TAISHI WATANABE

舞人-bujin- 詩と思想を持って。

TAISHI WATANABE

舞人-bujin- 詩と思想を持って。

最近の記事

『恋に落ちるというのは、重力の問題ではない』

忘れがちなこの言葉。 とてもロマンスがある。 しかしここで「落ちる」という言語の表現。 落ちるんだな恋って、 物理法則じゃない、人間的な感覚として、落ちる。 急にここでの食の話、 食わない方が身体的にはいいと述べている。 これは頻度と量の話。 無駄な欲求に囚われている しかしながらコントロールしてこそ有能な欲求 これは近代的な人間観だ。 もう主体と客体の境界がどんどん曖昧になってるのが現代。 人間は自由意志によって客体をコントロールしうる、というのが近代的人間観だけど

    • 大変動〈叫び〉

      先週ぐらいだったか日付までははっきりとは記憶してない。 3年間共に暮らしていた兄弟が1匹先立った。 家に迎えると決めたその日から彼が命運尽きた時には己の血肉として身体に迎えようと決めていた。 死と反動的な生。 道化が人をいつだって感動させて 退廃なんてあるのかとマルラメは謳ってる。 頭が下がるな、身を晒して舞って舞っては馬鹿みたいに。 言語に従属しない身体の解放を常に心に刻み 虚像が どんな形になろうと無責任に暴言してやろうかと 反言語宣言だ! アジテーションな扇動な 見

      • 舞う

        『舞人-bujin-』 自らの肩書きの様なものを踊り手、ダンサーと記さずに上記の様にしている。 『踊る』と『舞う』では、 元来、「おどり」が跳躍運動であるのに対し、「まい」は旋回運動をさすものである。                     -宮田国語塾 自身の中では『踊る』というのは行為的なものに聞こえ、目を引く様な身体の在り方や生きるというのは『舞う』という表現の方が近いと感じる。はたまた風化していく様すら感じる。抵抗せず早くもなく遅くもなく、在るがまま。 此処には

      『恋に落ちるというのは、重力の問題ではない』