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社会の気候

(お読み下さい:訳者からのお知らせ)


ほとんどの環境保護主義者は社会正義にも非常に関心を持っていますが、環境の物語と、特に気候の物語の筋書きの中では、社会問題は地球を救う壮大な使命に比べたら二の次になってしまうことが多いものです。前に私が注目したように、こうして何よりも重要な脅威と戦うため犠牲を求めることは、戦争が社会正義運動を踏みつぶすために使う方法と同じです。「泣き言をいうな、戦争中だということが分からないのか?」私の仲間のマリー・グッドウィンがあるとき有名な気候活動家にこう尋ねました。「でも今はコミュニティー作りも重要だと思いませんか?」彼は答えました。「そうとは言えない。もし私たちが気候変動を止めるために今すぐ全力を投入しなければ、作るべきコミュニティーも無くなってしまうだろう。」前にも書いたように、気候変動と戦争に共通するこの思考パターンには注意すべきです。ここではもう少し掘り下げてみます。私は「社会正義も大切だ」(言外に示すのは「ただし地球を救うほどの重要性は無い」)と言っているのではありません。生態系を癒すには社会を癒すことが欠かせないのです。

まず最も明らかなことですが、それが欠かせないのは、ひどく傷付いている人は他者への愛をうまく発動させるのが難しいからです。ふつう傷付いた人は、どうすることもできない痛みを愛する人に押し付けてしまいます。恵まれた人の想像とは反対に、アルコール依存症の父親が子供を虐待するのは、彼の子供にかける愛が、私たち自身の子供にかける愛より劣っているからではありません。傷付いた人と同じことが、傷付いた社会にも当てはまります。惨めで虐げられた民衆が、差し迫った自分たちの生存と安全を差し置いて、他のことに心を配るとは期待できません。何もかも奪われた貧しい人々が、生きていくことさえ不安な状況に置かれる一方、富める人たちは別の種類の貧困に苦しみます。コミュニティー、繋がり、生きる意味、親密さの不在は、物質的に豊かな状態であっても強い精神的ストレスを引き起こします。

この地球上で人間の苦しみの多くは、事故や自然災害のような避けられない悲劇から起きるのではなく、人間そのものから生じるのです。人身売買とブラック企業での労働、政治的暴力と家庭内暴力、人種差別と性暴力、貧困と戦争…。この全てが、私たちのシステム、私たちの認識、私たちの物語と共に生じます。これらの物語はトラウマから生まれ、さらなるトラウマを生み出します。

ここに、経済的正義と社会的正義と、環境とを結ぶものがあります。癒されない社会的トラウマを私たちが抱えている間は、仲間を虐待し続け、母なる地球さえも虐待し続けます。これは、「環境を癒そうとする前に、私たちのトラウマを先に癒しなさい」という意味ではありません。社会の癒しと生態系の癒しは同じ作業だということを認識するのです。どちらがどちらに優先するということはなく、他方が成功せずに一方だけが成功することはありません。

相互共存(インタービーイング)の因果の法則である形態共鳴から簡単に分かることは、最も弱い立場の人を搾取し虐待する社会は、自然をも搾取し虐待するということです。弱い立場の人を大切にすることで、他の弱いものたちの世話を促す気遣いの場が作られます。気遣いの社会では次のような問いかけが習慣になります。「取り残されているのは誰? 苦しんでいるのは誰? 才能を認められないでいるのは誰? 必要が満たされていないのは誰?」これらの質問が、公正な社会だけでなく、環境保護に配慮する社会の指針になるのは間違いありません。

「社会正義」という言葉は、私たちが地球への愛を完全に発動できるようになるために必要な社会の癒しを全て言い表すには狭すぎるかもしれません。人種差別、貧困、不平等、女性蔑視など、社会運動が昔から取り組んできた領域は重要ではありますが、実際には教育、医学、お金、私有財産のような極めて重要な制度を問題にしないまま、機会均等だけを問題にして取り組むことが多いものです。対象者の人種、性別、性的指向がどうであっても、システムそのものが本質的に暴虐的ならば、既存システムの平等な適用を求めて努力するのは、非常に間の抜けた形の運動といえます。

