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【競馬】初心者向け競馬講座~「このレースを見ろ」【ウマ娘】

ドーモ、タイラダでんです。よくいらっしゃいました。

さて皆様、競馬エンジョイしていますか?

僕は『ウマ娘』のおかげでかつてのトラウマを克服し、20数年ぶりに競馬を楽しめるようになりまして、ただいま現在進行形で楽しませてもらっています。競馬サイコー。超サイコー。

上記の記事でその辺の顛末を書いています。未読の方はぜひぜひ。

同じように『ウマ娘』からリアルの競馬を見るようになった、という声もチラホラ目にするようになりました。

しかしそこはそれ、それなりに長い歴史がある競技ですから、「興味はあるけれど、どこから入ればいいのかわからない」みたいな人も多いのではないでしょうか。さらに競馬には「博打」「ギャンブル」という負の側面があるのも確かです。僕も過去、年末の馬券売り場のそばでうつ伏せになって寝転んだまま微動だにしない人や、膝を抱えて丸まっている人を何人も目撃したことがあります。ですから、なんとなく敬遠してしまう向きもあると思います。

ですが競馬は面白いのです。スポーツとして、エンターテイメントとして、間違いなく他に負けない魅力を持つものなのです。なんとなく、で避けてしまうのはあまりにも、あまりにももったいない!

そこでこの記事では、初心者向け「競馬の面白さ」講座、のようなものに取り組んでみたいと思います。

競馬の面白さ、と一口に言っても様々あると思うのですが、その中から「ライバル同士の熱い戦い」「追う者と追われる者」「名レース・名実況」の3つを取り上げ、その象徴となるようなレースをいくつかご紹介します。

これらのレースをご覧いただいて、ほんの少しでも競馬に興味を持っていただければ幸いです。

【ご注意】筆者には上記の記事のとおり、1998年でいったん競馬を離れ、2021年にまた見始めたという経緯があります。したがいまして、2000年代の競馬事情を一般常識レベル(「なんか『ディープインパクト』って馬がすごいつよいらしい」ぐらい)でしかつかんでいませんでした(ただいま必死で後追い中です)。ですので、この記事でもその辺りの時代の馬たちにはほぼ触れられていませんので、ご容赦を。また、あくまで初心者向け記事ですので、「わかってねえなあ」「あれがない、やり直し」などと思われても「それはそうでしょうなあ」としか返せないことをご了承ください。

では参りましょう。

①「ライバル同士の熱い戦い」

あらゆる勝負事において、最も盛り上がる対戦カードとはなにか。それは間違いなく「因縁のライバル同士のぶつかり合い」ではないでしょうか。野球、サッカー、相撲にプロレス――もちろん、競馬もしかり、です。

70年代のTTGをはじめ、ウマ娘好きならおなじみの平成三強BNW、はたまた黄金世代、新しめのところではダイワスカーレットVSウオッカ(新しいかな?)などなど、枚挙に暇のないぐらいです。しかし、そのなかからこれぞという勝負を挙げるならば――1996年に行われた「阪神大賞典」ではないでしょうか。

1996年 阪神大賞典(ナリタブライアンVSマヤノトップガン)

ナリタブライアン。競馬に興味がない人でも名前を聞いたことのある競走馬としては、オグリキャップやディープインパクトに並ぶ有名どころではないでしょうか。ウマ娘化もされていますね。

中央競馬史上5頭目の三冠馬にして、「シャドーロールの怪物」の異名を持つ、間違いなく競馬史に名を刻む名馬のうちの一頭です。

ここで一つ、用語の解説をば。競馬における「三冠」とは、特定のビッグレース3つを指し、それらを全て勝利した馬に与えられる称号が「三冠馬」なのです。

世界を見渡しても様々な三冠が存在するのですが、ここ日本における「三冠」といえば、それは取りも直さず3歳牡馬限定のGⅠジーワンレース「皐月賞」「東京優駿(日本ダービー)」「菊花賞」を指します。

それぞれ、「中山競馬場・2000メートル」「東京競馬場・2400メートル」「京都競馬場・3000メートル」という、場所も距離もバラバラのレースを勝利するというのは間違いなく偉業の一つです。長い中央競馬の歴史でも数えるくらいの馬しか達成していません(ウマ娘化されているのはシンボリルドルフとナリタブライアン、ミスターシービーの三頭)。

当然、ナリタブライアンもまごうことなき名馬で、特に三冠を達成した1994年のブライアンは「この馬に勝てる馬がいるのか」と思わされるような、ある意味暴力的な強さでした(実は結構負けていましたが)。その年の年度代表馬にも選ばれています。

