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「植物が育つようにお店を育てる」影山知明さんからみる、これからのコミュニティの在り方。

「僕は人になにかを強制させるのが嫌いなんです」

この言葉は、冒頭、
「今感じていることや今日期待していることを一人一言ずつお願いします」
と、僕たちが会場のみんなに言った後の、ゲストの言葉だ。

今回のゲストはクルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店を営む、影山知明さん
(このnoteは #コミュニティの教室第三期 のレポートになります)

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影山知明(かげやま・ともあき)さん1973年東京生まれ。東京大学法学部卒業後、マッキンゼー&カンパニーを経て、ベンチャーキャピタルの創業に参画。その後、株式会社フェスティナレンテとして独立。2008年、西国分寺の生家の地に多世代型シェアハウスのマージュ西国分寺を建設し、その1階に「クルミドコーヒー」を、2017年には国分寺に「胡桃堂喫茶店」をオープン。

コミュニティの四象限

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まず冒頭では、話の大枠となる四象限の話が。

コミュニティは左上から右下、そして右上に移っていくのだとか。
最初の左上は村や地方的なコミュニティ。
村では、「支え合いながら生きる」というお互いの共生関係が存在。(例えば、お祭りを定期的に開催したり、醤油を貸し借りしたり。)その共生関係は安心感や帰属感が生みます。

しかしその一方で、不自由も存在しています。
それは「関わらない自由」が担保されていないということ。例えばお祭りを開催するとなれば何らかの役割が与えられるという目に見えない不自由さや、何となくあの人の言うことには反対できないといった目に見えない不自由さも存在しています。
(個人的には、学校とかもここにあたるのかなぁと思いました。)

そんな左上の象限=共生関係にはあるのだけれど不自由である、という状態におかれると、人は自ずと右下の象限に移っていくのだそう。

右下の象限はまず何よりも自由が担保されています。自分が何を言おうが、何をやろうが、何に関わろうが、誰にも干渉されないという状態。まさに地方から東京に上京してくる感覚。

でも、右下にはそれと同時に、「孤立」という要素が含まれています。
周りに干渉されないが、逆に自分の存在すら周りから認識されていない状態。

そんな都会的な右下の次は右上の象限に向かいます。

右上の象限は、個々の自由を尊重しつつも共生関係が育まれている状態。
それは、個人個人は自由であるという前提に立ちながら、どうやったら周りと共生しながら生きていけるのだろうかという試み。

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右上はまさに、互いが互いを「いかしあう」状態であるといえます。

ここまでが、影山さんの話の前提となる大枠の話。
影山さんの話は徹底して右上の「大きな自由」を実現するための試みとして語られます。

この大枠を意識しながら読んでね。

「TAKEよりGIVEの気持ちを」

影山さんはお店を開店するにあたってまず決めた一つのルールがあるそう。
それは、「一切指示や命令をしない」こと。
影山さん自身もスタッフの一員としてフラットに議論し、みんなで話し合いながらモノゴトを進めていくのです。

それに加え、もう一つ大事にしているスタンスがあるという。
それは、「TAKEよりもGIVEの気持ちで参加する」こと。

具体的なエピソードとしてあがられたのが、クルミドコーヒーでのガーデニングの話。クルミドコーヒーは上部が賃貸住宅と共用部がある構造。
その共用部でガーデニングをやりたいと提案したAさんとそれを聞いたBさんで以下のようなやりとりがなされました。

Aさん:「できれば庭に花を植えたい。面倒も自分が基本見るけど、みんなでやれたら嬉しい」
Bさん:「いいと思うけど、僕は関心がないので、関わりません。」

Bさんは「じぶんにとって特になれば関わるけど、そうじゃないなら関わりません」というTAKEのスタンス。自分が何を得られるのかを中心においた考えです。

そしてやりとりの後、このような現象が起こりました。

Aさん:「そこまで言われるなら、僕もべつにいいです。」
・・・
周りにいた人の気持ち:「そうなるなら、僕もなにか提案するのやめようかな...。」

重要なのは、Aさんのやりたいことが実現されなかっただけでなく、周りにいた人の提案する気持ちも薄れていった、ということです。

では、逆にGIVEの気持ちで人と関わるとはどういうことなのか。
例えばBさんがこのような提案をしたらどうでしょう。

Bさん:「自分は水やりとかはできないと思うけど、植える種を買いに行くときは車を出せるから声かけてね」

こう一言いってあげるだけで、その後の結果は全然違いますよね。
最初はもしかしたら嫌々のGIVEでもいいかもしれない。それでもGIVEの波長が徐々に広がっていくと、誰かがそのGIVEを返してくれたりと、今よりも居心地の良いコミュニティになっていくかもしれない。

この例は、それぞれが自分の行動を決める自由と権利はあるけど、自分を活かすことだけでなく、周りを活かす視点を持つことの重要性を示してくれます。

入り口のデザイン

では、周りを活かす関係性のコミュニティにするために、重要なことは何なのか。

影山さんは「入り口をデザインすること」だと言います。

どういうことかというと、コミュニティに参加する人に対して、「ここはこういうコミュニティだからこういうスタンスで参加してね」と伝えるということ。
入り口をデザインするだけで、人のスタンスが全然違うのだそう。

「そもそも世の中には利己的な人・利他的な人という二項対立があり、人はどちらかに分けられる」なんてことはないですよね。
全ての人に利己と利他の両面が存在する。現代は効率やスピード、価値が求められてしまい、利己的な自分がどうしても強調されてしまう。

