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言葉は生きているという話

先日、谷川俊太郎さんの絵本展を見て、改めて言葉の面白さを感じたのだが、そんなある日。
だれかと話してた時に、キャビンアテンダントのことを「スッチー」と言ってて、思わず「死語ですやんっ!」とツッコんだのだが、そこで引っかかった。
死語とは?言葉が死ぬのか?
一般的には流行り言葉のブームが過ぎ去ったら死語認定されがち。
でも、その言葉自体が無くなったわけではない。
先のスッチーに関しては、(特にジェンダーが叫ばれるようになってからは)本当に使われなくなった数少ない言葉の一つかもしれない。
これこそが、言葉が死んだということなのか?

考えてみれば、赤ちゃん言葉やギャル語、おじさん構文など、言葉に年齢が結びついた表現は多い。
関西弁や、もっと細かく言うと河内弁なんて地域性を持つ言葉もある。
国によっては、同じものを指す場合でも、女性と男性で使う言葉が異なる言語もある。言葉に性別がある。
こう見ると、言葉自体に人間性がとても現れる気がする。
そういう意味で、言葉は生きていると言えるかもしれない。

もう一つ。
言葉は時に凶器にもなると言われる。
たしかに、心無い言葉は物理的なダメージよりも人を傷つけ、追い詰める。
それは言葉自体が持つ意味に加え、その言葉を使う場面や使う人の態度、受け取る側の状況によって、与える影響は大きく変わってくる。
良くも悪くも。
同じ言葉でも、関わり方や場面で印象が変化することも、生きていると言われる理由かもしれない。
そしてまた、言葉は人を死に追いやることもある、ということは忘れないでおきたい。

言葉が生きているとすれば、きっと意思も持っている。
悪い言葉は怒りや憎しみ、悲しみをまき散らしがち。
ジョークとかネタってこともあるけどね。
良い言葉は周りを笑顔にし、明るく前向きな雰囲気を作り出す。
自分の口から出る言葉、書く言葉、全てが自分の分身であると捉えてはどうだろう。
言葉がその人を表す。
だからといって、良い言葉ばかりを使うとどこか嘘っぽい。
悪い言葉ばかりだと信用されない。
人を傷つけないことは大前提として、その中で自由に言葉を使うことが、その人となりを最も表現し、人間らしさを表すと言えるのではないだろうか。

言葉は生きている。
だからこそ、真摯に向き合えば、自分らしく育てられる。
大切にすればするほど、きっと共感する人や、応援してくれる人を連れて来てくれる、最高の武器であり、味方になるのではないだろうか。

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