しかしながら、翌1995年。初戦の阪神大賞典を勝ったブライアンに怪我が判明します。なんとか復帰したものの、その後の走りは全く精彩を欠いたものでした。年間6戦して、勝ったのは怪我発覚前の1回のみ。もはや誰もが「ブライアンは終わった」と思わざるを得ない状態だったのです。

失意の95年から、復活を期した1996年へ。ブライアン陣営が初戦に選んだのは、前年に勝利した阪神大賞典でした。そこに立ちはだかったのが、前年の有馬記念の勝者にて年度代表馬――マヤノトップガンでした。

マヤノトップガン。デビューが遅れたせいで三冠レースのうち2つは間に合いませんでしたが、最終戦である菊花賞を快勝。その勢いで有馬記念も勝った同馬は、間違いなく当時の最強馬の一角でした。そのトップガンも96年の初戦に阪神大賞典を選んだのです。

阪神大賞典とは、その名のとおり阪神競馬場で行われるGⅡジーツーレースで、3000メートルという長い距離を走ります。春の大レースの一つである天皇賞(春)の前哨戦として、毎年数々の名馬が挑んできました。

天皇賞(春)……GⅠレースの一つ。3200メートル(約2マイル)という、世界的に見ても長い距離を走る。前身となったレースは明治38年から実施、勝者には皇室から盾が贈られるなど、歴史と伝統を持つレースである。

G……「グレード」の略。GⅠからGⅢまで存在する。重賞競走(英語のパターンレース毎年実施される競争の訳語)に振り分けられている、いわゆるレースの格付けのことである。

前々年度の年度代表馬と、前年度の年度代表馬との激突。怪我に泣かされ本来の実力を発揮できずにいるかつての「最強」対、遅れてやってきた現役「最強」。しかもこの二頭は前年の有馬記念ですでに激突済みで、そのときは前述のとおりマヤノトップガンが快勝しています(ブライアンは4着)。

有馬記念……中山競馬場・2500メートルにて行われるGⅠレース。ファン投票上位の馬とJRAの推薦した馬が出走できる、まさに「競馬のオールスター戦」。1990年には神が降臨したことでも有名。

ナリタブライアンにとっては、リベンジの機会でもあったわけです。逆にトップガンからすれば、かつての英雄に「引導を渡す」「格付けを完了する」舞台でもあります。

いやあ、設定盛りすぎですね。ジャンプの漫画かな? こんなもん、見ている客からすれば盛り上がらないわけがありません。

さて、勝負がどうなったか。動画の方をご覧ください。



勝者、ナリタブライアン。3着以下を大きく引き離した、まさに伝説のマッチレースと言えるものでしょう。

しかしながら、このレースに関して僕が本当に大好きなのは、当時の関係者が口を揃えて「こんなものは名勝負でもなんでもない」と言っているところなのです。彼らは言います――ナリタブライアンが本調子であれば、そもそも名勝負になどなりはしなかった、まちがいなくブライアンの圧勝だっただろうと。つまるところナリタブライアンという馬は、皆にそう言わしめるような馬だったというわけなのです。

そしてナリタブライアンはこの後、結局一度も勝てずに引退してしまいます。歴史に残る名馬ですから、今度は当然種牡馬としての活躍を期待されていました。しかしそんな矢先の1998年、腸閉塞からの胃破裂が原因でこの世を去ってしまいます。

対するマヤノトップガンは1997年まで現役を続け引退、種牡馬としても活躍馬を多数排出します。そして2019年、老衰で亡くなったそうです。

いかがですか? こういうドラマ性にあふれるレースが毎週土日に行われているのが競馬というものなのです。どうです、見たくなってきませんか?

……まだ抵抗するというのですか。よろしい、次の章に移りましょう。

②「追う者と追われる者」

競走馬には「脚質」と呼ばれるものがあります。簡単に言えば「レース中の位置取りをどこに取るか」というもので、一般的には「逃げ・先行・差し・追い込み」の四種類があるとされています。

「逃げ」はスタート直後から先頭に立ち、そのままゴールまで駆け抜けるというもの。「先行」は中団やや前方、「差し」は中団やや後方に位置を取り、そこから最終コーナー~最後の直線での先頭奪取を目指す。そして「追い込み」は集団の最後方から、ラストスパートにかける……ぐらいの認識でいいと思います。

