団地の遊び 川向こうの駄菓子屋

川向こうの駄菓子屋

 団地の中には、川が流れていた。たいした川ではなく、ハッキリ言ってショボい川なのだか、一応一級河川であった。
 ストアや集会所のある所は、こっち側である。つまり橋を渡らない。自分たちのテリトリーも川のこっち側であった。
 川の向こう側のことを文字通りに「川向こう」と呼んでいた。これは、一種、差別的なものがあって、「だって川向こうの奴って、変なヤツ多くない?」というようなことは、しょっちゅう言われていた。別に根拠はないのである。
 しかし、駄菓子屋は川向こうにあった。橋を、渡らなくては行けなかった。
 駄菓子屋は、正確に言うと団地内ではなく、団地からちょっと出た所にあった。
 行くときは、自転車だった。今から思うと、歩いてもそう大変な距離ではないのだが、子供的には、結構遠かった。一人ではまず行かなかった。
 なぜなら、川向こうに一人で行くのは、イヤな感じがしたからである。必ず友達数人と行った。
 その駄菓子屋は、こち亀に出てくる駄菓子屋そのもので、ばあさん一人でやっていた。両さん曰く、サイボーグなんじゃないかというぐらい昔からばあさんだった、と言いたくなるような人であった。ものすごく感じ悪かった。笑顔は一度も見たことがない。いや、一回ぐらいはあったかもしれない。
 値段は安かった。五円十円、。そして、ここでしか手に入れられないお菓子がたくさんあった。酢イカ、ピンクの小さな餅、きな粉棒、よくわからないゼリーみたいなやつ。梅ジャム、全てが魅力的であった。
 ところが、親たちは、ここの店に行って、買い食いするのを反対した。まず不衛生というのである。そして川向こうまで行くな。たいがいこの二つで文句を言われた。
 なんかあちこちの親が言っていた。しかし、それを守ってる子供は知る限り一人もいなかった。
 だが、実際問題として、この駄菓子屋は汚かった。築百年ぐらいなんじゃあないかと思える程、ボロい家だった。思い出す限り、平屋だった気がする。旧日本家屋という感じだが、決してレトロ感などというシャレた雰囲気はなく、あくまでも古い家といえた。
 店の中は暗い。現在なら、あり得ない暗さで、奥に行けば行くほど暗かった。その暗い奥に、完全白髪の婆さんがいる。こう書くと、ホラー的にも見えてくる。
 要するに、電気がなく窓がない、外からの明かりだけなわけである。
 お菓子の字も、よく見えない暗さだった。出入り口は、フツーに開けている。しかし、店の前の車一台幅の道、その向こうは神社で、木が茂っていて、早い話、日が射さない店内であった。
 親たちが、行くな、というのも、この佇まいだけでも、納得できそうである。
 四畳半程の広さだったような気がする。子供から見ても、狭い店といえた。
 しょっちゅう行く店ではなかった。行くときは、なんかのちょっとしたイベントのような感じがあった。なので、回数でいえば、もしかしたら、十回ぐらいしか行ってないかもしれない。
 妙に印象に残ってるのは、やはり、いかにも駄菓子屋という所だったからだろう。なんとなく遠足感があったせいもある。
 中学生になったら見事に行かなくなった。大人が買い物してるのは、一度も見たことがない。子供の時だけの社交場。まさにそういう所として、終わった。

#創作大賞2024
#エッセイ部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?