入り口のデザインをすることは、人の中に本来存在する「利他的な自分」にスポットライトを当ててあげることなのかもしれません。

自分の実現したいことを追求していく側面と、周りのやりたいことを応援していく側面。
両方のバランスをとることが大切なのです。

種と土

では実際に影山さんは組織をどう運営しているのでしょうか。

キーポイントは定期的に行われる影山さんとの面談なのだそう。そこでは影山さんが徹底的に聞き役に回るのだとか。

面談では現状の共有だけでなく、アイディアや最近抱えているフラストレーションなども話すのだそう。

そんな面談で影山さんが大切にしていることは「受け止めること」。そんな何を言っても受け止めてくれる場があることで、スタッフは安心してアイディアを提案出来たり、抱えてる想いをストレートに表現できるのだそう。

いろいろなアイディアが生まれてくる前提には、どんなアイディアもまずは受け止めてくれる存在と機会が大切。

そこで育まれる関係はまさに「種と土」なのだそう。
最初は影山さんが土の役割だったものが、いまではスタッフ一人一人が、土であり種であるという。
お互いがお互を支え合い、いかしあっているのだとか。

さらに影山さんは、
「植物が育つようにお店を育てたい」と一言。

お店は最初からどんな風に育つかは分からない。どんなメンバーが集まり、どんな関係性を紡ぐのか。そしてお店を通じてどんな人と出会い、どんな人が集まるのか。そしてその時の社会はどういうものなのか。カフェという幹と、一人一人の「やりたいこと」という枝が縦横無尽に育つことで、お店を大きな木にしていきたい。

お店を植物に見立て、「起こるべくして起こる」ことを大切にする影山さんの真摯な姿勢を感じました。

地域を生態系へ

そして影山さんはお店が存在する地域を生態系として育んでいるのだそう。

クルミドコーヒーという成長過程の木。さらにそこから落ちた種から胡桃堂喫茶店というもう一つの木が育った。

そうやって木を育てる一方で、その木が育つ「土」も育てているのだとか。

それは、自分達のお店をやるだけでなく、僕たちが日々生きて生活している地域という大きな生態系を意識する、ということ。

例えば近所の八百屋さんにヘルプに行くこともそう。同じ地域に住む仲間を応援し助けたいという気持ちから始めたことなのだそう。
でも、ここで出来た関係性を基に、八百屋さんでカフェを紹介してくれたり、カフェで八百屋さんの野菜を使ったメニューをだしたり。

GIVEから始めることで、ちょっとずつ前向きな重なりが出来始めてくる。
そしてその重なりから、色んな人のアイディアや種を受け止めてくれる土壌が出来始めてくる。

街広がっていったとしても、根底は何も変わらない。
TAKEではなくGIVEから始めること。

ーーーーーーーーーーー講義はここまでーーーーーーーーーーーーーー

ディスカッションタイム

以上40分の講義に対して、さらいここから、1時間以上のディスカッションタイムが続きました。

これも土の役割を徹底する影山さんらしい。
僕たちの中から芽生える種をすべて受け止めてくれました。

今回は全部を網羅することはできないので、いくつかを簡単に抜粋したいと思います。

Q1:人間関係の問題に関してマネジメント等はしているのか?
A1:ヒトとコトを分けることが大切。意見が違う=言ってることややってることに対して反対なのに、目の前の人自体が嫌いとなってしまう。前提として、あなたのことをリスペクトする。それでも、大切なのは「ぶつかることを恐れるな」本音で言い合ったからこそ、芽生える信頼関係もある。

Q2:街との関係を今後どう考えているのか?
A2:何となく定義はできるけど、「街」を主語にすることは無い。
街をこうするためになにをするか。関わるメンバーがどんどん手段になっていってしまう。街をこうするために貢献できる人は良しとされる。さらに、最短のプロセスを描こうとしてしまう。街の目的地の定義は慎重にしたい。
街には「起こるべきことが起こる」。常に目の前の1人1人との関係性の延長にある。

Q3:お店をどんな場にしたいのか?
A3:前提として、日常の中でうまくいかないことがあったときや元気がないとき、傷ついたときに「行きたいな」と思うお店でありたい。
「あなたはあなたのままでいい」と言える場でありたい。どんな自分であっても受け止めてくれる場になりたい。
「お店は太陽なのだろうか、月なのだろうか」
太陽=自ら光を発することが出来る。植物を育てることが出来たり、何かを与えられる。月=何か自分で発することはできないけど、周りの光を反射することはできる。
お店の半分は太陽かもしれないけど、お店の半分は月である。自分たちで発する光だけじゃなくて、周りの光を受け止め反射する存在でありたい。

さいごに

個人的に印象に残ったのは最後の「あなたはあなたのままでいい、と言える場でありたい。」という一言。
同じような価値観や同じような想いを抱えたコミュニティは、居心地がよく熱量も高いかもしれない。でも、それは同時にそこに合わない人を排除してしまう可能性も潜んでいる。

気付いたらそんな思考になっているときに、目の前の人をまるっと受け止めてあげる姿勢や場のあたたかさや大切さを感じました。

そして一個人としても、これからつくっていく場も、光を発する太陽でありたいし、周りの光を受け止める月でもありたい。
そう強く思った会でした。

おしまい。



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