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「沈黙の日曜日」をこえて #競馬 #ウマ娘

 母の百箇日法要のため、実家へと帰ったときのことだ。

 およそ一時間ほどで法事は終了し、家族が用意してくれた弁当を食べた後でまったりしていた午前三時ごろ、僕は居間のテレビをつけた。チャンネルを変え、目当ての番組に合わせる。

 目に飛び込んできたのは、鮮烈なほど白い馬。ソダシだ。

 最近、僕は多分にもれずゲーム『ウマ娘 プリティダービー』にハマっている。いや、正確に言えば、ゲームがリリースされるより前、アニメの第1期が放映されていた頃からハマっていた、という方が正しいか。

 第1期放映時にはゲームがリリースされるのかちょっと怪しかったとは言え、もし無事にリリースされたら必ず課金してやろう、と決意していたぐらいには、この『ウマ娘』というコンテンツにハマっていたのである。

 なぜか。それを語るには、僕にとっての競馬が1998年11月で一度終わっていた、というところから始めなければならないだろう。

 『ウマ娘』アニメの第1期、主役であるスペシャルウィークやライバルたちが活躍していた1998年、その11月。僕は馬券を握りしめ、ウインズ(場外馬券売り場)にいた。僕がいちばん好きな馬が、大勝負に挑むところを応援するためだ。

 当時の僕には、なぜだかさっぱりわからないが「ワルい先輩」や「ワルい友人」が結構いて、彼らから「ワルい遊び」を色々教えてもらったものだったが、その中のひとつに競馬があった。僕は、すぐさまその魅力に取りつかれてしまった。

 数ある「ワルイ遊び」の中で、なぜ競馬にだけ大ハマリしてしまったのだろうか。今思うに、理由は2つだ。

 1つ目。競馬というものには数多くの「ドラマ」が、「エピソード」があった。それは三大始祖から脈々と受け継がれる血縁のドラマであり、調教師、騎手、馬主、ファン、アナウンサーからダフ屋予想屋に至るまでの、競馬に関わる様々な人々のドラマであり、もちろん競走馬たち自身のドラマである。

 数十年の歴史を持つそれらは、僕のオタク的好奇心を刺激するに余りあるものであった。僕は関連書籍を読み漁り、過去の名レースの映像を見まくった(もちろん、当時は動画サイトなるものなど存在しなかったので、近所のレンタルビデオ店をぐるぐる回って手に入れていたものだ)。

 この情熱に近い感情、『ウマ娘』から競馬そのものに興味をもち、馬たちのことを知ろうとした人ならばわかってもらえると思う。

 もうひとつは単純で、初めて自分の金を出して(小遣い銭程度ではあったが)買った馬券が当たってしまったからだ。ありがとうサニーブライアン。お前のことは一生忘れないよ。僕は今でも、足元が無事なら君は三冠馬になれたと思っているからね。

 さて、サニーブライアンの名を出したことでお分かりのかたもいるかもしれないが、僕は競走馬の中でもいわゆる「逃げ馬」が好きだった。

 スタートから果敢に先頭に立ち、そのポジションのままゴールまで駆け抜ける。勝つときも派手、負けるときも派手。競馬初心者にもその魅力がわかりやすい馬たちだ(おかげで「ワルイ先輩」たちにはずいぶんとからかわれたものだ)。

 過去から現在に至るまで、競馬の歴史の中にはさまざまな「逃げ馬」が存在したのだが、1998年の時点で僕が応援していたのはそのうちの2頭。セイウンスカイと……サイレンススズカだ。

 どちらもウマ娘になっているので、ご存知の方も多いと思う。

 1998年11月とは、つまりはこのサイレンススズカが秋のG Iレース『天皇賞』に挑んだときのことなのである。

 サイレンススズカという馬は、1998年に入って俄然強くなっており(その前年までは、正直一流半ってところだったと思う)、とくに天皇賞の前のレースと、さらにその前のレースの勝ち方が圧倒的と言えるものだったので、僕も含めたファンは誰一人としてサイレンススズカの勝ちを疑っていなかった。

 大げさだと思うなら、「サイレンススズカ 金鯱賞」または「サイレンススズカ 毎日王冠」で動画のひとつも検索してみればいい。こんなパフォーマンスを見せられて、期待するなと言われるほうが無理というものだ。

 当時の空気は、勝つのは当たり前、後続の馬を何馬身(一馬身で約2.4mだそうだ)突き放して勝つか、どれぐらいの時計(走破タイムのこと)を叩き出すかのほうに、みんなの興味が向いていた……そう言い切ってしまえるようなものだった。

