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銃(ガン)とサーカス

 長い長い廊下、その闇の中を歩む。ひたすらに。

 闇は好きだ。心が休まるから。静寂があればベスト。 
 今日の相手は誰だっただろうか。ここ最近、相手の顔や名前が覚えられなくなっている。戦う前も、戦ったあとも、だ。なんというか、印象に残らない。良くない傾向な気がする。僕にとっての戦いが、「特別なもの」ではなくなっているってことだ。

 歩み続ける先、闇の出口が近づいてくる。

 僕は懐から「仮面」を取り出す。刻まれた空虚な笑顔と目が合う。この仮面は僕を戦士に、そして哀れな道化師に変えてくれるお守りだ。僕は儀式のような厳かさで、仮面をまとった。さあ、踊ろう。道化師らしく、愚かに、滑稽に。

 光をくぐる。

 待ち構えていたのは、目を灼く白光と、耳を叩く歓声。

 僕が戦場(いくさば)に歩みいると、その周りをぐるりと囲む観客席が沸き立った。歓声がひときわ激しくなり、僕へ向かって叩きつけられる。その9割は怨嗟、侮蔑、憤怒、希死、ありとあらゆる負の感情を混ぜ合わせたものだ。まるで煮えたぎるシチューだ。
 僕はその声の主たちに――ではなく、のこり1割の、僕を応援してくれる酔狂な連中に――笑顔のまま視線を向けると、馬鹿丁寧なお辞儀をしてみせた。
 途端に9割が反応、聞くに堪えない罵声の嵐が再び湧き上がる。
 僕は心の中だけで溜息をつくと、改めて「観客」たちの顔を見回した。
 豚のような顔をしたヤツがいる。犬のような顔をしたヤツがいる。両手が羽、下半身が蛇、口からチロチロと炎を吐き、縦に割れた瞳孔に雷鳴がひらめき、全身をぬらぬらとした鱗が覆い――エトセトラ、エトセトラ。

 今度は本当に溜息をつくと、垂らした両手に視線を落とした。
 右手、白銀の自動拳銃「ストレイト・トゥ・ヘル」。
 左手、黒鉄の自動拳銃「フォート・ザ・ロウ」。
 幻想どもの真ん中で、今、この二つの鉄火だけが僕の「リアル」だ。

◇ ◇ ◇ ◇

 今夜の設定は「廃都市」のようだ。荒れ果てた大地。半壊、あるいは全壊した建造物。朽ちたクルマ。永遠に動かない機械――エトセトラ、エトセトラ。
 僕は笑顔の仮面の奥から、戦場に油断なく目を走らせる。敵の姿はない。何処かに身を潜めているのか。あるいは。
<<グ~ッド、イーブニ~ング!>>
 がなりたてるような声が、僕の思考を中断させる。
<<今宵もお集まりいただき、誠に、まーことーに、ありがとうございます! さあ、これから始まりますは、いよいよ本日のメインイベント! 『仮面双鉄火』ナイン! バーサス! 『潜影凶手』シィラズ!>>
 シィラズ。そうだ、今日の相手は確かそんな名前だった。
<<両者ともに、いまだ無敗を誇る強者同志、今宵の戦場(バトル・フィールド)はいつにもまして、大荒れに荒れそうな予感がします!>>
 僕はそんなもの、誇ったことはないと思う。
<<さあ、それでは闘争開始に先立ちまして~、当”劇場”のオーナーより、お集まりの皆様へ一言申し上げさせていただきます! オーナー、どうぞ!>>

