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はじめに


出来るだけ多くの人をより幸福にするには

 出来るだけ多くの人をより幸福にするにはどうすればいいか?このことに興味があります。
 幸福の形は人それぞれですので、幸福にする方法も様々になりますが、多くの人に共通しているのは以下ではないかと思います。

1.実質可処分所得(自由に使えるお金)を増やし続ける
2.可処分時間(自由に使える時間)を増やし続ける
3.安全・安心な生活を送れるようにする

 自由に使えるお金や時間が増えれば、それらを使って自分の様々な欲求を満たしてより幸福になれますし、また安全・安心な生活を送れることは人の幸福にとって非常に重要だと考えます。

 そしてこれらを実現する方法を私なりに考えてまとめたものが以下の記事になります。

 岸田総理への手紙 ~国民一人一人を幸福にする経済財政政策について~
 https://note.com/taira2/n/n59036237d8df

 幸福にする方法の基本部分はいたってシンプルで、しかも大して難しくないことだと考えています。それがどのようなものかをざっくりいうと、「「国の借金」など気にせずに、そして移民を入れずに、高圧経済にすること。そうすれば国民一人一人の力が引き出され、その力は国民一人一人の幸福に結びつく」というものです。
 しかし(私から見ると)多くの人が様々な嘘によって間違った思い込みを植え付けられているので、民主主義国である日本でこれを実行するのは非常に難しいと感じています。

 上記記事には間違った思い込みを解消できるように様々なことを書いています。これから投稿していく記事もそれを目的としたものになります。目的が目的なので、これまでとは違うものの見方を提供するものや、それが行き過ぎて非常識に感じるものが多くなるかと思いますがご了承ください。

経済学を学ぶことについて

 マクロ経済や「国の借金」問題に関する記事の投稿が多くなりますが、私は経済学をきちんと勉強したことがありません。ネットや本で得た知識や実体験を基に色々思いついたことを投稿していくつもりです。なので内容は細かい専門的なものにはならず、根本的な部分の話が多くなると思います。

 まともに経済学を勉強したこともないのに投稿するのはずいぶん無責任だと感じる方もいるかと思います。なぜ勉強しないのかというと、その理由は以下です。

1.主流派の経済学である新古典派経済学は現実を無視した前提の上に成り立っているという批判が多く、私も実際そう思う

2.政府の経済政策には経済学者の意見も色々と反映されているはずなのに、「失われた30年」と呼ばれる状況にある

3.日本が財政破綻(国債のデフォルト(債務不履行))することはあり得ないのに、財政破綻論を唱える経済学者が何人もいる

 1番については以下動画の4:03~23:18で経済評論家の三橋貴明氏がまとめたものがありますので紹介します。

 始まりから嘘だった!史上最悪のバカげた学問 その名は「経済学」[三橋TV第735回] 2023/07/28
 https://www.youtube.com/watch?v=aoRa-nKxMc0&t=243s

 他にも以下のような批判があるそうです。

2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、過去30年間のマクロ経済学の大部分は「よくて華々しく役に立たなく、悪くてまったく有害」と言った。ローレンス・サマーズもまた、インタビューの中で、主流派経済学の理論モデルに基づく論文は政策担当者にとっては本質的に無益であったという趣旨の発言をした。ニューヨーク大学教授のポール・ローマーは2016年1月において行われた記念講演において、「主流派経済学の学者たちは画一的な学会の中に閉じこもり、極めて強い仲間意識を持ち、自分たちが属する集団以外の専門家たちの見解や研究にまったく興味を示さない。彼らは、経済学の進歩を数学的理論の純粋さによって判断するのであり、事実に対しては無関心である。その結果、マクロ経済学は過去30年以上にわたって進歩するどころか、むしろ退歩した」と、主流派経済学の有様を容赦なく批判した[23]。
フランスの経済学者トマ・ピケティは「率直に言わせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしば極めてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほかの社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題にばかり没頭している。この数学への変質狂ぶりは、科学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずに済ませているのだ」と述べている[24]。

wikipedia 新古典派経済学 より

悟性と理性

 間違った思い込みを解消するためにこれから様々な視点を提供する記事を投稿していくつもりですが、記事内容に対して「ここがおかしい」とか「ここが間違ってる」と指摘できるところがないのに、どうしても受け入れることができない方も中にはいるかと思います。
 その原因として「認知的不協和」や「悟性」が考えられます。

 認知的不協和がどういうものかについてはネットで検索すれば色々と出てきます。また以下記事の「5-1 認知的不協和を乗り越えるには謙虚さが必要」も参考になるかと思います。
https://note.com/taira2/n/n59036237d8df

