誰に教えてもらうか

何かを学ぼうとするとき、やはり教えてくれる人は必要である。教本や独学で学ぶことも出来るが、人に教えてもらうということは、現代に生きている(活きている)スキルや思考を受け継ぐということである。なので、とても貴重で尊い学びだと思う。

僕は高校生でお芝居に出会ったので、今現在で11年経っている。もうそんな経ってしまった。それにしては中身がスカスカで実力が伴っていないかもしれない、と恐ろしく感じている。(これに賛同してくれる人はきっと多いに違いない。ただ恐れ多くも、諸先輩方を見て、僕はまだまだ若造だと思うこともあったりする。時々。)

「最近、お芝居を始めました」という方に出会った。そんな方とお話させて頂いて、僕が「高校生からお芝居始めまして…」ということを伝えると、途端に「先輩!」という雰囲気が出た。ただ単に、関わっている年数が長いだけで教えられることなんて殆ど無いのに、気付けば神輿を担がれそうになっている。これは謙遜でなく、居心地悪い。というのも、僕は初心者に対する中上級者の「先輩マウント」を倦厭しながら生きてきた。そんな先輩になりたくなくて、よく「やめてー!」と叫んでいる。こういう場において先輩ヅラしている人が見てられない。そして、しばしば自分が無意識にしていたことに気付くと、あとで猛省するのである。

右も左も上も下も分からない初心者にとって、慣れている「先輩」はやはりすごく見えがちである。ただ、いろんな人と交流した上で、第三者としてそういう「先輩と後輩」の場面を見ると、「後輩クンが目を輝かせている目の前の先輩は、そんなにすごい人じゃないよ」と言いたくなってしまう。その悪しき先輩の教えによって、後輩クンが変な成長をしてしまったら悲しい。学び始めの時期に誰に教えてもらうか、というのは非常に大切である。良い先輩と出会って欲しい。

「あの子いい演技するんだから、もっと他の劇団のお芝居に出ればいいのに」という話をたまに聞く。大抵、いい演技をする「あの子」の周りにいる先輩や仲間がいろんな意味でよく見られていない場合である。勿論、本人はその場が楽しくて居心地良くて居るのだから、第三者が言うのは余計なお世話というやつだ。しかし、もっといろんな人がいるのに、まだ視野が狭い「あの子」をどう導いてあげたら良いのだろうか。そんなことを考えてしまう。

嫌でも自分が先輩の立場になることは、沢山ある。どんな趣味でも、仕事でも、先に携わっていれば先輩だし、やはり後輩より少しは上手にこなせることが多い。だから求められれば後輩に対して真摯に教えてあげる必要がある。但し後輩は、先輩の話を鵜呑みにしてはいけない。目を輝かせる一方で、この先輩がどれだけ上手なのか、そうでないかを見極める必要がある。月並みだけど、先輩の言うことは「正しい」ばかりじゃないので、いろんな人に出会って教えを乞うべきである。一人の先輩を師匠とするのも悪いことではないが、時にそれは(悪い意味での)宗教的に見える状態で、視野が狭くなっているということである。蛙が井の中から出たとて、すぐに大海には辿り着けない。いろんな人に出会って、視野を広げて広げてやっと、物事の本質的な部分に気が付けるというものである。そのいろんな人の1人くらいになれるのなら、未熟だけども、僕も教えられることは教えてあげたいと思う。












でも、僕はずっといろんな人と出会って教えを乞う後輩でいたい。

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