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アイスハート〜就職氷河期世代の40代男性は10年ぶりに再就職できるのか〜
彼の心は、18歳の時から凍りついたままであった。
誰もが「暑い、むしろ熱い」と言って暮らしている温暖化の時代に?
まったく奇妙な現象だ。
彼の心は押し黙っている。もう25年もの間。
……息絶えてしまったの?
そんな不安が私の脳裏をよぎった瞬間、
ドクン。
私には、彼の心の鼓動がハッキリと聞こえた。
また動き出した。
今回は、そんな「彼」のお話。
就職氷河期世代の夫
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就職氷河期という言葉をご存知だろうか?
就職氷河期とは、バブル崩壊後の1990~2000年代、雇用環境が厳しかった時期のこと。
就職氷河期に就職活動を行った人々は、就職氷河期世代と呼称される。
私は就職氷河期世代ではない。しかし私の夫は1999年に就職活動をした、ドンピシャの就職氷河期世代だ。
就職氷河期世代は、現在も下記のような課題に直面し、支援を必要としているという。
<就職氷河期世代が直面する様々な課題>
不本意ながら不安定な仕事に就いている
無業の状態にある
社会参加に向けた支援を必要とする
↓ 参考:厚生労働省「就職氷河期世代の方々への支援のご案内」ホームページ
「バブル崩壊後の1990〜2000年代…」ということは既に35年近く経っているわけだが、35年経った今でも国が支援を提供しているというのは、この問題の根深さを感じずにはいられない。
就職氷河期世代の抱える困難は、決して「過ぎ去った問題」ではないのだ。
夫が就職活動をした1999年、国内の有効求人倍率は0.48。これはつまり、当時の企業は就職したい人の半数しか受け入れる余裕がなかったということ。
あなたは、2人に1人が落とされる状況で、「自分だけは勝ち上がれる!」という自信はあるだろうか?私はない。
夫はさらに田舎暮らしで、実家から通える所という制限付きだったので、いかに就職難であったかが容易に想像できる。
夫は鉄道が大好きなので某鉄道会社の面接も受けたらしいが、落とされた。まあそれは、就職氷河期とは関係ない気もする。
そんな夫だが、幸いにも製造業工場…遠方だが通えない距離ではない…に内定が出た。
典型的な3K職場(きつい・汚い・危険)だったが、このご時世に仕事に就けるだけありがたかった。夫は毎朝、母親が用意してくれたおにぎりを車中で食べながら、職場まで急いだ。
そこから15年間。
夫はその職場に留まった。その間、夫の同期は全員退職してしまったらしい。それほど過酷な労働環境だったということだろう。
夫はただ一人、その場に残された。他に行き場がなかったのだ。
だが33歳の時、夫はその職場を退職した。
まさかの寿退職である。
夫、仕事辞めるってよ
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夫と私は、趣味つながりで出会った。
私が病院勤めだと知ると、夫は「看護師さんか事務員さんなのか?」と尋ねてきた。医師だと伝えたところ、夫はかなり驚いていた。
その後なんやかんやあって、私たちは結婚した。
あまり金銭的余裕がなかったので、指輪は買わず、結婚式も挙げず、ただ婚姻届を提出しただけだった。
私はこれを「身の丈婚」(=身の丈に合った結婚)と呼び推奨している。お金があってもなくても、結婚はできる。
私との結婚が決まると、夫は「今の仕事を辞めたい」と言い出した。
このことは私にとって意外だった。
正直に言うと、「自分の生きがいとか、社会と繋がりを持つためにも、働いていた方が良いんじゃないかな」と思った。
だが夫が、当時の職場に対してかなりのフラストレーションを抱えていたことは知っていたし、「再就職する」という宣言もしたので、
私は「いいよ。次は好きな仕事が見つかるといいね」とあっさり了承した。
