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アフリカの奇跡ルワンダ キガリ - エジプトから飛行機移動

エジプトからの旅程は色々と悩んだが、飛行機の値段や行ってみたかったところという観点でアフリカ中部のルワンダに行くことにした。
ここは約30年前にルワンダ大虐殺と言われるジェノサイドが起こった場所。

ツチ族・フツ族と民族が分かれ対立が起こり、欧米諸国のいろいろな勝手もあり人口のかなりが亡くなったとか。
30年経った今ではアフリカで最も安全な国とも言われており、その復興の様は「アフリカの奇跡」と称されているのだとか。

今回はエジプトのカイロからエチオピア航空を使用すいてエチオピア経由でルワンダの首都キガリへと向かった。


カイロでの小滞在

アスワンでアブシンベル神殿を見た後は、バスでカイロへと戻って来ていた。
少し滞在して、旅程を練ったりする予定だったのと、ピラミッドが見える宿み行き夜のライトアップショーを見ておきたかった。

ということで、カイロではCapo Guesthouseというテラスからピラミッドが見える宿に宿泊。
少し遠くはあるが、テラスからピラミッドがしっかりと見えた。

そして夜のライトアップショー。
遠くてあまり聞こえないが、エジプト文明の歴史をナレーションしながら場面場面でピラミッドが照らされるといった感じのようだ。

感想は、光量が少なくまぁそうでもないなぁという感じ。
宿泊して見るなら良いけど、わざわざこれを見るために夜に訪れるという必要は無いのではないだろうか。

飛行機でキガリへ

ルワンダへはカイロを深夜出発する飛行機で向かう。
バスで行こうかとも思ったが、めんどくさくなって結局Uberを頼むことにした。

そしてこのUberが正直バスを頼むよりもめんどくさかった。
結局3人めのドライバーでやっとこさ行き着くことができた。

1人目のドライバーは、ピックアップに来てくれたかと思ったら現金支払いにしてくれとか言ってくる。
もう出国するのだから現金など持っていない。
支払い方法が希望と異なるなら配車希望を受領するな。

2人目のドライバーは、来た途端アラブ語でなんかめちゃくちゃ言ってくる。
頑張ってGoogle翻訳に活躍してもらったところ、空港の敷地内に入る権利を持っていないとか。
権利持ってないのに空港行きの配車希望を受領するな。
しかもこのおっちゃん言ってることが全然まとまらなくてキャンセル処理してもらうまで5分以上かかり、10ポンドUberから請求された。

3人目のドライバーはくそ印象悪かったが、なんとか空港までは行ってくれた。
でも、まだピックアップ地点に来てないのに「もう待ってるから来い」とか連絡してきたり、
道中ずっとチップの話ばっかしてきて疲れた。もともと手持ちのキャッシュは全てあげるつもり(出国したら使い道ないし)だったんだけど、それでは足りなかったのだろう。
星1つでレビューしといた。

空港に到着したら、飛行機のチェックイン。
荷物検査のプロセスが複数回あってめんどくさかったが、特段の支障はなく飛行機は飛び立った。

経由地のエチオピアでは、プライオリティ・パスで使えるラウンジで時間を潰す。
ビールは有料そうだったので、バナナスムージーとか飲んでた。

野菜をとりあえず接種

飛行機は無事キガリに到着。ルワンダではアライバルビザが取得できる。
自分はこの後ウガンダへと向かう予定だったので、東アフリカ観光ビザなるものをアライバルで取得。100USD。

キガリの街

ウガンダではビニール袋の利用が規制されており、入国時に見つかったら全て没収されると聞いていたが、荷物検査的なものは特に無かった。

さて、空港から出たら宿まで向かう。
バイクタクシーで安く行こうと思っていたのだけれど、外に出るとタクシーの運転手につかまる。

まぁ大きい荷物も持ってるし、そこでいきなりバイクタクシーは少しハードル高いかなとも思い直し値段を聞く。

最初は20,000フランと言われる。高いなと思いバイクタクシーに乗るという素振り(英語が伝わらないため)を見せると、10,000フランまで下がった。
どこかのブログで、市内中心部までタクシーだと10,000フランくらいと見た記憶がある。私の宿は市内中心部を更に超えた村みたいなところにあるので、タクシーにしては安いかなと言うことでお願いすることにした。

ただこの運転手、場所を把握しないまま値段提示したらしく、GoogleMapで出てきた距離を見るなりいきなり値段を上げろと言ってくる。
まだ出発して間もなかったので、値段上げるなら降りるから良いよと降りる素振りをすると、10,000フランでいいからと慌てて訂正。

ただ、その後も文句みたいなことをずっと言い続けていた。
こちとら10,000フランにしてくれとは一言も言っておらず、バイタクに乗ろうとしたら勝手に向こうが値段を下げたのだ。
それ以上払う必要は無い。

何言っているかわからないが不満的なことをずっと言われながらの30分は非常にダルかった。

1日目: 宿周辺の村

今回宿泊した宿はいわゆる村的なところにあるTommy’s Budget Rooms。
ローカルな感じが味わえるとレビューにあったので、注意を払いながらさらっと近所を散策する。

丘の上にある感じ
道は村感あり

外国人はやはり珍しいのか、すれ違うたびにジロジロと見つめられる。
「チャイナー」と言われる(挨拶みたいなもんと捉えている)の、「ノー!ジャパーン!」と元気よく言い返すと、「オージャーパン!ウェルカーム!」と言われる感じ。
子どものかわいい笑顔。
なんか感じることがあるんだけど、言語化できない。

