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深夜0時まで働く日々。「好きなことで生きていく」ために、あと”622日間”。

※この記事は、全文無料で閲覧可能です。
※全部自分で書いてます。寂しいです。頭大丈夫かこいつ?とか思わず、優しく生暖かく見守ってください。

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2月22日、深夜0時を回った頃に疲れた顔をして、たいしさんは現れた。約束していた時間を3時間もオーバーしていたが、仕事で疲弊した彼を咎めることは出来ない。今回取材を依頼したのは私、高木なのだ。何故彼は深夜まで働くような人生を送っているのか、これからどんな人生を歩んでいこうと思っているのか。一つずつ紐解いていこうと思う。

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○プロフィール:たいし。28歳男性。医薬品開発に携わる外資系企業のサラリーマン。「仕事辞めたい…」が口癖であることとは対照的に、深夜まで働くことも珍しくない。プライベートでは、友人とライブを開催したり、noteの毎日投稿、YouTubeを2チャンネル運営している。
○リンク:TwitternoteYouTube(薬)YouTube(心理学)

○取材日:2021年2月22-23日
○取材:高木洋平


高木:本日はよろしくお願いします!お仕事でお疲れのところ、お時間いただいてしまいすみません。

たいし:こちらこそよろしくお願いします。遅くなってしまいすみません。なかなか文書の作成が終わらなくて…。

高木:大変そうですね。いつもこの時間まで仕事をされてるんですか?

たいし:これより早く終わることもあれば、更に遅くなることもありますね。担当する試験の状況によって変わるので、僕が忙しい時はチームメンバーみんな忙しいです。

高木:そうなんですね。そのあたりも細かく聞いていければと思います。

たいし:はい。何でも聞いてください!


「イケてなかった」高校時代


高木:たいしさんは薬学部を卒業されていますが、そもそもなんで薬学部に入ろうと思ったんですか?

たいし:小さい頃からずっと、医療に強い関心があったんですよね。母が看護師をやってるってこともあるんですけど、Dr.コトー診療所※という医療ドラマを見ていて、自分も将来は人を救う仕事がしたいなって漠然と思ってました。

※Dr.コトー診療所:離島の古志木島の診療所に赴任した名医・五島健助と看護師・星野彩佳が、医療とふれあいを通して島民から信頼されていき、何気ない日常や病気との格闘を描いた物語。

高木:そうなんですね。それなら医学部も選択肢にあるのかなと思うのですが、薬学部を選んだんですね。

たいし:実は、高校時代に勉強を疎かにしてしまいまして。恥ずかしながら、高3の初めの偏差値が37だったんですよね。医学部よりも現実的に受かりそうな薬学部を志望したという、情けない理由です。

高木:薬学部を志望したのは妥協だったんですね(笑)たいしさんは10年間サッカーをやっていたとのことですが、部活動はどうだったんですか?

たいし:それが、10年やってるのにめっちゃサッカー下手なんですよ僕。身長が高かったのと、足が速かったので中学まではまだ何とかなったんですけど、高校では全く通用しなくて。部活外の時間も、朝から晩まで誰よりも練習した自信はあるんですけど、3年間ベンチメンバーにすら入れませんでした。

高木:懸命に練習に打ち込んだものの、あまり活躍できなかったと。サッカー部っていうとイケイケなイメージがあるのですが、たいしさんも青春を謳歌してらっしゃったんじゃないですか?

たいし:まったく。中学の時はイケてる奴の腰巾着みたいなポジションでしたが、高校では悲惨でした(笑)一応サッカー部のメンバーとつるんでたんですけど、何か話すと「お前は人権ないんだから話すな」みたく言われてしまって。今でも付き合ってる人は、残念ながら一人もいないんですよね。

高木:聞けば聞くほど悲しくなりますね(笑)高校時代をあまり良く思われてないと思うんですけど、得たものはありますか?