相手の人生に深く関わることなので、もっと熟考すべきだったと今では思うのだが…私は夫を楽にしてあげたかった。ただそれだけだ。
夫は私のことを好きだったのではなく、仕事を辞める手段として私と結婚したのかもしれない。だがそうだとしても、私は夫が結婚してくれたことに感謝していた。
だからしばらくの間、心に湧いた疑念に気が付かないふりをした。
夫はこうして仕事を辞め、専業主夫になった。
そしてその後10年間、就職活動をすることはなかった。
夫の「再就職するする詐欺」にすっかり騙された私だったが、むしろそれで良かったと思うことがたくさんあった。
私は当時、医師として研鑽を積むため、仕事に没頭しなければならなかった。家に帰れないことも多かったし、帰ったとしてもすぐに病院に呼び戻される毎日。
結婚はしたものの、家庭という形を成していなかったのだ。
夫は結婚する前から、私のそんな働き方に思うところがあったのだろう。
夫が家庭のために仕事を辞めたように、私も家庭のために自分の働き方を見直した。
やっと落ち着いて仕事ができるようになった結婚6年目の時に第一子、8年目の時に第二子が生まれた。
夫が専業主夫でいつも側にいてくれたので、実家の助けがなくとも子どもたちを育てることができた。
夫が専業主夫で、私が医師で。
生涯その形は変わらないだろうと思っていた。
しかし2024年3月…そんな日々も幕を閉じることとなった。
私と子どもたちが、マレーシアに移住したのだ。
マレーシア移住による変化
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マレーシア移住の理由は色々あるが、「子どもたちに広い世界を見せたかった」というのが一番のところだ。
移住については夫も大賛成。当初私は、自分が日本に残って働き、夫がマレーシアに行くことを想定していたのだが、夫は日本に残ることを選択した。
大義名分があったわけではない。ただ「ひとりの時間がほしい」とのことだった。
その時の会話は下記の通り。
私「え?じゃあ私が医師の仕事辞めてマレーシアに行くの?」
夫「うん…そうするしかないんじゃない」
私「あなたは日本に残って何をするの?」
夫「バイク買って日本縦断でもするかな〜」
私「当然、再就職して生活費稼いでくれるんだよね?」
夫「…まあ、オレが働かなくてもなんとかなるっしょ!」
ならねーよ。(ツッコミ)
私は夫に、今度こそ再就職することを強くお願いした。
だがその後、マレーシア移住直前になっても、夫は労働意欲が湧いてこないようだった。私の「仕事どうするの?」という問いかけをのらりくらりとかわしていた。
夫は働き者でコミュニケーション能力が高く、優れた人材だと思うのだが、「一円もお金を稼ぐ気がない」人間なのだ。
こうなったのは就職氷河期のせい?
はたまた長い専業主夫生活のせい?
だんだんと「夫は清貧を好み無償で働く善人」で「私はカネカネ言っている欲にまみれた悪人」に思えてきた。
だがよく考えてほしい。自分が生きるためにも、家族を生かすためにも、お金は必要に決まっている。
もし夫が働かなかったら、私が子どもの将来のためにと長年貯めてきたお金が、「生きているだけ」でどんどん目減りしていくことになる。
そして貯金が尽きた頃、夫はこう言うのだろう。
「マレーシアから引き揚げて、またお前が働けばいいじゃん」と。
あり得る。「私のことをただの金ヅルと思って結婚した疑惑」が正しければ、そのストーリー展開は十分あり得る。
不安を拭えないまま、2024年3月、私は本業を退職してマレーシアに移住した。
始める前から負けが確定している試合に出場するような、複雑な心境だった。
移住時は生活の基盤を築くため夫にもマレーシア滞在してもらっていたが、4月下旬、夫は日本に帰国した。
私の「帰国後すぐに就職活動を始めてね!」のお願いも虚しく、夫はしばらく就職活動をしなかった。犬の散歩をしたり草刈りをしたり、悠々自適に暮らしていた。