 途端に会場が、ある一点を除いて真の暗黒に包まれる。「魔法」で制御しているんだったっけ。便利なもんだね。
 暗闇の中、光を受けて輝く人影が、すらりと立ち上がった。いや、「人影」は変だな。
 だって人じゃ、人間じゃないし。エルフだし。
<<皆様>>
 楽器のような声が、会場に響き渡る。その間、異形どもが声一つ立てずにおとなしく聞いているのは、いまだにおかしくてしょうがない。
<<今宵、「グラウンド・ゼロ」にお越しいただきましたこと、改めてお礼申し上げます。当”劇場”の主を務めております、リクスリュオーンと申します。実を申しますと、今宵は当”劇場”に置きましても、特別な日なのでございますわ>>
 白金の髪、翡翠の目、彫刻のような立ち姿。見てる分には最高だろうな。僕も中身を知ってなけりゃ、他の連中と同じに崇拝していたかもしれない。
 そう考えた瞬間、額に刻まれた紋様が淡く光りだす。軽い痛みが走る。
 エルフお得意の「服従紋」。僕があいつの奴隷だってことを嫌でも教えてくれる、クソッタレなマーキング。
 「服従紋」が輝きと痛みを増していく。僕は思考を無に……いや、今宵、僕が為すべきことだけに集中する。両の鉄火をもって、相手を、敵を滅ぼすこと――ただ、それだけに。
<<おかげ様を持ちまして、当”劇場”における「夜闘会」、今宵を持ちまして第100回の節目を迎えることができました。これもひとえに、ご愛顧いただいております皆様方のおかげと存じ上げております。誠にありがとうございます>>
 観客共が歓声を上げている。リクスリュオーンは観客からの称賛に身を浸し、恍惚の表情を浮かべていた。
 そういや、いつかベッドで言ってたっけ。
「皆様からいただくお褒めの言葉が、私を永遠に美しく輝かせるのですよ」
 聞かせている僕がどうなっているかなんて、一切構わずに喋っていたね、ご主人さまは。
 服従紋がほのかに輝く。チリチリとした痛みをよこす。ああ、仮面をつけていなければ、目立ってしょうがなかっただろうな、この光。
<<記念すべきこの夜に、当”劇場”として考えうる、最高の一戦をご用意させていただきましたわ>>
 リクスリュオーンは右手をひらめかすと、僕のほうに向けた。
<<かたや、人類の身でありながら並み居る幻想種を次々と打ち倒し、ついには当“劇場”最強の称号を手にした……『仮面双鉄火』ナイン>>
 巻き起こるブーイングの嵐。なんか意味あるのかな、こういうのって。
 白金のエルフはブーイングが収まるのを待ち、舞うような手つきで戦場を指し示す。
<<かたや、若きヴァンパイア・ルーキー。デビュー以来、圧倒的なスピードで勝ち星をあげ、ついに「最強」に挑むに至った……『潜影凶手』シィラズ>>
 呼ばれた相手は、やはり姿を見せない。歓声に応えて、手ぐらい振ってやってもいいだろうに。
<<今宵の対戦カード、間違いなく記念すべき夜にふさわしいものになると確信しておりますわ。さあ、それでは皆さま。今宵も、死と暴力の宴、どうか最後までとくとご堪能くださいませ>>
 再び巻き起こる大歓声。楽しそうだな、バケモノどもめ。
 そう考えた瞬間、「服従紋」がひときわ激しい痛みを与えてきた。なんだよ、バケモノをバケモノと言って、何が悪いんだ。
 だが悲しいかな、僕ら人類は、その幻想種(バケモノ)どもに滅ぼされたのだ。

◇ ◇ ◇ ◇

 試合開始の合図が鳴った。
 僕は駆け出す。全身に刻まれた「強化紋」が、唸るように赤く、青く、白く輝く。『StH(ストレイト・トゥ・ヘル)』が青白く拍動し、『FtL(フォート・ザ・ロウ)』が赤黒く脈動する。
 魔力。人類を完膚までに叩き潰した、幻想種どもの「技術」……いや「科学」……いやいや、やっぱり「奇跡」かな? まあとにかく、そいつの力で僕は冗談のような奴らと戦い抜き、今日まで生き抜いてくることができた。
 僕が人類ながら魔力を扱うことができたってのは、僕にとってはいいことだったのだろうか? それとも――
 強化した視界の隅に、影。迷わずトリガー。右手の『StH』から発射された二発の弾丸が、飛来した漆黒の刃を撃ち落とす。続けて背後に気配。振り向かず左手の『FtL』を向け、発射。地面から生えてきた死神の黒鎌を、その一発でへし折った。格好をつけたわけじゃない。前方、立て続けに飛んでくる無数の刃から視線を外せなかっただけだ。右手、残弾を斉射。全て撃ち落とす。
 弾け飛んだ刃の破片が、観客席のほうに飛んでいく。最前列の観客――ドラゴンのカップルだ――の目の前、何もないはずの空間で弾け飛ぶ。カップルの片割れ(メスかな?)が、はしゃいだように吠えた。周りの客も大喜びだ。
 観客席を守る、不可視にて鉄壁の魔法障壁。安心安全、それでいてスリル満点ってね。クソが。