男女同権主義者が求めるものは、女性が環境汚染者として対等な立場を得ることや、女性がハゲタカ・ファンドのCEO、ブラック企業の所有者、スラム街の悪徳家主になることでしょうか? ブラック・ライヴズ・マター[黒人の命は大切だ]運動の活動家が求めることは、刑罰を重視する監獄社会で、学校を出て犯罪に走り刑務所行きになる人生の一本道が、黒人と同じように白人にも開かれていることでしょうか? もし私たちが現在のシステムを当たり前と思うなら、答はイエスでしょう。もし私たちが富のひどい集中を当たり前と思うなら、富裕層になるのも底辺層になるのも、全ての人種が当然同じ確率であるべきでしょう。もし私たちが全世界を覆う軍事機構を当たり前と思うなら、男性と同じように女性も将官になれるべきでしょう。もし私たちが地球を破壊する経済を当たり前と思うなら、女性も、ゲイも、黒人も、障害者も、トランスジェンダーの人々も、白人男性と全く同じように支配的な地位に就けるようにすべきでしょう。

リベラルなメディアはこういう想像にきっと反対するでしょうが、映画で女性スーパーヒーローが敵を打ち負かしたり、政府が黒人やゲイや女性を高い役職に任命したりするたびに、その想像を暗黙のうちに支持します。でも元々の男女同権主義者と急進的人種平等主義者は、既存のシステムの中で平等を勝ち取ることより大きなビジョンを持っていました。男女同権主義者は家父長制度の中での対等な地位を求めていただけではなく、システム全体を変えることを求めていました。マルコム・Xやマーティン・ルーサー・キング・ジュニアのような公民権運動のリーダーは、アフリカ系アメリカ人男性が米軍の中で対等に扱われることを求めていただけではなく、軍国主義と帝国主義を完全に廃止することを求めていました。でも現在は、公民権も女性解放も主流の運動はどちらも去勢され、平等という気休めの理想に落ち着き、権力構造の住人を入れ替えはするものの、構造そのものは手付かずのまま残っています。人種、性別その他、隔てる違いが何であれ、これらの構造が不平等を必然的に生みだしていることに、活動家たちは気付いていないように見えます。搾取的なシステムは搾取される人々を必要とします。人種的偏見、男性優越主義、国粋主義などは、このようなシステムを可能にし正当化しますが、こういった形の頑迷な偏見を根絶しても、根本的な原動力を変えることはありません。代わりに誰か別の人が搾取されるようになるだけです。

この問題を取り上げる理由は2つあります。第1に、社会正義がアイデンティティ・ポリティクス問題[人種、民族、性的指向、ジェンダーなど特定のアイデンティティを持つ集団が社会的に不当な扱いを受けている場合に、社会的地位の向上を目指して行う活動]の典型的バラエティー以上のものになることが必要だということを、はっきりさせておきたいのです。私たちが必要としている社会の癒しのためには、医学、教育、誕生、死、法律、お金、政府といったシステムの大改修、おそらくは全面的な建て直しが必要です。第2に、根本的なシステムを邪魔しない上辺だけの改革に手を伸ばす同じパターンに、社会正義と同様、環境保護主義も苦しめられています。ですから、企業が海外の工場で肌の黒い人々を搾取するサプライチェーンを運営するために本社で黒人や女性、LGBTQの役員を雇うことで、進歩的な企業だと自認することができるのと同じように、森林再生基金に出資して炭素排出量を減免することで、環境に有害な製品を販売しながらグリーンな企業だと自認することもできるのです。

これは、企業(あるいは、あなたや私)のグリーン正当化を非難しようというわけではなく、そういった正当化を可能にする原理主義の物の見方を照らし出すことが重要なのです。あらゆる形の原理主義は現実世界の複雑さからの離脱であって、宗教だけでなく多くの領域で勢いを増しているのが心配です。代替医療の様々な理論でさえ、「あらゆる病の本当の原因、驚くべき新事実発見」という形で現れるのが分かります。(それは寄生虫だ! 炎症だ! ストレスだ! 酸性の血液だ! トラウマだ!)原理主義は確実さの感覚を与えますが、それは与えられた筋道へと固定してしまう思考停止なのです。「原因」への突進は、信仰に基づく誰も疑問視しない原理への引きこもりで、私たちが知っていると思っていたことのこれほど多くが解体してゆく時代にあっては、役に立ちません。

もし私たちが気候原理主義を支持し続けるなら、その症状を示す気候変動という熱病は、直接の原因に対処しようと目に見える対策をいくら取ったところで、悪化するだけでしょう。数値(気温や温室効果ガス)を引き下げることはできるかもしれませんが、医者にかかった患者が「検査の結果、あなたは全く健康です」と告げられた時のように、病は私たちがあえて測らないもの、測る技術がないもの、そもそも測れないものに現れます。私たちは症状の下へと潜り、生態系の健康の基礎を修復しなければなりません。修復すべきは、土、水、樹木、菌類[キノコやカビ]、細菌、そしてあらゆる生物種と生態系、世界中の人類の文化です。

(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/the-social-climate/

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」 
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸

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