…まさか、また「再就職するする詐欺」なんじゃなかろうか。
夫の真意が見えなかった私は、「自分ひとりで稼がないと」とガムシャラに仕事を探した。
本業は辞めたものの、私はオンライン副業を2つ持っていた。マレーシア移住後、さらに3つの副業を始めた。
しかし家事・育児の制約から稼働時間が短く、十分な収入は得られない。これ以上仕事の数を増やす余裕もない。
私は寝食を忘れるほど家事・育児・仕事に没頭し、5月上旬には大きく体調を崩して倒れてしまった。今でもまだその不調を引きずっている。やれやれ。
優しい夫はそんな私を元気づけようと、これまで国際便で3回も荷物を送ってくれた。そこには子どもたちが大好きなお菓子・保存食がギッシリ詰まっていた。
とっても嬉しかった。ありがとう。だがその送料だけで合計47,300円もかかっているということに、夫は気が付いているだろうか。
ピュア。
「夫がピュア」としか言いようがない。
そんなゴタゴタの最中…5月下旬、夫は遂に就職活動をスタートさせた。
夫の43歳の誕生日が目前だった。
夫に再就職を勧める理由
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私は以前から、夫が再就職するのは本人のためにも良いことだと考えていた。
専業主婦/主夫の抱える経済的リスク(配偶者が働けなくなった際の貧困、金銭的理由で離婚したくてもできないなど)の他に、社会的孤立もその理由のひとつであった。
夫はお喋りが大好きで、高齢のご近所さん・ママ友たちとすぐに仲良くなっていたので、私には夫が専業主夫生活を満喫しているように見えた。
しかしある時、夫の口から「同世代の男性の知人がいない」という悩みを聞いた。
夫には愛人か?と思うくらい一日中メールしている幼なじみのKくんがいたので、私はそれで満足しているものだと思っていたのだが…もしかしたら寂しさの裏返しだったのかもしれない。
メールも立派なコミュニケーションツールだが、メールだけでは成り立たないコミュニケーションというものも確かに存在する。
ならば40代前半のうちに新しいキャリアを築くことは、体力的余裕もあるし、交友関係も広がるし、夫にとって最善の道であるように思えた。
人生100年時代、私たちの人生はまだまだ長い。
ならば私たち家族も、このタイミングで新たなステージに上がってもいいのではないか。
今回の「攻守交代」は、そういう考えもあってのことだった。
夫の就職活動の顛末
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40代にもなると、多くの人が自分の適性がよく見えているように思う。
なので「何の仕事が向いているのかわからない」という悩みは、大分息を潜めるのではないだろうか。
もちろん、趣味や副業であれば何歳になっても悩み続け、チャレンジしたっていい。しかし「本業で今すぐ生活費を稼がなければならない」となると、話は別だ。
自分の過去の経歴・保有資格・好き嫌いによって、40代が本業にできる仕事というものは大分限られてくる。選択肢が少なくなるからこそ、ある意味悩まなくていいというわけだ。
夫の場合、前職は工場の運搬部門担当で、大型トレーラーを運転していた。大型車の他に二種免許もあり、タクシーやバスの運転も可能。
なので「運転関係」に適性があるだろう、ということは夫自身が一番よく分かっていた。私も同じ考えだった。
…ということで…ここで「必見☆うちの夫が選んだ再就職先候補3選!」をご紹介!(ものすごくPVがとれなさそうなブログのタイトルみたい)
<夫の再就職先候補3選>
A自動車教習所
B自動車教習所
C清掃会社
「運転関係」としてまず2つ候補に挙がったのが、自動車教習所。
A自動車教習所は自宅から最寄りで、一番最初に問い合わせたが、35歳までという年齢制限で断られた。
B自動車教習所は年齢制限はないとのこと。通勤片道20分(自動車)・正社員・日勤で、ありがたいことにすぐに内定がいただけた。