 僕はサイレンススズカの単勝馬券(儲けなど出ない、100%の応援馬券だ)を握りしめながら、彼が先頭でゴールまで駆け抜ける姿を夢想していた。

 そして、それは僕の目の前で起こった。ウインズの、大型液晶モニター越しではあったが。

 『ウマ娘』のアニメ(第1期)を見たり、『ウマ娘』から興味を持ってサイレンススズカのことを調べたりしたことのある方ならば、このとき何が起こったのかきっとご存じのことだろう。ご存じでなければ、「サイレンススズカ 天皇賞」なり「沈黙の日曜日」なりで検索していただければいい。

 そう。サイレンススズカは、レース中に左前脚を骨折した。まともに歩けなくなるほどの骨折だ。そして彼ら競走馬にとっての「歩けない」「走れない」とは「生きていけない」と同義だ(「予後不良」という)。

 結果、サイレンススズカには安楽死の処置がとられることとなった。

 僕は今でも鮮明に覚えている。スタートした瞬間、ものすごい勢いで先頭に立ち、そのまま後続をどんどん引き離していくサイレンススズカの雄姿。それを見て湧き上がる、競馬場の、ウインズの観客たち。そしてその熱狂と興奮がスン……と冷えた、あの瞬間のことを。

 そのときから僕は、競馬を見ること、楽しむことが一切できなくなった。

 したがって、その後のテイエムオペラオーやディープインパクトなど、そうそうたる名馬たちの大活躍もよく知らない。ダイワスカーレットやウオッカ、ゴールドシップなんて名前すら知らなかった。本当に競馬に対して、一切のかかわりを断っていたのだ。

 それから何年か経ったころ、僕はたまたま、ほんとうにたまたま『ウマ娘』というコンテンツの存在を知った。第一印象としては正直、あきれ半分不安半分、といったところだったと思う。とはいえ、あのころの馬たちの名前がずらりと並んでいると、さすがに興味は沸いてしまう。

 ウマ娘たちの名前を見てみる。おお、主役はスペシャルウィークか。セイウンスカイのダービー制覇を阻んだあの末脚はすごかったなあ。悔しいが確かに強い馬だった。主役にふさわしいかも。お、そのセイウンスカイもいるじゃん! そうだ、お前の菊花賞だけはがんばって見たんだったなあ。

 っておい……サイレンススズカがいるじゃないか。マジか。

 え? サイレンススズカ? 『ウマ娘』がどんなアニメか知らないけれど、もし史実をなぞったストーリーにするのであれば、必然的にあの出来事に触れなくちゃいけなくなるんですが。え? そんなハードな展開盛り込んじゃうの? 女の子になった馬たちがキャッキャウフフするだけのアニメじゃないの? でも作品紹介の文に「レースでの勝利を目指す」とか書いてるし……。

 まずい、あたまがばくはつしそうだ。というわけで、とりあえずアニメを見てみることにしたのだ。

 実際に見てみてわかったことがある。『ウマ娘』を作っているスタッフは、間違いなく競馬そのものを深く愛しているのだということだ。

 節々から感じ取れるその愛情を、言葉にすることは難しい。ただ、ある程度多様なコンテンツに触れた経験のある方なら「この作品は、こういうのが好きで好きでたまらないヤツが作っているな」というのが感じ取れるような作品に出会ったことがあるのではないだろうか。

 僕は毎週繰り広げられる熱いストーリー(スポ魂ものの手法で描かれるそれは、間違いなく視聴者の心を震わすものだった)を大いに楽しんでいたのだが、同時にかすかな不安も感じていた。

 劇中でのサイレンススズカが着々と勝利を重ねていたからだ。あの1998年のように。お膳立てが整っていく、というやつだ。

 そして第7話、とうとうその時がやってきた。アニメの中でも、あの日のようにサイレンススズカは天皇賞に出走し……そして。

 サイレンススズカ(という名を持つ女の子、だが)は再び足を骨折して、レースを最後まで走り切ることができなかった。僕の記憶の中にこびりついていたあのシーン、「沈黙の日曜日」が再び目の前で起こったのだ。

 信じられなかった。正直、扱わないという選択もできたはずだ。なにせこれより前の回で、話を盛り上げるために史実とは違う展開をやってのけた製作陣だ(僕はこの改変は大正解だと思っている)。「沈黙の日曜日」なんて悲惨なできごと、『ウマ娘』の世界線では起こらなかったんですよめでたしめでたし、と押し通すこともできたはずなのだ。