たいし:唯一仲の良かった友人に、文化祭で二人でギター弾き語りしようよって誘ってもらって、何なら一緒に練習始めてたんですけど。徐々に周りの目が気になり始めて、「そんなことしたらバカにされるんじゃないかな」「また裏で笑われるかもしれない」って思って、後日断っちゃったんですよね。それをずっと後悔していて、笑われても馬鹿にされてもいいからやれば良かったなって思ってます。

その経験があるから、周りの目が気になっても、やりたいっていう自分の気持ちを大切にしようと思うようになりました。

高木:後悔しない生き方をしようという考え方に繋がってるんですね。

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↑三兄弟の写真。たいしさんは長男とのこと。


「たくさん失敗した」大学時代


高木:高校時代をくぐり抜けて大学生となったわけですが、大学生活はいかがでしたか?

たいし:高校生活は後悔ばかりで終わったので、大学では何でも挑戦しようと思って、本当に色々やりました。自分には見合わない陽キャグループでわいわいしたり、サークルの部長をやってみたり、テストに全力注いでみたり、メンヘラな後輩と付き合ってみたり。

高木:何だか色々ありますね。サークルはフットサルですよね?部長だったんですね。

たいし:はい、部長として頑張ってました。サッカーは上手くなかったんですけど、周りの支えもあって何とか。ただ、僕に人を率いる力がなくて、離れていった部員が多かったり、陰で悪い噂をされていたりと、辛い思いも本当にたくさんしました。それでも残って盛り上げてくれた部員たち、少しでもいいサークルにしようと頭を悩ませてくれた幹事たちには、本当に感謝しています。

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↑自身が部長を務めた、フットサル部の夏合宿の写真


高木:いい経験をされたんですね。辛いことの中で得た経験は多かったのではないですか?

たいし:一番は、リーダーとして必要なメンタルが得られたことですね。メンバーから出た意見を全部聞かなくちゃとか、部外の悪い噂に対処しなくちゃとか当時は躍起になっていたんですけど、それって不可能なわけで。

部がより活気立って楽しい場所になるように試行錯誤して、結果として「魅力的で楽しい団体」を作るのが部長の責務だと思ったので、本当に必要な意見以外は責任を持ってスルーするメンタルが少しはついたかなと思います。

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↑大会出場時の写真。たまに入賞していたそうです。


高木:
なるほど。何だか面接みたいになっちゃってますね(笑)メンヘラな彼女さん、というのはどういった方だったんですか?

たいし:2年くらい付き合ってたんですけど、すごい性格が悪かったのと、とにかく束縛が酷かったです。女友達がいる場はもちろん、男友達と飲みに行くのも禁止されていました。LINEは来た瞬間に返さなくてはダメ、彼女の暇な日は必ず空けないといけない、野球観るの禁止、とかね。

一番終わってるなと思った時が、僕は心臓が少し悪いんですけど、授業の最中に病院から呼び出されたんです。その時彼女は、僕の心配なんて全くしないで、その日一緒に帰れないことに腹を立ててました。「あなたはいつも約束を守らない!」って。

高木:それ、なんで付き合ってたんですか(笑)

たいし:恥ずかしながら、共依存になってました。彼女から「あの人のLINEブロックして」とか「この場にはもう行かないで」と言われる度、彼女と他のものを比べて彼女を取るって選択を繰り返してきた中で、気づいたら彼女以外のほとんどを切り捨ててしまってたんですよね。
「俺には彼女しかいない。彼女にフラれたら何も残らない」って思い込んでて、彼女のわがままを許して、エスカレートしてっていう悪循環でした。

高木:大変な経験をしましたね。今の恋愛観に影響していそうですが、いかがですか。

たいし:彼女のために自分を犠牲にするのはやめよう、とは思ってます。あとは、自分の意思をしっかりと示して、どうしても合わないなら別れるといういう選択肢も、めんどくさいけどきちんと検討しようと意識しています。

高木:当たり前ですが、大切なことですね。

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↑大学時代の友人たち。今でも仲が良いそうです。


社会人になって始めたこと。


高木:大学時代の紆余曲折を経て、社会人になったわけですが、何か変わったことはありますか?

たいし:使えるお金と時間が増えたので、趣味の幅が広がりましたね。カメラなりゲームなりギターなり。でも一番は、カラオケ大会に出るようになったことです。社会人2年目になって仕事に余裕が出始めて、何かに挑戦したいと思ったので出場するようになりました。

高木:カラオケ大会ですか。何か賞などは取られたんですか?