私はこれで決まりだと思って喜んでいたのだが、夫は「やっぱりC社にしようと思う」と言い出した。
C社は清掃業で未経験の分野だが、多くが中途採用者だから問題ないとのこと。通勤片道2時間(自動車)・嘱託社員・夜勤。遠方なので、飼い犬を毎日ペットホテルに預けるらしい。
私は突然出てきたC社に狼狽した。
「な、なんで?なんでC社がいいの?」
「うーん、今までやったことがない仕事にチャレンジしたい気持ちもあるし、新幹線の清掃を請け負っているらしいから」
新幹線に関わる...確かにそんな仕事はめったにできるものではない。鉄道好きな夫がワクワクするのも無理はない。
…夫の好きにさせてあげたいけど…だけど……余計な小言が、私の口をついて出た。
「あのさ、C社は時給1,000円くらいでしょ。8時間勤務で、通勤時間入れると12時間かけて8,000円。しかもペットホテル代で3,000円引かれるから、12時間で5,000円とすると、時給416円みたいなもんだからね。ほとんど実入りはないよ」
夫は少し黙っていたが、「…でも、やってみたいんだ。せっかくだから自分が楽しい仕事をしたい。C社の面接は来週だから」と。
私はうなだれた。
...私はこれまで、自分自身も働き方に悩んできたし、本業でも副業でも労働問題に深く関わってきた。
だからこそ、「楽しい仕事」があるならなにより幸せなことだというのが、身に沁みて分かっていた。
私は「そうだね、好きにしていいよ。あなたの人生だから」と言った。
だがそれは本心ではなく、やせ我慢だった。
C社の面接日当日。いつもなら夫の方から連絡がくるのだが、その日は音沙汰がなかった。
翌日、私から「面接どうだった?」と訊いてみたところ、夫は「面接には行ったけれど、辞退した」と。
「えっ!」
私は絶句した。
夫は下記のように説明してくれた。
「C社の所長さんはぜひ一緒に働きたいと言ってくれたが、やっぱり長距離通勤が心配だと。遠方の人はみんな電車通勤らしいが、オレは電車だと始発まで何時間も待たなきゃいけない。オレだけ特例で自動車通勤というのもダメだなって思って、今回は辞退した」
「………それでよかったの?」
「いいんだ、今回は縁がなかっただけだ。だからB教習所で決まりだ」
ホッとした。
そして、夫に自由に仕事を選ばせてあげられなかったことを、悔やんだ。
氷河が溶ける頃
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18歳の時、就職氷河期で不本意な就職をした夫。
33歳で結婚し、その後10年間専業主夫をしていた夫。
そして今43歳になり、決して若いとは言えない夫。
再び働くことについて、及び腰になってしまう要素がたくさんあった。
しかしこの度、無事に就職を果たした。
もちろんこれでゴールではない。ここからがスタートだ。結婚と同じ。
だがやはり、ひとまずはこの門出を、マレーシアから祝福したいと思う。
7月1日に入職したばかりで、まだ現場に慣れていないため、毎日クタクタになるほど疲れるみたいだ。
けれど、連日職場のエピソードを報告してくれる。
同郷の人がいた!とか、グローバル人材が資格を取りにくるからマレーシアでの経験が役立っているとか。
昼食は自分で作った弁当を持参しているそうだが、「奥さん海外にいるのに、誰に作ってもらっているの?」といきなり愛人の存在を疑われたらしい。実際にいるかもしれないが私は知り得ない。(Kくんなら許す)
仕事は楽しいことばかりではない。だが夫の顔を見たところ、苦しみばかりでもないようだ。
18歳から凍りついていた彼の心が、25年の時を経て、ようやく解け出した。
そこから生まれた水はきっと、
彼の人生に潤いをもたらし、
豊かな流れを生み、
いつか誰かを育む糧となるだろう。
遠い海の先から、私はそれを祈っている。
<最後に夫へ>
家族のために頑張ってくれてありがとう。
再就職、おめでとう!
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