 しかし制作陣は、そのやりかたを選ばなかった。サイレンススズカの悲劇に、真正面から向き合ったのだ。

 だが、『ウマ娘』はそこで終わらなかった。終わらせなかった。次の回、その次の回と、丁寧に丁寧にエピソードを重ねていった。そしてついには、サイレンススズカを復帰レースに出走させたのだ。悲劇の名馬は、再びターフに舞い戻ってきたのである。

 僕は、ぼろぼろと泣いてしまっていた。確かに最近はすっかり涙腺が緩くなってしまっていたとはいえ、それを差し引いてもかなり本気の涙だったと思う。

 その涙は、感動よりもむしろ感謝の涙だった。

 もちろん、復帰したのはあくまでもウマ娘のサイレンススズカであって、「あの」サイレンススズカではない。架空の存在、夢想のできごとに過ぎない。

 しかし、だ。そんなことはどうでもいいのだ。「あの」サイレンススズカと同じ名を持つ女の子が、「あの」サイレンススズカと同じ日に同じく脚を折り、だが「あの」サイレンススズカと同じ道をたどらずに戻ってきた。戻ってきてくれた。戻してくれたのだ。「ありがとう」と言わずになんと言うべきなのか? 製作陣にありがとう。ウマ娘のスズカにありがとう。そして何より、あのときの僕に夢を見せてくれてありがとうサイレンススズカ!

 そんなことを思いながら『ウマ娘』第1期を見終えたのだった。

 で、だ。ゲームでは、彼女たちウマ娘を自分の手で育成できるらしい。ということはつまり、サイレンススズカを自分の手で育てられるということだ。そしてなにより、因縁の天皇賞を勝たせられるかもしれないということだ、この僕の手で! 

 ゲームが出たら必ず課金します、むしろさせてください……などと僕が思ってしまってもしょうがないことが、お分かりいただけたのでは無いだろうか。

 ところが、だ。そのゲームがいくら待っても出ない。事前登録から3年ほどがたったが、まだ出ない。おいおい大丈夫か。そのうちにやっと出たPVでは血沸き肉躍るレースどころか、なんかほのぼのマラソン大会が実施されていて、みんなの不安をあおった。おいおい大丈夫か。そうこうしているうちに、今度はアニメの第2期が先に始まってしまった。おいおいおいおい大丈夫か。

 この第2期だが、今度はトウカイテイオーを主人公にすえ、史実だと第1期の少し前にあたる時代を扱っていくものだった。で、これがまたはちゃめちゃに面白い。

 トウカイテイオーという馬は、そもそも彼のたどった史実自体がドラマチックに過ぎるのだが、それをまた上手いこと料理して極上のストーリーに仕立て上げていた。脚本も演出も、第1期以上の出来栄えだったと思う。どこのだれが「あの」ツインターボの走りで泣いてしまうなんて想像できるだろうか!

 その放映期間中、突如としてゲームがリリースされるとの告知が出た。正直に言うと、内心では「もうゲームは出ないんじゃないかな」ぐらいは思っていたので、かなり驚かされてしまった。

 とはいえ、待ちに待っていたゲームのリリースである。リリース当日、期待半分不安半分でダウンロードし、ゲームを立ち上げた。キャンペーンで好きなウマ娘がGETできるということだったので、一瞬の躊躇もなくサイレンススズカを選んだ。そして。

 僕の育てた(そう、「僕の育てた」だ)サイレンススズカは、天皇賞で見事に勝利を収めた。2馬身しか離せなかったのは不満だが。

 あの日と同じように、スタートから果敢に先頭に立ち、あの日と同じように、後続の馬に影すら踏ませなかった。違うのは、今度こそ最後まで走り切ったということだけだ。「沈黙の日曜日」は、「栄光の日曜日」に塗り替えられたのだった。

 お恥ずかしい話ながら、相手はスマホの中のデータに過ぎないというのに、いつしか僕はサイレンススズカに本気の声援を送っていた。スマホに向かって「行け、走れ!」などと叫んでいるオッサンは、傍から見れば正気を疑われかねない姿だっただろうが、やってしまったものは仕方がない。

 ただ、同じことをした、またはやりかけた人は結構いたのでは無いか、と勝手に思っている。特に僕のように、「あのときの無念を晴らす」または「あの日の夢を叶える」という動機でこのゲームに手を出したような人は。