 さて。
 姿を見せぬままの先制攻撃。だけど僕には通じない。
 『StH』から、空になったマガジンを排出。同時に手首の仕掛けを作動させる。そこから射出された新たな弾倉を、『StH』にセット。
 コンマ数秒の動作。淀みない動きは、日頃の修練の賜物だ。
 ――そういえば。
 これ、やたら褒めてくれたヤツがいたな。すごいな、人の業とは思えない、なんて感じで――
 額の「服従紋」が、脳髄に突き刺さるような痛みを捻じ込んできたのはその時だった。
 ヤバイ、なんだこれは。勘弁してくれ、戦闘中に感じていい痛みじゃないぞ。
 頭を左右に振り、痛みを打ち消そうとする。それは一瞬の判断が生死を分ける戦場において、全くありえない行為だというのに。
 案の定、次の攻撃に対する反応が遅れてしまった。斜め後ろの地面からすっ飛んできた槍の穂先が、仮面の頬を削りとっていく。
 僕は身をひるがえしながら、槍の飛んできたほうに銃口を向ける。その先にあるのは――崩れ落ちた建造物が作り出した、影。
 なるほど、『潜影凶手』だったっけ。
 だとすると……僕は改めて自分の周りを見渡す。
 朽ち果てたビル。灯らない信号機。錆び付いたバイク。羽虫のたかるゴミ箱。エトセトラ、エトセトラ。そしてそれらがつくりだす影、影、影。
 それら全てが、僕に向けられた銃口ってわけか。とはいえ、ただ不意を打つ程度では僕には通じないって、君は知ってるはずだ。さあ、どうする。

 ――ん? 「君」? 「知ってる」?

 「服従紋」の痛みが、脳髄を貫いた。

◇ ◇ ◇ ◇

 思わず漏らしてしまった苦悶の声、それが合図だった。
 周囲の影という影が、ぬらりと立ち上がる。漆黒のヒトガタ。手にするは剣、槍、弓、鎌、短剣、戦斧、鉄槌、鎖鎌、鉄棒、曲刀、エトセトラ、エトセトラ。あ、ヌンチャク。伝説の武器だ。ホントに使ってるヤツ初めて見たよ。
 さて、次はそうくるか。なるほどね。僕は軽く鋭く息を吐くと、全身を巡る魔力の流れを意識、コントロールする。腕の、足の、背中の、舌の、ありとあらゆる場所に刻まれた「強化紋」が、さらなる輝きを放ち始める。より赤く、より青く、より白く。僕の全身が、極彩色の光をまとっていく――よし。
 さあ、来いよ。
 そう考えた瞬間、影どもが襲いかかってきた。
 唸りを上げる刃。槍の三連突き。大上段から振り下ろされる斧。全て紙一重でかわす。空気が切れる音がする。トリガー。同時に体を捻る。頭のあった場所を、矢が貫いていく。トリガー。体勢が崩れたところに、バカでかい槌が振り下ろされる。側転。トリガー。着地を狩ろうと、鎖鎌。さらに跳ぶ。トリガー。影が繰り出す連撃は、そのことごとくが空を切る。
 僕は舞う。軽く、速く、鋭く。その軌跡を、赤の、青の、白の光がトレスしていく。銃火がひらめき、そのたびに影どもの頭が吹き飛んでいく。
 襲い来る黒を寄せ付けぬ、極彩色の〈死の舞踏(ダンス・マカブル)〉。両の弾倉が空になったときには、影どもは一匹残らず霧散していた。
 だけど。
 僕は一瞬で弾倉交換、足元を――自分の影に狙いを定める。
 わかってるよ。本命はこの瞬間にこそ、だろう!?
 足元、影から漆黒の腕が飛び出す。僕はその手に握られていた禍々しい黒ナイフをかわすと、そのまま『StH』を突き立てた――僕の影に。ありったけの魔力を込め、放つ。
 ビンゴ。影が苦悶するように身をよじり、僕の足元から逃げ出した。シュールな光景だ。笑えるね。
 数メートルの距離を稼ぐと、影はゆっくりと立ち上がり、人の形をとった。左の肩口に、でかい風穴があいている。惜しい、少しずれたか。
 ヤツが顔をあげる。青白い顔の中で唯一、燃えるような赤い瞳が僕を射貫く。
「くそ……」
「全周からの飽和攻撃で弾切れを誘い、かつ僕の意識を足元からそらす。その上で、僕自身の影に潜み、急襲する……うん、いい作戦だったよ」
「だが、通じなかった」
「うん、そうだね。まあ、相手が悪かったってことだね。それにこのやり方、ネタが割れていたら効果は半減――」
 まただ。
 おかしい。さっきもそうだ。
 何故僕は、「君」がそうすると「知って」いたんだ――。

