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私が「100億おば」と呼ばれる理由

業界にとっても、地域にとっても、なくてはならない会社のはずですが、父はそれを廃業すると宣言してしまいます。

私は絶対に会社をなくしてはいけないと思い、裁判を起こしてでも父と争い、会社を引き継ぐことにしました。

このお話については追々お伝えしていきますが、ともかくも私が引き継いだ時点で、父の廃業宣言もあって会社の価値はゼロ。

それをなんとか立て直し、10年後には100億で売却することができたことで、私はいま「100億円おば」と呼ばれるようになりました。

父が残してくれた技術、一生懸命働いてくれた従業員、うちを信頼してくださったお客さまのおかげですが、会社を儲かる構造にした私の腕も、少しはあったと思っております。

事実、10年のうちには大ピンチもありました。でも、ぐずぐずしているヒマがあるなら動くしかないと、ただただできることを精一杯やってきました。

なんだかんだいっても、結局人はお金で評価をします。悔しかったら仕事で結果を出すしかないと、歯を食いしばりやってきました。

能登のおばちゃん社長がどのように「100億おば」になれたのかは、最初の書籍『なぜ、おばちゃん社長は価値ゼロの会社を100億円で売却できたのか』で書いたのですが、そのエッセンスを、ここnoteでも少しずつご披露していきたいと思います。

『なぜ、おばちゃん社長は価値ゼロの会社を100億円で売却できたのか』

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