 大満足のうちにゲームをいったん止めて、ふと気付いた。「久しぶりに、リアルの競馬も見たいな」と思っている自分がいることに。あれほどまでに忌避していた、本物の競馬を。

 レース予定を調べてみる。直近の大レースは……桜花賞。その出走馬の中に、なんと白毛の馬がいるらしい。それがソダシだ。

 実際に写真を見てみて、その美しさに驚いた。そもそも馬という生き物は美の結晶、美しさそのものなのだが、その中でも群を抜いていると思ってしまった。しかも有力馬の一頭らしい。美しく、かつ強い。

 よし、応援しよう。すぐさまそう決めた。実にミーハーな感覚だが、僕は昔からそうだったので何も問題はない。ソダシいいじゃないか。逃げ馬じゃないのは残念だったが。

 そんなわけで冒頭に至る。動いているソダシは想像以上に美しくて、ますますほれ込んでしまった。

 しかし、しかしだ……僕の目は意図せず、彼女の脚に引き寄せられてしまっていた。サラブレットの脚は、走ることに特化するように進化した、いや、進化させられた分、非常にもろい。競走馬の体重はおよそ400~500kgなので、そのもろい脚一本で実に100kg以上の重さを支えているわけだ。いつ壊れてもおかしくない、まさにガラスの脚。

 スタート時間が近づいてくる。自分がやたら緊張しているのがわかる。競走馬の事故なんて、そんなにしょっちゅう起こるものではない、と頭では理解していた。だけどそういう問題ではないのだ。刻み込まれたトラウマは、理屈なんて簡単にこえてくる。

 発走時刻。ゲート入りはスムーズ。鳴り響くファンファーレ。懐かしいメロディだ。ゲートが開いた。ソダシ、スタートは上々。白い馬体は本当に目立つ。そのまま前方に位置する。1000m通過。いい位置だ。手ごたえも悪くなさそう。最終コーナー回った。最後の直線。ソダシが先頭に躍り出る。行け、行け、走れ、走れ。

 走れ、ソダシ!

 ソダシは勝った。無事に、そう、無事に最後まで走り切って栄光を勝ち取った。ライバルのサトノレイナスの猛追をクビ差でかわし、見事先頭でゴールイン。桜の女王だ。

 僕は大きくため息をついた。そのとき頭の中に思い浮かんだ言葉は、「ああ、時間が動き出したな」というものだった。歴史に残る名馬の死によって凍り付いていた僕の時間は、新たな歴史を刻み始めた名馬によって溶かされたのだ。

 同時に、亡くなった母がこう言ってくれているような気がした。「あんたもいつまでも過去を引きずっていないで、前を向いて生きていきなさい」と。

 ろくな孝行もできないまま母に先立たれてしまったことは、サイレンススズカのそれとはまた違った形で、僕の時間を止めてしまっていた。ああすればよかった。こう言ってやるべきだった……そのたぐいの後悔は尽きない。

 だけどやはり、それではダメなのだ。死に、傷つけられるだけではだめだ。これからも様々な死を経験していくことだろう。それらを受け止め、飲み込み、そのうえで未来に向けて自分の人生を歩んでいかなければならない。

 久しぶりに見た競馬は、僕にそんなことを考えさせたのだった。

 そんなわけで、僕は再び競馬を楽しめるようになったのだった。そのきっかけをくれたソダシには感謝しかない。これからも彼女のことを応援していこうと思う。ぜひ無事なまま引退まで走りきってほしいものだ。

 そしてもちろん、ソダシのレースを観戦するきっかけになり、競馬の面白さに再び舞い戻らせてくれた『ウマ娘』のことも応援していきたい。ありがとう『ウマ娘』。群雄割拠のソシャゲ業界ではあるが、息の長いコンテンツになってくれることを願うばかりである。まあ今のところは、そんな心配をする必要がないくらいに絶好調のようだが。

 そうそう『ウマ娘』と言えば。

 皆さんご存じですかね。デビューから無傷の3連勝で2歳女王に輝く→そのあと故障し、何年も低迷→これを最後に引退する予定だったはずのレースで勝利、急遽現役を続行→次に出走したG1『エリザベス女王杯』で、もう一頭の逃げ馬と共に後続を20馬身突き放す大逃げを打ち、そのまま2着入賞、というドラマチックこの上ない馬がいることを。

 テイエムプリキュア、っていうんですけどね。

 というわけでCygamesさん、ウマ娘化よろしくお願いします。

【おわりです】

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