(次に俺がアンタとやるときは、そうだな、こんなのはどうだ――)

 閃光のように脳裏に浮かんだ光景を、「服従紋」からの痛みが消し飛ばした。
 ヤバイ。敵の目の前で、こんな。
 だが不思議なことに、シィラズは僕の明らかな隙に対して、なんのアクションも起こさなかった。ただただ寂しげに、首を振るのみだった。
「……哀れな奴隷、無様な道化師め。その『服従紋』、貴様には似合いの首輪だよ」
「そういうセリフは、圧倒的優位に立って初めてサマになるんだよ。体に風穴開けられたヤツが言ってもね」
 シィラズが口の端を、片方だけ上げた。途端、しゅるしゅると周りの肉を巻き取るように体の穴がふさがれていく。バケモノめ。
「……では、これでいいか?」
「……いいんじゃない?」
 シィラズは片頬だけで笑ったまま、両手をだらりと下げた。
 ヤツの両手に、しゅるしゅると影が集まっていく。影は形を――実に見慣れたものの形をとっていく。

 右手。黒鉄の自動拳銃。
 左手。黒鉄の自動拳銃。
 ……本気?

「……次は、これでいいか?」
「……いいわけないじゃん。なにそれ」
「搦め手では通じない――であれば正攻法で、真正面から叩き潰すしかない。当然の帰結だ」
 シィラズは両手を、胸の前で交差した。
「貴様は『知らない』かもしれんがな、俺は影に隠れてコソコソするしか能のない男ではないんだ」
 そのまま右腕を前に、左手を後ろに。弓をひくような構え。両の銃口は僕に。
「さあ、来いよ人類(ヒューマン)。夜闇の支配者が、道化師に力の何たるかを教育してやろうじゃないか」
 僕はわざとらしい溜息をつくと、両手を持ち上げ構えを取る。右腕を前に、左手を後ろに。弓をひくような構え。両の銃口はヤツに。奇しくも同じ構え。
 同じ構え? 冗談じゃない。僕が元祖、本家本元だ。
「随分と、なめた口を利いてくれるね幻創種(ファッキン・フリークス)。教育? それは僕のセリフだよ。人(ヒト)の怖さ、『無数の銃弾』と一緒に叩き込んでやる」

◇ ◇ ◇ ◇

 口火はどちらが切ったか。多分同時だ。
 発砲音は一度。だがその実、僕らは六発の弾丸を撃ち放っていた。
 さあ、集中だ。
 僕は瞳に刻まれた「強化紋」をフル稼働させる。視界がスローモーション・ムービーと化していく。
 六発の弾丸全て、空中で正面からぶつかり合う。火花。そのときには僕らはすでに、元の位置に居ない。奴は稲妻の、僕は毒蛇の軌道で戦場を駆ける。間合いは変わらず。銃口は互いの急所。
 トリガー。トリガー。トリガー。漆黒のシィラズと極彩色の僕。駆ける二人が宙に描く軌道は混ざり合い、戦場に不可思議な抽象画を描き始める。
 トリガー。トリガー。トリガー。抽象画に銃火の彩りを添える。
 当たらないな。この間合いでは当たらない。僕はそう判断すると、足の「強化紋」に魔力を送り込む。ヤツの目を見る。ヤツも僕の目を見ている。待ってろ、肝を冷やしてやるからね!
 炸裂音。それは銃弾の音ではない。僕の踏み込みが放った音だ。さあ、いきなりの超接近戦、対応できるかな!?
 瞬きよりも短い時間で、僕はシィラズの目の前に左手の「FtL(フォート・ザ・ロウ)」を突きつけた。黒き銃にて、王手詰み(チェックメイト)だ。
 いや、ちょっと待って。
 僕の目の前に突きつけられた、この銃口は一体何だ。
「わかってるよ」
 ヤツの声が、銃口の向こうから聞こえてくる。
 トリガー。目の前が白く染まる。