たいし:ビギナーズラックなのですが、ある大会の全国決勝で3位に入ることができました。そして、その大会の推薦枠で、KWC(カラオケ世界大会)の日本代表を決定する大会の決勝に出場させていただいて、日本屈指のアマチュア組の中で歌わせていただきました。本当緊張して。僕がダントツで下手だったのですが、とても良い経験になりましたよ。

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↑KWC決勝にて「アイ/秦基博」歌唱時の写真


高木:すごいですね。そこまでいけるのなら、歌を仕事にすることは考えているのですか?

たいし:いえ、全く。高いレベルの人たちと同じステージで歌えたことで、自分の下手さ、世間には上手い人がたくさんいることを知ることができました。歌うのは好きなので、趣味として全力で楽しもうと割り切っています。

高木:なるほど。たいしさんの中で歌というのは、あくまで趣味の範疇だと認識しているんですね。

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↑東京カラオケまつり決勝にて3位入賞した際の写真


今の仕事と、これからの仕事。


高木:そして今、今日も深夜まで仕事をしてらっしゃるのですが、具体的にはどんな仕事をしているのですか?

たいし:きちんと説明するのはすごーく難しいのですが、超簡単に言うと「医薬品開発に必要なデータの管理」です。そのために定期的に病院を訪問して記録を残して、随時情報を提供しています。風通しの良い会社ではあるのですが、普通は1人1〜2試験を担当するんですけど、うちの会社だと3〜5試験とかザラに担当するので、そこが辛いですね。

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↑新人歓迎会で、同期と共に恋ダンスを踊った際の写真


高木:
1人あたりの仕事量が純粋に多いんですね。仕事をしていて、やりがいや納得感はあるんですか?

たいし:正直、自分のやっていることに社会的な価値があると胸を張って言えないです。もちろんこの仕事自体は超重要なんですけど、僕じゃなくても出来るよなこれ…って。あと、外資だからか、「仕事ができる人が人間的にも優れている」っていう雰囲気が流れているように感じてます。仕事ができても人としてどうかなって人も、中にはいらっしゃるんですけどね。

高木:そうなんですね…。そういう”やりがい”を求めている人は世の中多そうですよね。

たいし:はい。同じ会社にも、そうやって悩みながらも折り合いをつけて働いてらっしゃる方も多くいらっしゃいます。それって、仕事を”目的”と考えるか”手段”と考えるか、だと最近は思っていて。僕はどうしても、仕事をお金を稼ぐ”手段”として、上手くやり過ごすことができないんです。

高木:難しいですよね。生きていくのにお金は必要ですから、仕事をしないという選択をするのは難しいですもんね。私もライターとして働いていて、気が乗らなくても働かなくてはならない時がありますし。

たいし:ライターも大変な仕事ですよね。お疲れ様です。それでも好きなことを仕事にされているの、本当にすごいと思いますよ。僕も好きなことで生きなくちゃって、最近は思っています。

高木:そうなんですね。何かそういうきっかけがあったんですか?

たいし:はい。実は去年、少しだけマルチにハマってしまいまして。ただその中で、現状を打破しようと懸命に動き回ることや、理想を思い描いて実行に移すことの大切さを学ぶことができたんですよね。マルチを辞めてからも、今の仕事をのうのうと続けてはいけないなと考えるようになり、何でもいいから目標を定めて、しっかりと期日を決めて中身を埋めていくことにしました。

高木:なるほど。マルチがいい経験となったのですね。これからどうしていこうと考えているか、よろしければお聞かせください。

たいし:今はnoteの毎日更新と、YouTubeで薬と心理学の情報を伝えるアニメーションを投稿しています。薬の方は友人たちと一緒に投稿してます。仕事との両立はきついですが、自分の作ったものの数字が上がったり、感想を貰えた時、仕事では得られなかった”やりがい”を感じられるんですよね。
どうやってお金にしていくかはまだ見えていませんが、好きなことを継続する中で見えてくると信じて、続けてみようと思ってます。

高木:仕事との両立という状態ですが、やりがいが見つかったとのこと、とてもよかったです。好きなことで生きていけるようになるよう、応援していますね。

たいし:はい、ありがとうございます。今定めている目標は、30歳になる来年の11月8日に、今の会社を辞めて好きなことで生きていける状態になることです。今日から数えて残り622日、全力で社畜との両立で生きていきます。どうぞ、応援よろしくお願いします!

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