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違和感を信じてもやもやを口に出そう

こんばんは、駆け出し眼鏡です。今日で研修は折返し。いよいよUnityを触りながら開発が始まりました。

今日やったこと
- 一日ひたすら開発。MRTK(Mixed Reality Tool Kit)の説明が少しありましたが、後はずっとグループワーク
- 午前中はデモの発表のためにひたすらプレゼンのシナリオを議論。なぜMRが必要なのかを考え続ける
- 午後は教えてもらいながら開発に取り組む。立方体が落ちるだけでめっちゃ感動した

さていよいよ研修も大詰めということで、開発期間に入っています。とはいえ、Unity未経験者の私にできることはほとんどなく、デモの発表準備などを細々と続けていました。後半は少し教えてもらいながら触っていたのですが、MR、プログラミングを初めてやったとき並の感動があります。自分が用意した立方体が目の前に浮かんでいるのを見たときは、HelloWorldレベルのプログラムを自慢して回るという小学生みたいなことをしてしまいました。

違和感を信じてもやもやを口に出そう
この形式もどうかなと思いつつ、これまでシアトルからの更新は前半は日記。後半は気づいたことや考えたことを文章に起こしているので、今日も引続き書いていきます。なんだかこの形式のほうがスキ数が多いのは面白いですね。

今回の研修は全5日のプログラムですが、その中身は
- 初日:デモ体験+レクチャー
- 2〜4日:ひたすらグループワークで設計と開発
- 5日:製品開発者とディスカッション
という流れで、メインはグループでの開発作業になります。

そしてこのワークでひたすら問われるのが、「なぜMRを使うのか?」ということです。いやMRの研修だし、何よりMR以外使っていいんですか?というのが1つの答えなのですが、そうではなくMRをビジネスにするにあたって「なぜタブレットやスマホ、VRではなく、MRを使うのか」を明確にしろと訴えられているわけです。

実際この研修で身につけて欲しいと主催者が考えているスキルも、開発スキルではなくこちらの考え方だと感じます。例えばそれはデモの発表時間が、プレゼン10分・デモ5分という時間配分になっていることからも明確でしょう。

そんな中で、みんなでうんうんうなって考えるわけですが、「MRじゃなきゃいけない理由」なんてそうそう転がっていないわけです。でもこれはMRの研修なので、そうとう意識して考えなければ、それ以外の可能性に気づかないまま、「これMRでいけるじゃん!論理的にも説明できそうじゃん!」と活気づいて進んでしまうことがよくあります。活気づいたときって大体視野狭窄になっているので、ミスが転がりまくってるわけですが、誰も気づかない。正確には気づいている人もいるんだけれど、言語化まではできていないから「後で言おう」「大したことない」と後回しにしてしまいます。

でも何にしてもそうなんですが、そこで感じた「違和感」は大抵正しいです。今説明できなくても、そのもやっとした気持ちは何よりも直感的に危険を察知した結果だとぼくは思っています。

ちょうど先日シャーロック・ホームズを見ていたら「違和感とは、まだ自分でも認識できないものを直感が感じ取った結果だ」というようなことをカンバーバッチが言っていました。これ本当に真実で、「なんかここがもやもやするんだよ……」というのは絶対口に出しておいたほうが得をすると思います。

世の中は「言語化できるもの」に強く依存しています。「言えない気持ち」や「まとまっていない意見」に冷たく、大抵相手にされません。理性的であることが吉とされているのです。

でも人間はもっと感覚的ないきものです。まとまっていないもやもやしたものを「もやもやしている」と伝えることがコミュニケーションにおいてとても大切です。そんなことを感じた今日一日でした。

なんだかいつもよりもかなりとりとめもなく、構成がめちゃくちゃな文章になってしました。恐ろしく眠いのは時差の影響か……。

とりあえず今日はここまで。本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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