◇ ◇ ◇ ◇

 かつてない盛り上がりを見せる「グラウンド・ゼロ」。観客席の最上段に設けられた主催者席から戦場を見下ろし、リクスリュオーンは恍惚の表情を浮かべる。
 ああ、神々もご照覧あれ。この興奮、この熱気。間違いなく、今この場所こそが、世界で最も価値ある場所なのだと確信できる。そして、それを創り出したのは、他ならぬこの私――リクスリュオーンであるのだ。
「……ざまを見ろ」
 口から小さくこぼれた呪詛に、彼女は気が付かない。

 一族から追放され、絶望の底に叩き落されてから幾星霜。凡百のエルフならばそこで心折れ、醜いオークどもの慰み者などに身をやつしていたかもしれない。
 だが彼女は抗った。抗い抜いた。そして最終的に、自分だけの「王国」を創り上げた。自らを「王」と崇める者たちをかしずかせる、白金の女王へと昇り詰めたのだ。自らの美貌と、それに劣らぬ才覚によって。

 彼女は戦場を王の、神の視点で見下ろす。黒と極彩色の嵐が、文字通り火花を散らしていた。

 かわいい人間(ヒューマン)。この盛り上がりは、あなたのおかげでもあるのですよ。惰弱なニンゲンが、強大な幻想種(フリークス)を打ち倒す。いかにも低知能低品位な輩の好みそうな筋書きではなくて?
 でもね、私のかわいいナイン坊や。やっぱり、たかが人類ごときがいつまでも大きな顔しているのは、ひどくおかしいことだと思うの。
 だから今夜、記念すべきこの夜に、見事に死んでちょうだいな。そうしたら私は、あなたの亡骸にすがりつき、あなたを英雄と褒め称え、”劇場”のさらなる発展を誓うでしょう。その姿を見た観衆たちは、私と”劇場”をますます愛してくれることでしょうね。
 ああ、そのときが楽しみだわ。

