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Shiny,Glory,Sunny Days #6 「皐月賞②」

【前回】   【目次】

 抜けるような青空、春の日差しの下、わたしはここに立っている。足元の芝の感触を、軽く確かめてみた。いつもと同じようで、やっぱり違うようで……よくわからなかったので、とりあえず気にしないようにする。
 スタート時刻が近づいてくる。
 わたしはトレーナーさんから教わったことを、一つづつ丁寧に思い出していく。
 本当にたくさんのことを教えてもらった。もがき苦しんでいたわたしを、見事に救ってくれた。そのおかげで、わたしは今こうやって夢の舞台に立てている。いくら感謝してもしきれないほどの恩をもらったと思う。本当に、なんてすごい人なんだろう。
 だけどそのトレーナーさんは、ずっとずっと苦しんでいるみたいだ。
 思えば出会ったときから、トレーナーさんの目にはなにか暗いものが浮かんでいた気がする。心の奥深くにこびりついた、シミのようななにか。
 だからわたしは、トレーナーさんの心を晴らしてあげたい、と思う。それはたくさんもらった恩を返すことにもなるし、わたしの夢――「みんなを照らす、太陽みたいなウマ娘」に近づくことにもつながるはずだ。
 だけど、それは言葉を重ねるだけではかなわないだろう。トレーナーさんが悔やんでいるのは、これまで担当してきた子たちを勝たせられなかったこと。だとしたら、晴らす方法はたった一つのシンプルな答え。
 ファンファーレが鳴り響く。すぐにゲート入り、出走の時間だ。
 そう。答えはたった一つ。それを今から勝ち取ってみせる。見ててくださいトレーナーさん。わたしは、やってやりますから!

《さあ、ゲートが開いて、スタートが切られました!》

 18人のウマ娘たちが、一斉に飛び出す。皐月賞が始まった。始まってしまった。
 サニーのスタート。わずかに体勢を崩したか。俺は息を呑む。だがサニーはすぐに立て直す。そのまま全速力。先頭ハナを奪いにかかる。一番外から一番内へ。切れ込むように駆ける。

《さあ、先行争いは何が行くか! 外からやっぱりサニーブライアンが行った! サニーブライアン逃げ宣言、敢然と先頭に立ちました!》

 思い切った走りに、場内の観衆から歓声が上がる。

《その後ろにテイエムクインビー。外目をついて13番スピードロード! 1番人気メジロプライドは最後方! 最後方からレースを進めています!》

 そうだ、いいぞサニー。完璧だ――ちょっと待て。あれは。まずい!

 全力で先頭ハナを奪え。
 トレーナーさんの教えのとおり、私はハナを目指して駆ける。17人のライバルを全てかわし、先頭に躍り出る。
 よし、上手くいった! さあ次は――。

 そう考えた私の横を、疾風のように交わしていく一人のウマ娘。

 ――え?
 一瞬見えたその子は、確かテイエムクインビーって子だ。
 どうして。彼女は別に逃げウマ娘というわけじゃなかったはず。どうしよう。あっという間にハナを奪われてしまった。どうしよう。どうしよう。
 トレーナーさん、わたしどうしたらいいんですか! トレーナーさん!

「ああ……GⅠの空気に当てられて掛かっちまったかな。嬢ちゃんにとっちゃあマズい展開だ」
 師匠がポツリと呟く。俺は何も言えず、ただ青い顔をして立ち尽くすだけだった。
「こういう展開のとき、どうすりゃいいかは教えてやったのか。おい、どうなんだ」
 俺は答えられない。
「どうなんだ」
「……一応、伝えてはいます。でも」
「でも、なんだ?」
 言葉が口から出てこなくなる。
「おい」
「……彼女は、とても素直でいい子なんです」
「急になんだ」
「だから、俺の教えを忠実に守ろうとする。彼女には、とにかくハナを奪いに行けと繰り返し伝えました。トレーニングもその作戦を踏まえて組み立てました」
 レースはそろそろ中間地点、よどみなく進んでいる。
「だから、彼女の頭と体には先頭に立って逃げ粘る、そういう走りが刷り込まれているはずなんです」
 俺は下を向く。自分の声がだんだん小さくなっていくのがわかる。
「確かに、ハナを奪えなかった場合のことも教えてはいます。だが一応伝えたという程度でしかない……彼女は、決して器用なタイプじゃない。GⅠの大舞台で、身につけた走りを急に変えることなんて――」
「この、嘘つき野郎が!」
 師匠の突然の大声に、俺は顔を上げて師匠を見た。
「お前さん、レース前に偉そうに言ったじゃねえか。嬢ちゃんを信じてる、ってな。なのに何だお前の今のザマは。それのどこが信じてるツラなんだよ」
 師匠にそう指摘され、俺はこの場から逃げ出したくなってしまう。
「……そう、ですね。師匠の言うとおりです。俺は」
「うるさい、黙って自分の担当の走りを見届けろ。最後まで全力で応援してやれ。それがトレーナーってもんだ。だいたいだな……」
 師匠はそう言って、ニヤリと笑う。
「ほら、ちゃんと見てやれよ。嬢ちゃんのほうは、全然勝ちを諦めちゃいねえじゃねえか」
 俺は息を呑み、慌ててサニーに目をやった。俺達のいるスタンドからちょうど正反対の位置、向こう正面を駆けていくウマ娘たち。先頭は変わらずテイエムクインビー、そして2番手の位置につけるのは――。
「……サニー!」

