団地の遊び 海の教会

海の教会

 そこがどこなのか、まるでわからない。覚えていなかった。多分、横浜か川崎か、そのへんの海だと思う。
 工業地帯のような所、という気がする。
 海の真横に教会があった。柵て囲まれている。柵の向こうは、海である。海の向こうには、煙突とかあったような、記憶がある。
 小さい教会だった。屋根の上には、十字架があった。
 その教会の横は、芝生で、大きな木があった。芝以外にも、クローバーとか、生えている。
 その木が、なんだったのか、多分、楠の木と思うが、ともかく、立派な樹だった。
 その木の根元で、芝草に寝転がり、一日中、海を眺めていた記憶がある。おそらく、八、九才だろう。
 いい天気で、暖かく、木陰で、木漏れ日に浸りながら、ボーっと海を見ていた。
 誰と一緒だったのか、なんのためここにいるのか、まるっきり忘れているが、この木の下で寝転がっていたことだけは、はっきりと覚えている。
 ものすごく気分が良かった。幸せを感じた。人生で幸福度ベスト3に入るレベルといえた。
 潮の香りは、今でも思い出せる。と同時に、芝草のにおい。
 頭の中に残ってるのは、教会と芝草の小広場と、海だけで、そっち側ではない風景の記憶がまるでなかった。
 海には、船があった。遠くに、白くて大きな船が、走っている。ボーーッという音が、聞こえる。真っ青の空には、時々、飛行機が飛んでいる。プラモデルみたいな小さな白い飛行機が、微かな音で動いていた。
 微風が吹き、芝草たちを揺るがす。緑の匂いが際立つ。カマキリが芝を歩いている。
 すさまじく平和であった。
 教会から、長い金髪の女の子が、出てきてこちらに近づいてくる。白人である。緑の目をしている。横縞の赤と白のTシャツ、水色のスカートを履いていたーーー我ながらよく覚えている。同じ歳ぐらいだった。
 その子は、芝に座ると笑顔で何か言ったが、声が聞こえなかった。口をパクパクしてるだけである。そのうち肩をすくめると、メモ帳を出しなんか書いて見せた。今から思うと、多分英語だろう。しかし、当時、なんだかまったく不可解な字だか、なんかにしか見えなかった。
 要するにこの子は、聾唖の方だった。聾唖という言葉は当時知らない。しかし、そのうち、なんとなく状況を把握してくる。
「声が出ないの?」芝生から起き上がって聞く。汗のニオイがした。日本語だが、まあわかったのだろう。うんうんと頷く。「暖かくていい気持ちだよ」周りを指差し言うと、わかったように笑顔で、うなずく。首から下げた銀色の十字架が揺れる。
 すると、女の子が海を指差す。真っ赤で大きな船が、走っていた。タンカーであった。
 なんかわからないが、二人して食い入るように見た。圧倒されてるような感じがあった。
 見終わると、女の子が教会を指差す。そして、手と手を合わせる。あきらかに、教会で祈らないのか?と聞いていた。
「まるで興味がない」そう言うと、怒った顔をし、行こうと口パクする。絶対行かない、そう言って首を振ると、今度は悲しそうな顔をした。なんか少しかわいそうに思った。
 日本人のおばさんが教会から出てきた。「アンナ、行くよ」すると、アンナちゃんは自分の頬っぺたにチュッとキスし、立ち上がると歩き出した。最後に手を振って教会方向へと、去った。
 五、六年後だろうか。工業地帯の親戚の家に、泊まりがけで遊びに来ていた。潮の香りがする街だった。工場の並ぶ向こうは海である。
 朝ごはんは、近くにおいしいパン屋があるから、そこで買うといいと聞いていた。よって、朝、パン屋に行った。
 そこには、話には聞いていたが、実際には見たことのないパンがたくさん並んでいた。フルーツサンドであった。
 これはテンションがあがった。イチゴ、ピーチ、オレンジ、いずれも生クリームサンドがたくさんあって、目移りした。全部食べたかった。
 しかし、そんなことは無理なので、イチゴとピーチ、ミックスを買った。
 すると、背の高い金髪の白人の女の子が店に入ってきた。首からシルバーのロザリオを下げている。
「アンナちゃん、おはよう」店のおばさんが言うと、アンナちゃんは笑顔で会釈し、紙を渡した。ハイハイと言っておばさんが、紙を見て、ショーケースからパンを取り出すーーー完全に自分は無視されている。
 アンナちゃんは金を渡すと、当たり前だがパンの入った袋をもらう。
 そして、こちらをガン見した。そして、顔を近づけると、頬っぺたにキスした。そして去って行った。
 自分は完全に忘れてるのだが、親戚の家の近所の人で、子供時代、何回か遊んでいたそうだ。
 アンナちゃんは、現在はもちろん手話ができ、幸せに暮らしてるという。



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