 リクスリュオーンは、指をスナップする準備をした。それは「服従紋」の効果を、最大限に発揮させるための動作だ。

◇ ◇ ◇ ◇

 視界が、白く染まる。
 神経速度を超えた動きで首を振り、銃弾をかわす。衝撃波が脳をうつ。仮面にヒビが入るのを感じる。意識が遠のく。だが動きは止めない。わずかにそれた銃口を向け直す。トリガー。
 雑な撃ち方、まず当たるはずもない。だがヤツが回避の動きを取るコンマ数秒、時間は稼げた。十分だ。
 ヤツの舌打ちを耳にしながら、体勢を立て直す。二丁の銃を、奴の目の前に突きつける。ヤツも同様に、二丁拳銃を突きつけてくる。
 つかの間のにらみ合い。ヤツの燃える目が、僕を射抜く。
「今のは危なかった。やるじゃないか、シィラズ」
「……俺の名前を、呼ぶんじゃない」
 なんだこいつ。何が悪いってんだ。
「敬意を表してのつもりだったんだけどね。気にさわった?」
「ああ、不愉快だ」
 シィラズの表情が歪んでいく。
「……貴様は俺の名など、ついさっきまで『知らなかった』んだろう? そんなやつに軽々しく呼ばれるほど、俺の名は安くはないんだ」
「何言ってんの。さっき場内アナウンスで会場中に流れていたじゃない。そうそう、『潜影凶手』だっけ? なかなかかっこいい二つ名じゃん」
「それとこれとは! 話が違う!」
 何がだよ。さっぱりわからないぞ。ああ畜生、さっきから「服従紋」がやたらうずくな。何だってんだ一体。
「……”奴隷”風情が俺の名を軽々しく口にするな、ということだ」
 あっそ。
「だがもういい。問答は終わりだ。次で終わらせてやる」
「気が合うじゃない。僕もそう思ってたよ」
 ヤツの殺気が膨れ上がる。トリガーにかける指に力がこもる。
 させないよ。
 銃火が閃く。
 そのときには右手の「StH(ストレイト・トゥ・ヘル)」が、奴の銃を払い除けていた。
 左手の「FtL(フォート・ザ・ロウ)」を突きつけ――ヤツの廻し受けめいた動きに阻止される。
 ならば。ぼくは右の「StH」を下方に向ける。奴の腿めがけてトリガーを引く。ステップで回避される。
 ヤツの二丁が僕の顔と腹を同時に狙う。トリガーの瞬間、僕に向かって伸ばされた両手の内側に、僕の両手をこじ入れる。
 さばく。銃火が閃く。さばいた動きを利用。今度は僕が、奴の顔に銃を。
 トリガー。またさばかれる。トリガー。
 足さばきでかわす。トリガー。
 体をひねる。トリガー。
 さばく。トリガー。かわす。トリガー。
 さばく、トリガー。トリガー、トリガー。トリガー、トリガー。トリガー、トリガー。トリガー、トリガー、トリガー、トリガートリガートリガートリガートリガートリガートリガートリガートリガートリガートリガー!
 超至近距離での銃撃戦は、まるで二人のペアダンスに見えたかもしれない。本日二度目の、<ダンス・マカブル>をご覧あれ。
 そんな中、思考の速度よりも速く動いているせいか、僕の頭は高原の大気のように澄み渡っていた。「服従紋」がおとなしくなったのは、きっとそのせいだろう。もっとも、高原の大気ってどんなのか、僕は知らないけど。
 ああ、悪くない。こんな気持ちは久しぶりだ。「君」のおかげだよ、シィラズ。「戦い」が特別なものなんだって、「君」が思い出させてくれたんだ。ありがとう、礼を言わなくちゃね。
 残念。このまま「君」と踊り続けていたい気もするけれど、そろそろフィニッシュといかないと、お客さんを退屈させてしまう。なにせ僕はチャンピオンだ。観客の期待に答える義務がある。
 七重のフェイントを敢行する。
 ホラかかった。シィラズの顔が驚愕にゆがむ。もらったよ。

 無音の衝撃が、僕の額を襲った。

 撃たれた? いや、違う。「服従紋」だ。
 なんで。なんでだよ。僕はその場で、膝から崩れ落ち――

 人間の脳というものは、実に不思議なものだ。肉体が命の危険を感じたとき、脳は自らが蓄えた「記憶」の箱を一瞬で開放、肉体の主に危機回避の手段を探らせるという。
 僕にもそれが起こった。記憶の波が押し寄せる。それは「服従紋」の束縛など、軽々と打ち破り。

 僕に、在りし日々のことを思い出させた。

◇ ◇ ◇ ◇

紹介するよチャンピオン。こいつが新しく入った新入りだ。
名前はシィラズ。すげえぞ、ヴァンパイアだ。こいつら、俺ら幻想種(フリークス)の中でも、かなり希少な連中なんだぜ。なんでこんなところに来たのやら。
ほら、挨拶しろよ新入り。お前の前にいるのは、人類ながらこの”劇場”の頂点に君臨する、偉大なチャンピオン様なんだぜ。
「……じゃあ何か? ここの連中はたかがニンゲンにいいようにされて、ヘコヘコ頭を下げてるってのか。情けないな。幻創種の誇りってものはないのか」
「気が合うじゃないか新入り君。僕も、いつもそう思っているよ。ついでに教えとくけど、その手のセリフ、正直もう聞き飽きちゃったんだ。だから初対面の挨拶としては失格。0点」
ああそうだ。最初の印象は良くなかった。最悪までは行かないけれど。