このうち、「逃げ」「追い込み」はド派手な勝ち方になることも多く、この脚質の馬ならなんでも好き、と公言するファンも少なくはありません。かく言う僕も逃げ馬の大ファンです。逃げ馬サイコー。

というわけで、ここでその「逃げ馬」「追い込み馬」にフォーカスを当ててみたいと思います。前述の「ド派手な勝ち方」をご紹介し、競走馬たちの圧倒的なパフォーマンスをご堪能いただければ、などと思う次第です。

1998年 金鯱賞(サイレンススズカ)

それではまずは「逃げ馬」から。ご紹介するのは、みんな大好きサイレンススズカ。取り扱うレースは「1998年 金鯱賞」です。

それでは早速、動画のほうをどうぞ。

ご覧のようにサイレンススズカが「大差勝ち」(2着の馬に10馬身以上の差をつけて勝った、という意味です。ちなみに「1馬身」は約2.4メートルと言われています)をおさめました。レース開始から先頭に立ち、その後一度たりとも先頭を譲ることなく最終直線へ。後続とのあまりの差に、最終直線に入ったサイレンススズカに対して観客が思わず拍手を送ってしまったほどの圧倒的勝利でした。

あまりにも強い印象を与えてしまったのでしょう。今でもこのレースの舞台となった中京競馬場にはサイレンススズカの像が飾られており、あたかも競馬場の守り神のような存在になってしまっています。

サイレンススズカはその後、GⅠレースである宝塚記念を快勝します(結果的にこれが唯一のGⅠ勝ちとなってしまいましたが)。秋には、これまた伝説のGⅡレースとの呼び声も高い毎日王冠で、エルコンドルパサーとグラスワンダーという黄金世代2頭を子供扱いする完璧な勝利。盤石の体制で目標レースである天皇賞(秋)に挑みました。

天皇賞(秋)……東京競馬場で行われる2000メートルのGⅠレース。天皇賞は年2回行われ、始めはどちらも3200メートルだったのが、1984年から秋開催のほうを2000メートルに短縮して実施するようになった。

その天皇賞で何が起こったのか――は、まあ前述の僕の記事なりウィキペディアなりご覧いただくとして、どうでしょう皆様。この金鯱賞、未だに「伝説の逃げ馬」「最強の逃げ馬」としてサイレンススズカを挙げる声が多いのも納得のレースだったのではないでしょうか?

2000年 根岸ステークス(ブロードアピール)

続きまして「追い込み馬」です。道中は最後方でじっと我慢し、最終直線で他馬を全て抜き去るその姿は、逃げ馬に負けず劣らずの魅力にあふれています。

取り上げますのは、そんな追い込み馬の中でも有名どころ。ブロードアピールの「2000年 根岸ステークス」です。

本当はヒシアマゾンのクリスタルカップを取り上げたかったんですが、公式のレース動画が無かったので断念。

テレビでも取り上げられたことがある(らしい)ので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか? 競馬用語でいうところの「直線一気」という言葉がこれほどまでにしっくりくるレースは、そうそうないのではないかと思います。なにより、圧倒的な末脚すえあしは爽快感の塊です。単純に見ていて気持ちがいい。そんなわけで、この「追い込み馬」にも脳を焼かれてしまったファンが沢山ついているわけですね。

さて、ここまで読まれた方々には、ある疑問が浮かんだのではないでしょうか――すなわち「強い逃げ馬と強い追い込み馬が激突したらどうなるのか」という疑問が。

その疑問の答えとなるレースの一つが、昨年行われました「2022年 天皇賞(秋)」です。

2022年 天皇賞(秋)(パンサラッサVSイクイノックス)

このレースには強い逃げ馬が多数揃っており、ハイペース必至のタフなレースになると事前に予想されていました。

ところが、いざレースが始まってみると逃げ馬の多くは前に行くことを控え、抑えめのペースで走ることを選択したのです――ただ一頭、パンサラッサを除いては。

2番手以降が控えたのを確認したパンサラッサと吉田隼人騎手は、それならばと後続を大きく引き離し始めます。その差はあれよあれよという間に広がっていき、いつのまにか「独走するパンサラッサをその他の馬が追いかける」形になってしまっていました。

そんな中、計測された前半1000メートルのタイムは57秒4。これを聞いた瞬間、古くからの競馬ファンは一斉に息を呑みました。

なぜならこのタイム、サイレンススズカが命を散らした「1998年 天皇賞(秋)」において、そのスズカが叩き出したタイムと全く同じものだったからです。あまりにも速い。

