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生まれた場所と幼い日の思い出

 僕は理学療法士である以前に1人の人間であるので、当然生まれた場所と幼少期からの思い出がある。それ自体とても恵まれている。感謝しかない。
 僕が生まれ育った家は小さな半島にあり、山と海しかない小さな集落。小さな保育園・小学校・中学校があり、中学校を卒業するまでその半島から1人で出て行くことなど、ほとんどなかった。半島から出るときは親に連れられ、車で買い物に出かける時やなんかの大会とかくらいだった。もうほとんど島育ちである。そのおかげで、全校生徒が1000人近くにもなる、高校に進学したとき全校集会で度肝を抜かれた。緊張して数日でお腹が痛くなった。と思ったら入学して1週間で盲腸になり入院してしまった。この話はまたいつの日か。

(YouTubeで盲腸になった時の話はしています)

 まあそれだけ小さな集落で生まれ育って、いろんな人にお世話になりながら、多分色々迷惑もかけながら、スクスクスクと成長を遂げていった。
今でも、実家まで帰って、ゆっくり過ごす時間はなんとも言えない癒しになるし、実家を離れるまで当たり前と思っていた景色も、たまに見るとなんとも素晴らしい景観のように思える。実は海と山に囲まれた自然豊かないい場所だったということが、離れてからわかるという、なんともありがちな話。今でも車を走らせればそれほど時間もかからず帰省できるので、帰れるときには実家でゆっくり過ごすようにしている。釣りもできるし。

 今日は、僕が小学校低学年(もしくは保育園)の時の思い出。だと思う。

 正直なことを言えば、正確に何歳の時というのは記憶にないし、もっと言えば小学校3年生くらいまでの記憶はかなり曖昧でほとんど覚えていない。一般的にはその辺の記憶はどの程度残っているものなのかはわからないが、僕の場合はかなり記憶している量が少ないのではないかと思っている。

 ただ、断片的なワンシーンのみを切り取ったような記憶はいくつか残っていて、何がいいのかは分からないけれど、なんとも忘れ難い思い出がある。

 僕には1人の弟と双子の妹がいる。双子の妹とはずいぶん歳が離れていて、僕が小学校2年生の時に生まれた。双子の妹が生まれるまでは、僕は弟と両親と4人で一緒に、両親の寝室で眠っていた。母は分厚いマットレスに布団を敷いて、父は床に布団を敷いて寝ていた。僕たち兄弟は、多分母親の両隣に陣取って、マットレスの上で眠っていたのではないかと記憶している。妹たちが生まれてからしばらくしてからは、自分達の部屋で寝るようになったので、両親と一緒に寝ていたのはこの頃までになる。

 小学生というのは(保育園児であろうと)平日は朝が早く、結構慌ただしいものである。だから、朝は母親の声で起き、フラフラしながら階段を降りて食卓で朝食をとり、着替えを済ますとすぐにランドセルを背中に学校へ向かう。集団登校だったので、遅れると上級生に迷惑にもなる。低学年の僕はそんなことお構いなしなので母はずいぶん僕を急かしたのではないかと思う。でも、覚えていないので実際は知らない。ただ、自分の子供たちの朝の様子を見ると、どうも僕もこのころは似たような感じだったのではないかと思う。
そのころは土曜日も学校があったので、ゆっくりできるのは日曜日の朝くらいだったと思う。

 普段は慌ただしく起きて学校へ行っていたので、おそらく平日の話ではなく日曜日か祝日などの学校が休みの日の朝のことではないかと思う。

 その日の朝はいつものような慌ただしさはなく、日が昇りカーテンの隙間から薄い日の光が差し込んできても両親は布団から起きようとせず、僕たち兄弟も当然布団から起きることはなかった。いくら日曜日とは言っても、両親(特に母)がこんなに遅くまで布団に入ってゆっくりしている印象はなかったので、不思議な気持ちがしていた。

 その後、両親のどちらかがおそらく目を覚ましたようでテレビをつけた。朝から寝室でテレビをつけることは多分ほとんどなかったので、素直に「テレビ見れる」ことが嬉しかったのではないかと思う。いつもは慌ただしく動いてる朝にゆっくり起床し、布団の上に寝たままテレビを見ている。それが、なんだか現実味がなく夢見心地だった。

 そして、僕の中のうっすい記憶によると、僕はなんとも言えない温かな気持ちになっていたような気がする。慌ただしい朝という現実から一旦離れ、ゆっくりすぎる時間の中で両親と弟と共し過ごす時間とその不思議で夢見心地な空間が、なんとも心地よい感覚と穏やかな感情と共に記憶に刷り込まれている。両親に何か意図があったかは分からないが。

 今現在、僕は2児の父である。父(自分)は朝起きるのが遅く、子供たちの方がさっさと起きている。でも、休日は僕の遅い起床に合わせて、目が覚めていても一緒にいてくれていることがある。ときにはそのまま布団に入って、一緒に絵本を読んだり、今日の予定を話し合ったりしている。もしかすると、子供たちもまた、とある休日の朝に不思議と心地よい感覚と穏やかな感情を抱いて、僕との時間と過ごした空間を記憶に刻んでくれているかもしれないと思うと、こんな何でもない時間も大切にしたいなと思う。

 幼い頃に感じた穏やかな感情に包まれた記憶は子供の心の成長には、とてもいい影響があるのかなと感じている。心のあり方はどんな環境でどんな感情を抱いたか、そして、どのような行動をとって、どのような結果が得られたかということと関連すると思っている。

 穏やかに楽しく成長できる環境を作り、行動を観察し、ポジティブな結果が得られるように手助けをする。それが大事。かな。

幼き日の思い出。 
でございました。

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