「……馬鹿な。そんな馬鹿な。そんなはずは」
「ああダメダメ。ちゃんと事実と向き合わないと進歩できないよ。いいかい、君は僕と模擬戦をし、それはもう見事に敗北してしまったんだ。わかるかい?」
「……」
「まあでも、なかなかスジは良かったよ。ああ、影を使った攻撃は、正直面白いと思った。僕には通じなかったけどね」
「……」
「その方向を伸ばすってのはどうかな。そうだね……たとえば、影そのものを操作し、本人と同時攻撃を仕掛けてみるとか。うーん、頭が混乱しそう」
「……考えてみよう」
「お、素直だね」
「今の俺では、アンタに勝てないことがよく分かった。その上で噛み付くのはただのチンピラだ」
「そうだね」
「俺は強さを求めてここに来た。強さを、そして滅びゆくヴァンパイアの誇りを取り戻すために。そのためなら何でもするつもりだ――たとえそれが、いけ好かない人類(ヒューマン)に教えを請うことでもな」
「……まずはその減らず口を治すところから始めるべきなんじゃない? 生意気な幻創種(フリークス)だよまったく」
このとき、初めて君の笑った顔を見たんだったかな。

「ナイン。アンタに聞きたいことがある」
「何、急にどうしたの」
「……なんでアンタは、あんなくそエルフの奴隷なんぞに甘んじているんだ。アンタ程の力があれば、ヤツを殺し、自由の身を勝ち取ることもたやすいだろうに」
「なんでだろうね」
「その『服従紋』のせいか」
「それもあるね。君は知らないだろうけど、これ発動するとめちゃくちゃ痛いんだよ。もう、死んだほうがマシってくらいに」
「……」
「後は、そうだね。やっぱり僕は、しょせんはただの人類(ヒューマン)なんだ。君ら幻創種に滅ぼされた哀れな種族が、『女王』の庇護のもとでお山の大将を気取っているだけなのさ。実際の僕は、惨めで滑稽な道化師(ピエロ)ってところだよ」
「それで、あんな仮面をまとっているのか」
「ああ、あれね。あれはまあ、お守りみたいなもんなんだ。ルーキーの頃、無理やり連れ出された街の市場で見つけてね。なんだか知らないけれど、一目惚れしちゃったんだ。あれをつけると僕は別人に、戦いを恐れず楽しむ道化師に早変わりってわけ」
「……哀れだな」
「全くだね。まあそんなことより、君の次の相手、話によるとあの『魔猿公』らしいじゃないか。大丈夫?」
「いらぬ心配だ。俺はアンタ以外に負けるつもりはないからな」
 このやり取りの後からだったっけ、君が考え込む様子を見せるのが多くなったのは。

 ああ、そうだ。なんで忘れていたんだ。君は僕の生意気な後輩で、共に競うライバルで。
 この世界で、たった一人の。
 僕の、友達。

◇ ◇ ◇ ◇

 崩れ落ちる僕に、駆け寄ってくるシィラズ。
 僕の体はそのとき、僕の意識の制御下になかった。「服従紋」が脳を焼いてしまっていたからだ。
 僕の体は、自然に反応した。「敵」が近づいてきたときどうすればいいのか、僕の体は知っていたんだ。だから銃口は、自然と彼に向けられて。
 トリガー。
 シィラズの体、その中央に大きな穴が空いた。シィラズの顔が歪む。
 彼が僕に倒れ込んでくる。僕は崩れ落ちながら、彼を受け止める形になる。そうして二人とも、もつれ合うように無様に、地面へと倒れ込む。