およそ競馬において、1000メートルの通過タイムは1分前後が平均といえます。スピードを競うスポーツの経験がある方ならば、「2秒半以上速い」というのがどれほどのものか、実感いただけると思います。ない方は、学校で走らされた50メートル走を思い起こしてみてください。

その速さの代償ゆえか、サイレンススズカは最後まで走りきれず命を落としました。いわゆる「沈黙の日曜日」です。しかし、パンサラッサはそんな競馬ファンの思いなどどこ吹く風、「俺はパンサラッサで、サイレンススズカじゃないからね」とでも言いたげな勢いで走り続けます。スズカが止まった最終コーナーをカーブし、東京競馬場の長い最終直線へ。

このまま逃げ切るのか、「沈黙の日曜日」の続きが見られるのか――観客がそう考えた瞬間、後方からものすごい勢いで追い込んでくる一頭の馬の姿がありました。その馬の名前はイクイノックス

イクイノックスはデビューから2連勝で三冠戦線に殴り込むも、皐月賞、日本ダービーはともに2着。間違いなく強い馬なのですが、どうにも勝ちきれずにいました。

そのイクイノックスが、「後ろの馬はもう届かないのではないか」と思わせるほど開いた差をグングン詰めて迫ってくる。そうはさせまいと、最後の力を振り絞り逃げ続けるパンサラッサ。もちろん他の馬も、逃げるパンサラッサを捉えようと迫ってきます――。

結果、どうなったか。レース映像をぜひご覧ください(動画タイトルで勝者はネタバレしてしまっていますが)。

「手に汗握る」とはまさにこのこと。なんでも現地では「逃げろー!」「差せー!」という声援合戦だったそうです(ちなみに「差す」とは競馬用語の一つで、後方から来た馬が前の馬をかわすことを言います)。

サイレンススズカと同じタイムで走りながら、サイレンススズカと同じ運命をたどらずに2着に粘ったパンサラッサ。そのパンサラッサを見事にかわしてのけたイクイノックス。二頭の名馬が繰り広げたガチンコ勝負はいかがだったでしょうか。

え? じゃあ結局、逃げ馬は追い込み馬に勝てないのか、ですって?

そんなことを言う人には、次のレースをご覧いただきましょうか。「2009年 エリザベス女王杯」です。

2009年 エリザベス女王杯(クィーンスプマンテ&テイエムプリキュアVSブエナビスタ)

圧倒的一番人気であったブエナビスタ(スペシャルウィークの子です)ら有力馬が後方に控える中、クィーンスプマンテと我らがテイエムプリキュアがどんどん逃げていきます。その姿はまさに「ふたりはプリキュア」。

気がつけば「これ本当に追いつけるの?」という差がついてしまっていました。こうなった原因は一言では言い表せないのですが、「人気のない(=実力が無いと思われている)逃げ馬と有力な追い込み馬が揃っていると、時々こういう展開になることがある」ということを覚えておくといいかもしれません。

結果はご覧のとおり、猛追するブエナビスタを抑えてクィーンスプマンテと我らがテイエムプリキュアがワンツーフィニッシュ。実況の馬場アナに「これが競馬の恐ろしさ」と言わしめたレースとなったのでした。

このレース、もちろん逃げ残った2頭が主役なのは間違いないのですが、その2頭に肉薄するまで差を縮めたブエナビスタの末脚もとんでもない。影の主役と言えるものでしょうね。

ちなみに、人気の無い二頭が勝ってしまったため馬券の配当の方も大波乱で、三連単(一着から三着の馬を全て当てる方式で、配当が最も高額になる)で15457.6倍。100円かけたら154万円になって返ってくるという、こちらもある意味で伝説となったのでありました。

以上、「追う者と追われる者」の章でした。いかがでしたか、競走馬たちの圧倒的パフォーマンス。こういう熱い勝負が毎週土日に見られるのが競馬というものなのです。どうです、見たくなってきませんか? なってきたでしょう?