 また、悟性がどういうものかについては藤井聡氏の著書「新・政の哲学」に以下の記述があります。

 「悟性」が、対象を解釈する時に、特定のマニュアルや法則を固定した上で解釈しようとしていたのに対して、理性は、あくまでも対象に合わせようとする。つまり、悟性が固定的な解釈である一方、理性は柔軟な解釈を図ろうとする。いわば、悟性が「アタマの良さ」を意味するもので、理性は「こころの豊かさや柔軟さ」を意味するものだ、と言うと、分かりやすいかもしれません。
 あるいは、悟性が、理解の対象よりも、自分自身のマニュアルを重視し、理解対象を自分自身の「理解の鋳型」に当てはめ、そこからはみ出る部分を徹底的に「無視」する態度を取る一方、理性は、あくまでも理解の対象をそのまま尊重しようとする。そして、自分自身の理解の鋳型を様々に柔軟に変更し、どうにかこうにか、最も「素直に理解できる理解の方法」を探し出そうと努力する。つまり、悟性が自分の「思い込み」を重視して対象を軽視する一方、理性は、対象を重視し自分自身の「思い込み」を軽視しようとする。
 また別の言い方をするなら、「悟性」での理解は、必ずどこかで、理解する「支点」が固定されていると考える。つまり彼等はどこかに、「ぴたっと静止した世界」が存在することを前提としている。しかし、「理性」での理解は、必ずしもそんな静止した世界を想定しない。理性でモノゴトを理解しようとする人々にとっては、世界は常に、不安定で、不確定で、動的に動き回るものであることが前提となっている。もちろん、「ぴたっと静止する」ケースがあることも彼等は排除はしない。だから、彼等は動的な世界も静的な世界も、どちらも視野に収めている。
 しかし、悟性でモノゴトを理解しようとする人々は、究極的なところで絶対に不安定な「動的な世界」というものを認めない。この世界には必ず、地球の自転のような地軸のようなものがあると、イメージしているのです。(中略)
 いずれにせよ、悟性はモノゴトを「ぴたりと静止した支点」を通して理解しようとするが、理性はモノゴトの動きをそのまま捉えようとするのです。(中略)
 「イデオロギー」や「~主義者」たちの思考パターンを思い出してみましょう。
 彼等は、自分が信じたイデオロギーが絶対だと信じている。そして、そのイデオロギーで世の中の全てを理解し、説明し、制御しようとしている。そして、彼等はそれが「できる」と頑なに信じている。それは、ナチス・ドイツの頃の「ゲルマン民族選民思想」しかり、現代の「新自由主義」「グローバリズム」しかりです。
 だから、彼等は、彼等のイデオロギーに合致しない事実が見い出されたり、指摘されたとしても、頑としてそれを認めない。そういう不都合な真実など、存在しない、と声高に主張する、この態度は文字通り、「理性」(こころ)の力が全く消去され、「悟性」(あたま)の能力だけが肥大化した精神の姿だということができます。つまり、自分の思い込みだけを重視して、対象の多様性や生命的動態を認めようとはしないのです。活物を勝手に死物だと決めつけ、何もかも、都合よく対象を改造していくのです。

藤井聡著 新・政の哲学 P180-183

 少し難しいので、以下のたとえ話が引用部分の理解の助けになるかと思います。

 たとえば目の前のテーブルの上に10cmぐらいの大きさの物体が置いてあったとします。
 正面がどうなっているかは見ればわかりますが、裏側がどうなっているかはその位置からは分かりません。
 そこで裏側がどうなっているかを推測します。「正面がザラザラした感じだから裏側も多分ザラザラしてるだろう」「正面は黒一色だから裏側も多分黒だろう」といった感じです。しかしどれだけ考えたところで確信が持てないので結局は「わからない」となります。

 そこで裏に回り込んで確認して「あーなるほど」と納得して受け入れるのが「理性の人」。
 これに対して、裏に回り込んで確認することをせず、わざわざ回り込んで確認して教えてくれた人がいてもそれを無視したり、教えてくれた内容がいかに信用できないかを力説して結局結論を変えなかったり、嫌々ながら回り込んで確認したとしてもすぐ元の位置に戻って「確かに裏から見ればそうなっているように見える。しかし正面からはそのことはわからない。だからやはり裏がどうなっているかはわからない」と、絶対に一つの視点から見たことしか受け入れないのが「悟性の人」。

 「認知的不協和」や「悟性と理性」について事前に知っていると、今までにない視点も受け入れやすくなると思います。

言葉の定義

 私が使う経済関係の言葉の定義については以下記事の「1-3 言葉の定義」でいくつか定義しています。一般的な定義とほぼ同じだと思いますが、微妙に違う部分もあるかと思いますので参考までに。
https://note.com/taira2/n/n59036237d8df


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