「読む」@創作の種

先日、アーティゾン美術館にて「読書する女性たち」という展示を見てきた。(※1)
そこで得た知識と気付きが以下の通り。

・読書をするには識字能力が求められる
→ 習得の機会(≒教育)が必要
→ 支配者階級、聖職者、人文主義者の男性に限られていた時代(巻物)から冊子本の流通を経て、市民たちのものとなった時代へ移っていく

・読書する女性(19世紀フランス)
男女間で読書の分野に違いあり(男性:社会、経済、政治、スポーツ/女性:小説)
ブルジョワ階級男性「女性が知識を持つことは家庭の平和を乱す~小説は読者の情熱をかきたてて、貞節や秩序を脅かしかねない」
→ 社会参加をする男性と家庭を守る女性という社会的価値観。

・日本人画家が描く「読書する女性」
明治30年代、婦人雑誌の創刊ラッシュ
一方で、女性の読書を制限する動きもあり。家事をないがしろにする姿?
→ 時代背景を伝えてくれる重要な画題。

展示された複数の絵は、時代も社会的背景も、当然絵のタッチも違うのだが、「読書する女性」という誰もが為すキーワードを据えることで、ある意味平等に眺めることが出来るようになる。その分、描かれたその背景の違いが、色濃くなっていくような気がした。

ところで、「読む」という行為はどういうものだろうか?
・知識を得ること
 誰かが記した知識や情報を「読む」ことで得ることができる。
 知識は有益であり、時に脅威である。だから、上述のような制限が為されるのである。「得る」と同時に既に自分の中にある知識を「正し」たり「整理」することでもある。

・他人の思想に触れること
 広義の思想(考え方や発想とか)表現に触れること。すなわち、小説でも随筆でも論文でも、他人の思考回路の海に身を投じてみること。文学作品。

・対話すること
 自分に備わっている知識や思考や価値観等に照らし合わせること。大概は作者と読者の一対一の対話。そして自分との対話。また、一方的に伝達を受けることでもある。

・読み上げること
 声に出して読む場合、聞き手が存在する場合がある。読み聞かせとか。
 読み手は作者の分身として(作者の狙い通りになるかはともかく)記した内容を第三者に伝達する。聞き手は読み上げられる音を介在して読むことになる。

僕たちは本を手に取る場合を除き、無意識的に「読む」行為をしている。
少し注目してみると、いかに日常的で文化的な営みであろうかと思う。


今、あなたはこの文章を読んでいる。



そう、あなたのことです。何気なく読み始めたあなたは、これ以降を読むか/ここで読むのをやめるか、突如、選択を迫られる。僕自身、猪口才なことをしていると思っているので、読み続けるのはあまりお勧めしない。選択はあなたにお任せする。責任はとれない。

これ以降は創作のネタを書いてみようと思うので、興味がある方は読んで欲しい。
(この記事は不定期更新で追記されていきます)

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