……まだ抵抗するというのですか。よろしい、次の章に移りましょう。

③「名レース・名実況」

およそ、各種プロスポーツには欠かせないものの一つに「実況」というものが挙げられることに関しては、疑う余地がないでしょう。

もちろん競馬にもあります、名実況。それこそ星の数ほどに。おそらく競馬ほど、「名勝負に名実況あり」を体現したプロスポーツはないのではないか、と思えるほどです。そして大体の競馬ファンは、自分の好きなレースを実況も込みで覚えているものです。

星の数ほどあるので、正直どれを取り上げるか迷ってしまうのですが……まずはやはり、「競馬実況の神様」こと杉本清アナを取り上げたいと思います。

杉本清氏といえば、それこそ競馬に詳しくない人でも名前を知っている競馬実況界のレジェンド。御大の繰り出すフレーズは詩的情緒と馬への愛情にあふれ、聞いた者の心に深く刻まれていくのです(時にはあふれすぎて「贔屓がすぎる」と叩かれることもありますが)。

そんな杉本実況から「これぞ」というものを取り上げたいと思います。それがこちら。

1987年 菊花賞(サクラスターオー)

最終直線、サクラスターオーが先頭で駆け抜ける姿に向かって放たれた「菊の季節にサクラが満開! 菊の季節にサクラ! サクラスターオーです!」の詩情たるや! 間違いなく、数ある名実況の中でもピカイチのフレーズだと思います。

そして杉本実況には、他にも名フレーズが盛りだくさん。

大地が、大地が弾んでミスターシービー!~史上に残る三冠の脚、史上に残る、これが三冠の脚だ!」(1983年 菊花賞 ミスターシービー)

私の夢は、サイレンススズカです~もう言葉はいらないのか! 二頭の一騎打ちか!」(1999年 宝塚記念 グラスワンダー)

まさに今日の京都競馬場とおんなじ……青空!」(1998年 菊花賞 セイウンスカイ)

などなど……記憶に残る名文句――「杉本節」が山のように出てきます。実況を引退されて久しいですが、後進に与えた影響はかなりのものでしょうね。まさにレジェンド。

続いては、三宅正治アナの実況をご紹介したく思います。『めざましテレビ』の司会としてご存じの方も多いのではと思いますが、そもそも三宅アナは「日本ダービーの実況がしたい」からフジテレビに入社した、スポーツ実況のスペシャリストなのです。

そんな三宅アナの実況は、杉本アナの詩情に対して熱情と言いますか、とにかく聞いた者の心を昂らせるようなモノになっています。

そんなアツイ三宅実況の真骨頂がコチラ。

2000年 日本ダービー(アグネスフライトvsエアシャカール)

まずは動画をご覧あれ。

スタート時点ではある程度落ち着いたテンションでスタートした実況が、中盤の「さあエアシャカールが動いたぁ!」から一気にヒートアップ、最終直線に入ったところで「生涯一度の夢舞台! 残り400! 栄光まで400!」からの「エアシャカールエアシャカールアグネスフライト来たー!」からの「河内の夢も飛んできている!」!!!

聞き手のテンションも否が応でも盛り上がるってもんです。

そして最終盤、もつれ合うようにゴール板を駆け抜ける2頭に向けて放った「河内の夢か、豊の意地か、どっちだー!」の破壊力! 

聞いているだけで拳を握りしめて振り上げたくなってしまう、熱量マシマシの名実況と言えるでしょう。三宅実況はとにかく盛り上げ上手、スポーツ実況かくあるべし! と言った感じで、聞いていて本当に熱くなれます。

三宅アナのダービー実況は、他にも名実況の宝庫です。

並ばない! 並ばない! あっという間に交わした!~夢をつかんだ武豊!」(1998年 日本ダービー スペシャルウィーク)

母ベガの二冠達成から6年! またもその息子が輝く一等星に!  アドマイヤベガ!」(1999年 日本ダービー アドマイヤベガ)

そしてなにより……

サニーブライアンだ! サニーブライアンだ! これはもう、フロックでも、何でもない! 二冠達成!」(1997年 日本ダービー サニーブライアン)

とまあ、こんな感じで魂震わす名実況が毎週土日に聞けるのが競馬というものなのです。どうです、見たくなってきませんか? なってきたでしょう?

なってきましたか。
それは良かった。

未来へ……

そんなわけで、競馬の魅力をいろいろな点からご紹介する記事だったわけですが、いかがなものだったでしょうか。競馬の魅力は他にも「血のドラマ(血統関係)」「人の縁(騎手・馬主・調教師・厩務員・牧場関係者etc)」などなど、挙げ始めたらキリがない感じです。

相当に奥深く、ハマってしまったらだいぶんお脳を焼かれてしまうとは思いますが、そのぶん一生続けられる趣味だと思います。

皆様がこの記事をきっかけにして競馬に興味を持ち、楽しめるようになっていただければ幸いです。

ああそうそう、最後に大切な言葉をお伝えしてこの記事を締めたいと思います。

「馬券は20歳になってから ほどよく楽しむ大人の遊び」

JRAホームページより

◇おわりです◇

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