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光を測る人

野々村晃には、人の光が見える。

結婚式のカップルの周りを取り巻く淡い桜色の輝き。
七五三の子供を包む黄金色のオーラ。
企業の社長を縁取る深いロイヤルブルーの光芒。
舞台俳優を彩る情熱的な赤い光焔。

五十一歳。フォトグラファーとして、晃は数えきれないほどの「光」を切り取ってきた。

ファインダー越しに覗く世界では、人々の感情が光となって踊る。
幸せは金色に、
決意は赤く、
悲しみは青く、
そして希望は白く輝く。

「野々村さんの写真って、不思思議なんです」
アシスタントの川島が言う。
「まるで、その人の心が見えるみたい」

晃は静かに頷く。
それは、彼の「才能」であり、「呪い」でもあった。

なぜなら——。
家族を写そうとすると、あまりに眩しすぎて、
シャッターを切ることができないのだから。

「また遅くなるの?」

妻の由美子が、台所から声をかける。
その背中から溢れる柔らかな光に、晃は目を逸らした。

三十年連れ添った妻には、最も温かな光が宿る。
だからこそ、カメラを向けられない。
ファインダー越しの光は、あまりにも眩しい。

「ごめん。今日は大切な撮影が...」
「あなたにとって、大切じゃない撮影なんてないでしょ」

由美子の声は優しいが、その光が僅かに翳るのが見えた。
写真家である晃は、皮肉にも自分の家族写真をほとんど残していない。
他人の記念日は完璧に切り取れるのに、
自分の記念日は、いつもカメラの後ろに隠れている。

「私ね、あなたの写真が欲しいの」
ふと、由美子が振り返る。
「みんなが言うわ。野々村さんの写真には魔法がかかってるって」

その瞬間、由美子の周りの光が、まばゆく輝いた。
晃は、思わず目を閉じた。

変化は、謎めいた依頼から始まった。

「光を持つ者が、光を写す」

美術館のキュレーター、森川から届いた手紙には、そう書かれていた。

「個展を開きませんか? ただし——」
翌日、森川と会った時、彼女は不思議な微笑みを浮かべた。
「あなたの"光を測る眼"を、自分自身にも向けてください」

晃は、思わず声を上げそうになった。
「私には、それは...」
「できない?」
森川は首を傾げる。
「でも、あなたは知ってるはずです。光から逃げることと、光が見えないことは、違うということを」

その言葉に、胸が震えた。

その夜、晃は古いフィルムカメラを取り出した。
デジタルではない、原点の道具。
光を記録する、最もシンプルな箱。

おそるおそる、由美子に向けてファインダーを覗く。
いつもなら眩しすぎて見えない光が、
フィルムの粒子を通すと、少しだけ柔らかくなった。

「今日は、手伝ってくれないかな」
勇気を出して、由美子に声をかける。
「僕の、新しい写真を」

由美子は、目を丸くした。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
その笑顔の周りで、光が優しく踊る。

それからの数週間。
晃は、自分と家族の光を、少しずつ記録し始めた。

朝食を作る由美子の手元を包む優しい光。
裏庭で過ごす休日の午後に漂う穏やかな輝き。
東京で画家として活動する娘とのビデオ通話の画面越しに届く、懐かしい光。

最初は戸惑っていた由美子も、今では自然に振る舞ってくれる。
「あなたの目って、本当に不思議ね」
ふと、由美子が言った。
「私たちのことを撮る時だけ、特別な光を感じるの」

晃は、はっとした。
そうか。
眩しすぎて撮れなかったのは、
この光に値しない自分から、目を逸らしていたから。

展覧会の準備が進む。

人々の人生を彩る様々な光の写真。
そして、それに寄り添うように、
家族との日常が紡ぐ温かな輝き。

不思議なことが起きた。
展示室に並ぶ写真の中で、光が踊り始めたのだ。

結婚式の写真の中の桜色の輝きが、
七五三の写真の黄金色と交差し、
家族の写真の温かな光と溶け合う。

「まるで、オーロラみたい」
訪れた人々が、目を見張る。
写真の中の光が、現実の空間に溢れ出しているかのよう。

そして、最後の一枚。
由美子と二人で写った自撮り写真。
そこには、晃が見たことのない光が宿っていた。

強さと弱さが溶け合った、
真珠のような深い輝き。

「これが、私の見ている世界です」
オープニングで、晃は静かに語りかけた。

「でも、本当は違う」
由美子が微笑む。
「これは、あなたが光を感じている世界」

その時、不思議なことが起きた。
会場の人々の周りの光が、
ゆっくりと目に見えるようになってきた。

晃だけでなく、
誰もが光を持っている。
そして、誰もがその光に気づいていない。

ファインダーから目を離しても、
今は、光が見える。
強い心も、弱い心も、
すべてが美しく輝いている。

晃は、カメラを構える。
もう、眩しさを恐れることはない。

シャッターが切れる音が、静かに響く。
それは、光の詩を紡ぐ音。
そして、それは確かに、
新たな物語の始まりの音でもあった。

(終)

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