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年末の 達成感と 焦燥感

年末になると、なんとなく、達成感のようなものを感じる。一年を過ごしきった、やりきった、という気持ちになる。問題集を解ききったような、本を読み切ったときのような気持ちである。決して、この一年で何かをやり遂げたというわけではない。逆に、今年はダメ人間に一歩近づいたような一年であった。

例えば、去年よりも明らかに、朝に起きられなくなった。どうしても二度寝してしまうことが多かった。それに、明らかにあらゆることへのモチベーションが下がっていた。noteという、新しいことを始められたことはよかったが。

そんな一年であっても、年末の日付を見たり、年末だと周りが言っているのを聞いたりすると、感慨深く、とにかく生き切ったのだと感じる。よく頑張った、と自分をほめたくなる。謎の高揚感もある。

という話を友人にしたところ、彼はまったくそんなことは感じないと言った。彼にとっては、年末とか年越しといったものは、年末のテレビと、臨時収入がもらえるというくらいにしか考えていなかったという。なんとも冷めたやつである。

臨時収入というのは、もちろんお年玉だ。すでに大学生であって、まだお年玉がもらえるのかは不透明な状況ではあるが、これまでは僕も友人ももらえていた。子供にとってお年玉とは、大事な収入源である。

しかし僕は、年越しでお年玉がもらえるということに、あまりうきうきしていなかった。誕生日とかクリスマスとか、直接プレゼントがもらえる日の方が、よっぽど嬉しかった。考えてみれば、プレゼントは両親から一つだけしかもらえなかったし、その値段は、ほとんどが5000円以下であった。それに対し、お年玉は何人もの親戚からもらえるし、二組いる祖父母からは、特に大きな額をいただいていたと記憶している。合計すれば、5000円を優に超える額を、小学生くらいの時からもらっていたのだと思う。

でも、そんな単純計算とは裏腹に、子どもの頃の自分はそこまで浮かれていなかった。もちろん、お年玉をもらうのはうれしいし、子どもにしてはかなりの大金を前にすると、にやけてしまう。

それでも誕生日とかより冷静でいたのは、僕がほとんどお年玉を使わなかったからであろう。ほぼすべてを親に預けて銀行口座に入れてもらい、手元にはほとんど残さなかった。

貯金したのは、親の政策とか教育とかいうことではなかったと思う。小学生の4年生くらいまでは、大金を手にし、といっても一万円を超えるかどうかくらいであったと思うが、それを手元に持っているのが不安だったのだ。年越しをするのは祖父母の家であったから、自宅まで自分でなくさずに持ち帰れるかと聞かれると自信がなかった。どこかになくしてしまえば、この大金がパーになってしまう。だから、いったん母に預けていた。それから、財布に入れて持ち帰れば問題ないと自信が持てる年齢になってからも、とりあえず母に預けていた。自宅に帰り、母に、お年玉を銀行に預けるか、と聞かれ、とりあえず銀行に預けていた。そして、引き出すことはなかった。

思えば、お金に対する欲望をそこまで強くはもっていなかった。田舎の学校だったからなのかどうか、小中学生のころは、学校にお金を持っていくことが禁止されていた。欲しいものは年に二回のプレゼントで事足りたし、家事の手伝いをすればお小遣いも多少もらえ、それで基本的には間に合った。しかも、本であれば自由に買ってもらえたし、服も、必要なものは買ってもらえた。たまに、5000円くらいする、ゲームのソフトか何かをどうしても欲しくなることはあった。そのとき、お年玉の存在をはっと思い出し、急に小金持ちになったような気分になって浮かれるのだが、母に「引き出そうか?」と聞かれると、なんとなくもったいなくなって買うのをやめてしまった。子供のころから貧乏性で、貯金の残高を見てニヤニヤするタイプだったと自覚している。

高校生の時もお金をあまり使わず、結局大学生になって、貯金がかなりあることがわかった。しかも、お年玉だけでなく、母は出産祝いとしてもらったお金も僕のための口座に入れていた。出産祝いというのは出産した人に対する祝い金で、誕生した人のものではないのだから、母のものじゃないのか、と思ったが、もちろん、口には出さなかった。

さて、この金をどうしてやろうか、と思う。別に大学生のうちに使わなければいけないものではない。しかし、社会人になってしまえば、これくらいの貯金は少し頑張れば貯まるくらいだと思う。社会人になったら急にちっぽけに見えてしまうかもしれないので、大金だと思える大学生のうちに、使ってしまいたいと思っている。

といって、どう使うかが悩ましい。日々贅沢をしてすり減らしてしまうのはさすがにもったいないので、海外に旅行に行くとか、留学するとかで使いたい。というか、それ以外の使い方は投資くらいしか思いつかない。

いっそ、このお年玉を、将来自分があげる側になったときにのお年玉にしようか、などと考える。この資金を運用して少しずつ増やしながら、増えた分をお年玉として将来世代に分けていけば、持続可能なお年玉を作ることができる。サステナビリティを考える時代である。お年玉もサステナブルでなくてはならない。もらう側も、お年玉の額が景気と連動し、場合によっては一円ももらえないかもしれないということで、少しは日本経済の動向に目を向けてしまうのではないか。我ながら、面白い企画だと思う。金持ちの遊びという感じがする。

そんなことを、遠い将来のことのように考えていたのだが、気づいたら、いつ、姉やいとこに子どもができ、お年玉をあげる側になってもおかしくない年齢にあることに驚いた。自分の年齢にしてみても、平均的にはかなり早い方だが、結婚している人が普通にいる年齢である。そう考えると、結婚したいかどうかさえまだわからないのに、20代になった手前、少しだけ焦ってきた。

時の流れの速さを意識すると、やがて老いて死ぬところまでも見えてくる。そう考えると、一年が過ぎたことに達成感だけを感じているわけにはいかない。問題集のように、一年を終わらせるものだと考えていると、なんとももったいなく時が過ぎていってしまう気がして、さらにはお年玉を使わずに死んでいくような気がして、恐ろしさすらある。

かの友人も、お年玉をあげる側になれば、いやでも年末を意識せざるを得なくなるに違いない。

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