアを少し開くと、何かヒントを探し出せるのかもしれません。
逆に、自分の世界にばかり閉じこもってしまう人は、ジェームズがシルヴィアにネバーランドの存在を打ち明けたように、現実にいる誰かに少しだけ、自分の心の鍵を渡してみると、何かヒントが見つかるのかもしれません。

こどもも楽しめるわかりやすいストーリーと、大人の心に何かを残すメッセージ性。「ピーターパン」に登場するキャラクターたちが、ジェームズの周りの人々や出来事とリンクして登場する、作品としての面白さもあり、温かなメロディが多く、キャラクターが発すルエネルギーや感情が音に乗って届けられる心地よさもある。
観たあとにじんわりと心が温かくなる、そんな作品でした。

東京、大阪を経て、久留米、富山、名古屋と全国を回るツアー。大千穐楽まで無事に幕が上がり、最後の幕が降りきることを祈ります。

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