《今1200mを通過、1分13秒の平均ペース!》

 レースは中盤戦。わたしは、トレーナーさんの言葉を思い出していた。

 ――勝つために逃げるんだ。

 そうだ。わたしが逃げるのは、レースを支配するため、勝つためだ。逃げること自体が目的じゃないんだ。
 よくみなさいサニー。わたしの前を走るあの子は、勝つために逃げているわけじゃない。ウマ娘の本能――『誰よりも速く、だれよりも前へ』――を抑えきれずに、つい「逃げてしまった」んだ。だからきっと、最後まで持たない。だったら今、あの子を無理に交わす必要なんてない。
 このレース、ペースを握っているのは、支配しているのはわたしだ。さあ、トレーナーさんに教わったとおりに走ろう。2番手でいい。この位置で走り、徐々にペースを抑えスタミナを温存する。
 ほら、後ろに下がってきた。限界が来たんだ。
 かわすなら、このタイミング。そして一度かわしたならば――。

《先頭はまた、サニーブライアンに変わっている!》

 ――二度と、先頭はゆずらない!

《その後ろに13番のスピードロード! さあ、外の方からは5番の、サツマサバスも上がってきた! そして、そしてメジロプライドも外目をついた! フリーストロームも来ている!》

 最終コーナーが迫ってくる。

《さあ、最終コーナーを曲がって、最後の直線に入る! 先頭はまだサニーブライアン!》

 ここから私がやるべきことは、たった一つ。わたしは一瞬だけ目をつぶる。暗闇の中に、トレーナーさんの顔が浮かぶ。
 その瞬間、わたしの中でスイッチが入る。
「後ろを気にせず――」
 目を開ける。直線の彼方、ゴール地点が見える。スタミナは十分。
 右足、思い切り踏み込んで。
「――全てを出し切れ!」
 駆ける!

《サニーブライアン先頭! まだ3バ身のリードがある!》

 大観衆の歓声に、中山レース場が揺れていた。サニーは先頭で最終直線に突入、スパートをかけた。それを追う他の子たちも、続々と直線に入ってくる。最後の勝負。ここまで脚をためていた後続の子たちが、その末脚を解き放っていく。大地が弾み、地鳴りのような足音が響く。サニーに続々と襲いかかる、恐るべきライバルたち。

 ――だがサニーには届かない。

 サニーはスピードを保ったまま、先頭で走り続ける。
 残り200m。
 サニーのスピードがわずかに衰え始めた。さすがに限界か。がんばれ、がんばれサニー! お前なら勝てる! 勝てるんだ!
 残り100m。
 サニーはまだ先頭――だが彼女に迫りくる影が。

《サニーブライアンまだ先頭! マウントアカフジも来た! 外からメジロプライドも迫ってくる! 間を割ってアオノリューオー! そして!》

「グロスライトニング!」

 グロスライトニング、あのときの子だ。桁外れのスピード――まさに稲妻ライトニングだ。集団の真ん中から、ものすごい脚で差を詰めてくる。リードがどんどんなくなっていく。そんな、嘘だろ。
「サニー!」
 俺は力の限り叫ぶ。今の俺にはそれしか、声援を送ることしかできない。してやれない。だったらやるしかない。目を背けるな。信じろ。サニーの力を信じ切れ。
 残り、50m。グロスライトニングが、サニーに並びかける。
「サニー! 勝て、サニー!」

 ゴール前の景色が、スローモーションと化した。
 あとほんの数歩で、ゴールを駆け抜けるはずなのに。
 その数歩が、時間にして数秒の距離が、まるで永遠のように感じられて。
 サニーが逃げる。
 グロスライトニングが迫る。
 まだか。まだなのか。
 中山の直線が、こんなに長いはずもないのに。

まだか。

はやく。

お願いだ。

――終わってくれ!






《――先頭はなんとサニーブライアン、逃げ切ったあ! そして2着にグロスライトニング!》

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、全ての力を出し切ったわたしは危うく転びそうになってしまう。なんとか踏みとどまったわたしの横を、他のウマ娘たちが追い抜いていく。

 わたしは……勝てたのかな。ゴール前はただ、無我夢中で。トレーナーさんに言われたとおり、全部を出し切って。それで、結局――。
「おめでとう」
 不意に、だれかに声をかけられた。
「正直、勝てると思ったんだがな。私もまだまだ甘いということか」
「サニーはん、強かったわあ。完敗や」
「……ライトニングさん。ソーヤさん」
「ん? どうした。なんだその顔は」
「いや……その……」
 わたしは、おそるおそる疑問をぶつけてみた。
「わたし、勝ったんでしょうか」
 ライトニングさんたちは一瞬ポカンとすると、小さく笑い始めた。
「ふふふ……よりによって、そんなことを我々に尋ねるのか」
「ううう……スミマセン」
「実感がわかない、というところか。ならば、あれを見るがいい」
 ライトニングさんが指をさす。その先にあるのは、着順を示す電光掲示板。そこには、「1着 18番」の表示が灯っていた。18番……じゅうはちばん!
「ご覧のとおり、君の勝ちだな」
「あ、ありがとう、ございます!」
 私は勢いよく両手を突き上げた。手の先には、空があった。その遙か高み、輝く太陽があった。
「改めておめでとう、サニーブライアン。だが、次はこうはいかない。これから一月半で、私もソーヤもさらに強くなってみせよう。それに」
 そう言うと、ライトニングさんは観客席に目を向けた。そこには、獣のような顔でわたしをにらみつけてくる、一人のウマ娘。
「ジャスティスさん……!」
「ダービー、楽しみにしているぞ」
「……はい!」

皐月賞(GⅠ) 結果
1着 サニーブライアン 2:02.0
2着 グロスライトニング クビ差
3着 マウントアカフジ 3/4バ身差
4着 メジロプライド クビ差 
5着 アオノリューオー 3/4バ身差

【続く】

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