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努力とは?

⚠️このnoteに着手してから3日4日ほど悩み書き直したので文として成っていないかもしれませんが、何卒よろしくお願いします。

ネットで調べると以下の通りだ

目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

たった2文字なのにすごい意味を持っている単語だと思う、人それぞれ解釈は違うし定義する範囲も違う。

今回は僕なりの努力について書こうと思う。

まず僕にとって努力とは、
夢や目標を手にするまでにする試行錯誤だと思っている。
結果論ではあるがなにか達成したあとで振り返ってから気づくことの方が多いからだ。
あの行動があの出会いにつながって、、、とか。
あれを毎日続けてたからあの人の目にとまって今ここにいるとか。何事もやって見なきゃ分からないからとりあえずやって見る、大抵失敗するがどうしたら上手くいくか考える、このやり方ではどうなるのか予測し、思いつく限りやってみる、結果たまたまでも何か一つ形になったら手することが出来たらひとまずOK。
なぜなら正解までのルートなんて無数に存在するから。


では、なんで上記のように捉えているその根源となるエピソードを書こう。

1.十年前後遡り幼小期
これは地元でバリバリモデルの仕事をしていた時期だ、この頃日は焼け・虫刺され・怪我・病気にすごく気をつけていた。
なぜならいつ仕事やオーディションの話が来ても瞬時に完璧なコンディションで対応するためだ、そのため普通の子が出来ていることが自分は出来ないことが多々あった。

虫取りは虫刺されてはいけないからダメ、学校に行く時も入念に虫除けスプレーを塗り服に虫除けシールを貼ってから登校していた。これに関してはどんな子でもやってそうなことではあるが、毎日続けるのは少々めんどくさかった。それをやらせる親はもっとめんどくさかっただろう。

極力焼けないように、、長袖長ズボンや帽子を着用、水泳の授業は最初の頃はラッシュガードを着ていた。日焼け止めは毎日どこに行くにも塗っていた、そんなの気にせず遊びに行きたいと思ったこともあったが、小さい頃から当たり前だったからそんなに苦ではなかった。

水泳の習い事。これは体を丈夫に育てたい親御さんはもしかしたら通わせてくれたもしれないが、僕も小学生中学年くらいまで毎週木曜日家から通える県体育館のプールに通わせてもらっていた。
これも当たり前になっていたが、思い返すと病気にかからない強いからだを作るための努力だったのかもしれない!?!(中学校3年間皆勤賞)

以上が1つめの努力エピソードだ、これに関しては僕自身ってよりかは、親の努力かもしれないが笑(お母さんありがとう🙏)

2.弓道
これは4年ほど前の話、
弓道部に入ったきっかけ等は今回は置いておく。
苦手なタイプの人との問題、コロナによる学校休校並びに部活動停止の問題、後輩勧誘の問題、大会の規模縮小・中止の問題などなど、入部当初眼中になかった問題が四方八方から飛び出してきた3年間だった。
どのコミュニティにも気の合わない人は必ず一人はいるだろう、僕大抵のことを気にせず流すタイプなので「嫌い」という感情を人に抱くことはほとんど無かったのだが、彼は少し違った。部というコミュニティが好きだったから尚更そう思えたのかもしれないが、彼の自己中心的な言動や度重なる同期・先輩を蔑む発言は確実に輪を乱していた、僕は今までそんな人と出会いかかわることがなかったのでとても困った、どう接すればいいのか相手の立場に立って考えてみても分からなかった、この問題は顧問の先生や部をまとめる幹部たちと話し合い彼と僕らがちゃんと部として活動できるようにすることで収まるはずだったが結局僕らが退く代替わりの時期までもつれ込んでしまった。もう少ししっかり対応出来たらなと後悔しているが、そうできなかった理由がいくつかある。

それは、コロナによって引き起こされた数々の課題・問題だった。元々僕らの代が入った時は一個上の先輩方がとても華やかで活発に活動していたため弓道部自体の認知度は高かったのだが、僕らの代は違い活動・入学説明会後の勧誘(すごい盛り上がるイベントのうちの一つ)ができない上に弓道場が少し離れた場所にあるため、全体の認知度は前年よりはるかに下がっていた。そのためSNSを使った宣伝や、各教室に行っての説明を地道に行った、その結果僕らの代よりも多い人数の子が入部してくれた、これは1つ努力の成果が出たと言っていいのではないかと思う。
しかし、部の活動が不定期(様々な理由で部活動中止になったため)になり先輩方が走ってきたレールが途切れてしまい、後輩の指導に苦戦した。
少ない活動時間の中自分らの練習と後輩の指導の両立をどうやったら保てるか何度も話し合った。
その結果例年より少し遅くなったが、二学期に入った頃には全員道場での練習に合流するところまで持っていけた。(僕らの代は夏休み中に先輩方の練習に合流し試合まで出れた人がいた)
これで解決し例年通り進めていけると安心した矢先、大会いつあるか分からないというモチベーションを保ちにくい状況に陥りました。
たかが部活だがされど部活、練習しても披露する場・ほかの学校の子達を見る機会がなければ、練習するモチベーションを保つのはなかなか難しい。こればかりは変えられない打開策のない問題だった。それでも僕らは先輩方がしてくれたように、部に来るだけでも楽しめる環境作りを試みた。
これはとても大変だった、なぜならあるものだと思っていたものが無くなり、自分たち自身モチベーションが下がっていたのだから。しかしその状況に真摯に向き合うことによって、結果的に後輩たちと楽しめる環境を作り弓道をするということがモチベーションにつながり高校3年間の部活動をやりきることが出来た。

(上記だけ見るとどの学校のどの部活にも起きたであろう問題を壮大に書いて満足してるように見られてしまうかもしれないが、これはコロナによって高校生活の3分の2を潰された僕らだから感じ・実際起こったことだと思うので悪しからずご了承ください。)

つまり何が言いたいかと言うと、当時は目の前にある壁を乗越えてただけかもしれないが、振り返って考えてみると、その話し合いや試行錯誤の一進一退が部を作る上での大事な努力だったというわけだ。

これ以上例を挙げると長くなるのでやめておく。(既に長くなってしまってる自覚あり😅)

このように目標や夢を掴むまでの過程で、問題や課題に直面した時、それを乗り越えるためにしたあれやこれが、結果的に目標や夢に繋がるそれこそが努力なのだと思う。

しかし、僕は努力という言葉が嫌いだ。
なぜなら、自分が努力だと感じたとしても他人から見たら当たり前のことであったり、上手くいかない時が続けば自己嫌悪になる原因となったり、上手くいかなかったらそれまでの全てが努力とは言えない結果に陥ったりするからだ。

だからといってもちろん何もしない選択肢は無い、それをやりたいなら覚悟を決めてやるしかないから。

努力とは、成してから振り返って感じる「お楽しみ」なのかもしれない。

今はそう捉えている。
20年と4ヶ月生きてきた今日この頃。

皆さんは「努力」という言葉をどのように捉えていますか??
ぜひ教えてください!!

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