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みつばの苦さが、寄り添ってくれた話

「失敗した~」と思ったことがありました。
たいていのことは、失敗は過程。ミスは誰でもするもの。私は普段そう考えるようにしていて、最近はちょっとのことでは大きく落ち込みにくくなりました。

けれど先日、自分の中でうまく消化できない「失敗した~」と思うことがあって、これが原因だなというのも自覚できていて。

それについて誰に指摘されたり怒られたわけでもないので私が考えているほど誰も何も思っていない可能性も大いにありますが。

それでも何か自分の中で消化できていないところがあるようで、くすぶっている感覚があったのです。

※ついこの前知り合いに「カウンセリングってどんな時に使えばいいの?」と聴かれたのですが、こういう時に使っていいのだと思います。

「これが原因だな」と思っていることが分かっていても、でもこれが原因である原因がまだ見えていない(言葉になっていない)というか、それがもやもやに繋がっているのだろうと思います。

これって、他者から「これが原因なんですね」と言われて「そうそう、それです」と結論が出ても、頭では分かっても自分の心はまだ結論づけられない状態なのだと思います。

こういう時、気持ちはなんとも落ち着かず、自己肯定感が下がったり、迷路にいる気持ちになったり、身体に力が入ったりするものです。

そんなわけでお昼ご飯を自炊する気持ちにならなかったので、外にお昼ごはんに行きました。行ってみたいなと思っていたカフェのランチです。

選んだのは薬味ソースのからあげランチ。つけあわせにお味噌汁がついていました。その味噌汁の具が、みつばでした。

一口食べて、苦かったんです。ちょっと苦みがありますよね。薬味ソースもそうだけれど、優しいみそ汁に入っているだけに三つ葉の方がえぐみを感じて、自分の心の中にもえぐみがある状態だったのですごく馴染んで染み入ったように感じました。

味が美味しいのもそうなのですが、おいしさと同時になんだか身体や心の傷にも染み入って、寄り添ってくれたように感じました。

こういう苦い気持ちの時、甘いお菓子よりも苦いみつばの方が人に寄り添うのが上手なのかもしれません。

人もそう。いい/悪いではなく、その時々のお互いの状態や気持ちによって、しっくりくる言葉が交わせる時と、眩しく感じる時と、まどろっこしく感じる時などがあります。

自傷行為やピアグループの効果、持つ力ってこういうことなのだろうな。


「自立とは、人に依存先を増やすこと」という有名な言葉を数日前に文章を書く際に使いました。

この続きの言葉は、「希望とは、絶望を分かち合うこと」。
みつばが絶望を分かち合ってくれたお話。



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