2日目:Kigali Memorial

この日はキガリのメインと考えていた、虐殺博物館へと向かう。
1994年におきたルワンダ大虐殺の記憶を留め、犠牲になった方々の魂を鎮魂することを目的として建てられたこの施設。

せっかくなので20,000フランでオーディオガイドを借りて見学。中は撮影禁止。

事前にいくつかのYouTube解説動画で勉強してはいたが、今まで見たことのなかった当時の写真や映像等もある。
おそらく完全に理解することはできないのだろう。

各資料はもちろんのこと、犠牲者の頭蓋骨が並べられている様子はとても印象に残った。
頭蓋骨に穴が空いているものも多く、それが致命傷になったのかな。。

亡くなった方々の名前

人類はジェノサイドを回避する術を見つけてはいない。一人ひとりが責任を持って行動をする必要があるとオーディオガイドでは言っていた。
どのような責任を持って行動をすればこのような悲劇を回避することができるのだろうか。

このジェノサイドは、人種の違いによる差別・区別(ツチ族・フツ族)が引き起こしたとされる。
ただ、この人種の違いはヨーロッパの国(主にベルギー)が導き出したもので、最近ではこれらの民族は根本を辿れば同一なのではないかと言われているらしい。

問題は徹底体な決めつけとそれに対する区別なのだろう。
民族というくくりで全てを決めつけて、それに対して歩み寄ろうとせず徹底的に攻撃をする。

個人としてできることとしては、少なくとも個人の人間関係で似たような考え方に陥らないことなのではないかと考えている。
「あなたはそういう人だから」「人は変わらないよ」「全然違うから」と見限るのではなく、そこを面白いと思い、受け入れ、柔軟に変化していく姿勢が重要なのだと思う。
わからんけど。

記念館からシティ側を眺める

記念館の見学を終えた後はキガリのダウンタウン的なところへと向かった。
広くはないが、清潔で安全そうな市内。

けっこう坂があり辛い
キガリモニュメント
小さいながらもゴリラ像

スーパーで必要なものの補充をしつつ、少し早めの夕食をとった。
隣の席にベルギー人とアイルランド人のカップル?がいて少しおしゃべり。

これけっこう美味しかった

お腹もいっぱいになったところで、宿に戻りこの日は終了。

3日目:バスのチケット購入

この日はまずマーケットにでも行こうかと思っていたのだけれど、どうにも眠たい。

あまり無理をしない旅を心がけているので、ひとまずしっかりと休憩をする。
ただし、次の日にはここを出ていこうと思っているので、バスのチケットは購入しておかないとなと、お昼を過ぎてからニャブゴゴバスターミナルへと向かった。

バイタクのにーちゃんにおつりで500フランあるかと聞いたら、かなり時間をかけて他のバイタク運転手に掛け合って1000フランを両替してお釣りを作ってくれた。
ホントは500フラン持っていたんだ。今後のこと考えてもう一枚欲しかっただけなんだ。ごめんよ。

噂に聞いていた通り、かなりの混雑具合。治安が良いとは言ってもここではある程度の注意は必要そう。

奥がバスターミナル

目星をつけていたバス会社はトリニティかジャガー。ウガンダのカンパラまでのバスを運行しており、日本人の利用者も多いらしい。
バス会社はすぐに見つかった。まずはトリニティ。

トリニティ値段表

値段もプリントアウトされている。25,000フラン。
出発時刻はAM9時とPM8時と言っていた気がする。

次はジャガー。
所要時間の短いバスはPM8時(25,000フラン)と9時(20,000フラン)らしい。

ジャガー値段表

ここでジャガー社の案内人みたいなのが親切に色々と案内してくれて、バスの車内とかも見せてくれた。
設備的にあまり良いとは思わなかったけど、まぁトリニティより5000フランも安いしこちらにすることに決定。

案内人の人がATMの場所を懇切丁寧に教えてくれて、現金の支払いも終わらすことができた。
次の日の21時に出発。何しよう…

乗るバス

チケットも購入したことだし、宿に戻る前に少し早めの夕食でも食べていこう。と辺りをぶらぶら。
少しディープなところに入り込んでいかつい人に手を掴まれたりしながら、食堂的なところを発見。

ローカル感あり

適当におすすめを聞いてフィッシュのなにかと炭水化物を食す。
まぁそれなりだったな。

炭水化物多すぎ

隣の席に座った現地の人と少し話したが、やはりどこも税金が高いということが重荷になっている模様。
それでも人生は悪くないと言っていたことから、30年前のジェノサイドがあっても今はそれなりの世の中になっているのかなと改めて実感。

食事を終えると特にやることもないので、バイタクに乗って宿に戻る。
次の日の移動へと備えるのであった。

あとがき

ジェノサイドがあった国の今を見てみたいと思っていた。
平和になったとは聞いており、実際にあまり危険を感じたわけではなかった。
ただ、やはり細い道に行くといきなり腕を掴まれるし、アジア人を見て笑う人はいるし、マニーマニーと言う子供はいる。
アフリカの奇跡と称されても、細かいところを見るとまだまだ良くなる部分があるのかなとも思った。
これからさらにアフリカの国々を見ていくことで、この感想も変わっていくのだろうか。


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