「……平気か、ナイン」
「……君の方こそ。その穴、塞げるのかい」
「心臓に風穴開けられたんじゃあ、ちょっと難しいな――アンタ今、俺のこと『君』って呼んだか」
 血で咳き込みながらそんなことを言うシィラズに、僕は働かない脳みその片隅であきれていた。呼び名にこだわっている場合じゃないだろうに。
「やっぱり強いな。かなわなかった」
「どうかな、結構互角だったと思うよ」
 それはお世辞抜きの、心からの言葉だった。
「世辞はいい。くそ、あの女に頭を下げてまで挑んだ戦いだったというのに」
「リクスリュオーンにかい? なんでそこまで」
「アンタを、解放したかったんだ」
 シィラズが震える手を伸ばし、僕の仮面にそっと触れてきた。
「アンタは、あんな女の奴隷として生きるべきじゃない男だ。何度もそう言ってきたのに、アンタは耳を貸そうとはしなかった。だから」
 シィラズの体の輪郭が、曇り空の影のようにぼやけていく。足の先なんて、もう消えそうなぐらいだ。
「だから、俺はアンタを殺したかった。殺してでも、アンタを解放してやりたかった。何度でも言ってやる。アンタは……強い男なんだ。俺が唯一認めた男なんだ。そんな奴が、誰かの奴隷に甘んじているなんて……俺には、耐えられなかったんだ」
「……もう喋らないほうがいいよ」
 シィラズの体が、とけていく。
「アンタに、頼みがある」
「何だい」
「俺の力を、アンタに預ける。だからそれを使って、いつか」
 赤い瞳が僕を射抜く。僕は目をそらさない。
「いつか、アンタ自身の人生を――生きてくれ」
 仮面に触れていた指が滑り落ちる。指についていた彼の血が、仮面に跡を残す。目の下から一直線。仮面が流す涙のように。
 シィラズの体が霧散した。黒い霧は僕の銃にまとわりつくと、吸い込まれるように消えていった。
 後には、僕一人が残された。

◇ ◇ ◇ ◇

 リクスリュオーンは一部始終を見届けると、軽く歯噛みした。

 本当に、本当に生意気なヒューマン。まさか「服従紋」に脳を焼かれながら、それでも勝ってみせるとは。
 まあいいでしょう。それならそれで、やりようはいくらでもある。自分が書いた筋書き通りに行かないことなど、これまでも何度もあった。そのたびに乗り越えてきたからこそ、今の私があるのだから。
 さあ、勝者に祝福を授けなければ。それがこの”劇場”の主の務めですものね――。

 リクスリュオーンはナインを見た。地べたに座り込み、うつむく姿を見た。その左手が、ゆっくりと持ち上がるのを見た。銃口が、自分に合わされたのを見た。

 トリガー。

 射撃音は一度。その実、放たれた銃弾は三発。黒い霧をまといながら一直線に、白金のエルフに向けて飛ぶ。
 一発目が魔法障壁に阻まれる。その銃弾を、二発目が後ろから貫く。障壁が歪む。三発目が、二発目を貫く。障壁に、ほんのわずかな穴が空いた。

 十分だ。
 ナインは顔を上げて、仮面越しに己の主を見た。彫刻のような顔が、恐怖に歪むのを見た。
 トリガー。
 そうして放たれた四発目が、美しいエルフの頭を熟れた果実のように吹き飛ばしたのを見た。

◇ ◇ ◇ ◇

 額の「服従紋」が効力を失っていくのを感じ、僕はゆっくりと立ち上がった。仮面を外し、地面に打ち捨てる。
 僕は怒っていた。けれど、それは何に、誰に対しての怒りだったのか、僕自身よく分かっていなかった。脳を焼かれてしまったせいだろうか。
 分かっているのは、僕は自分の人生を生きなければならない、ということだ。彼は「いつか」と言った。だが、彼の命をかけた言葉を聞いて、その「いつか」を待っていられるだろうか。僕には無理だ。「いつか」は今だ。

 焼かれた脳が、使命感に、そしてなによりも怒りに塗りつぶされていく。僕は歩きだすと、二丁の銃を観客席に向けた。トリガー。黒い霧をまとった銃弾は、”劇場”の主を失い弱まる障壁を、ガラス窓のようにやすやすと打ち破った。観客席に着弾。とたんに激しい爆発が起こる。銃弾に込められた魔力が弾けたんだろう。僕は無造作にトリガーを引く。派手な爆発が次々と起こり、客席のバケモノ共が吹き飛ばされていく。

 そうして動くものがいなくなったところで、僕は再び歩き始めた。まずは地上へ戻るとしよう。邪魔するやつは全て殺そう。そうして僕は、僕の人生を歩むのだ。

【完】

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