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YOASOBIの「idol」の凄味と、その革新性
YOASOBIの「idol」が大ヒット中です。Billboard The Global Excl. U.S.で1位を獲得しました。
今回はその英語版の凄味とYOASOBIの革新性について書きたいと思います。
日本語版はおなじみかと思いますが、英語版を紹介します。
私はラジオで英語版を聴いたのですが、初めは英語だと気づきませんでした。それくらい楽曲とマッチしています。
例えば日本語版では「はいはい」としているところを「Right,right」と同じ韻にしている点です。
そして英語版の最大の秀逸な点はサビの冒頭です。一聴すると日本語版の「誰も」に聴こえます。いや「誰も」にしか聴こえません。しかしここは「That emotion」です。これを発音の観点から視ると次のようになります。
「だれも」と「That emotio」を比較します。
最初の「だ」は「Tha」と極めて似ています。
「れ」は、「re」と発音しているように聴こえます。2つを分解します。「That」の「t」は「r」の音と似ています。「t」と「r」は、どちらも「たたき音」と言い、舌を上あごに付けて発音するという点で似ています。そして「emotion」の「e」と付くことにより「れ」と聴こえます。
「も」は「emotion」の「mo」です。
多分ikuraちゃんは英語版でも「だれも」として認識して歌っていると感じますが、それでも英語として機能させている点は秀逸です。
そしてここからはYOASOBIの革新性について記します。
結論から書くと、「YOASOBIは、モーツァルトやThe Beatlesに並ぶ天才」ということです。
モーツァルトが天才だということに異論を唱える人は僅少かと思いますが、私なりの観点で書くと、複数の楽曲アイディアを一曲にまとめてしまう点が挙げられます。彼以前のハイドンあたりまでは徹底して様式美に則っていました。例えば主題が出てきたら下属調と属調に転調して元の調に戻るという形式美で楽曲の美しさを構成してきました。
ところがモーツァルトは主題の後に別の主題をもってきます。例えばアイネクライネナハトムジークが典型です。このように先人が確立させた様式美を良い意味でぐちゃぐちゃにした上で、新たな美の形式を確立させました。
そしてThe Beatlesも天才でしょう。彼らの音楽的功績を挙げるならば「ハモりを上で行う」ということです。彼らより前は主旋律のハモりは「3度下」でした。それを「3度上」で行うことにより、独特の高揚感をもたせることに成功しました。今では当たり前すぎてみんな無意識にやっていることですが、The Beatlesがいなかったら、この常識は無かったかもしれません。
先述のモーツァルトで書いた「主題の後に別の主題を持ってくる」ということは、The Beatlesも行っています。
「A Day In The Life」という楽曲では、ジョンとポールの作曲した2曲を1曲にまとめるという離れ業をやっています。
ここまでぐちゃぐちゃにしておいて最後は綺麗にまとめる点が秀逸です。
そしてYOASOBIの革新性の1つとして、「転調変更が無茶苦茶」ということです。先ほどモーツァルトの所で書いたように、転調は下属調と属調で行われることがクラシックの定石でした。調がCメジャーだったらFメジャー、Gメジャーです。
20世紀に入りポピュラーミュージックの世界での転調は、落ちサビでの半音上げが定石となりました。CメジャーだったらC#メジャーに上げるというものです。
ところがYOASOBIの転調は、それを遥かに上回る高度なものです。
C#メジャーで始まったかと思いきや、半音下のCメジャーに落ちてまたC#メジャーに戻るということをしています。この調を「落とす」という発想は「発明」といっても良いと思います。
「ハルカ」という曲で体感できます。
このことは私だけが主張しているわけでなく、Stray kids のバンチャンも語っています。
このような革新的なものが生まれた背景には、DTMやボカロソフトの存在が挙げられます。音楽史が塗り替えられた時代に生きていることを噛みしめ、今後もYOASOBIの活躍に期待したいと思います。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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