「出場機会」問題
子どもたちが試合に出られるために必要なことって何だろう?
主力選手←レギュラー選手←控えメンバーだけど途中交代で起用される←控えメンバーでほとんど起用されない←メンバーに入れない。
図式化するとこんな感じだろうか。試合に出るためには並み居る競争を勝ち抜き、ポジションを獲得する。そのために各自努力をし、這い上がってくることを要求される。とかく日本では「練習を頑張る⇒うまくなる⇒試合に出る資格を得る」という図式を乗り越えなければならない、という考え方が一般的なのかもしれない。
ここにみなさんは違和感を覚えないだろうか? 私はとても感じている。
子どもたちが試合に出ることに資格などいらない。そうではなく、試合に出るというのは、所属している選手みんなにある権利だ。そして子どもたちの成長には十分な出場機会が必要というのは、育成における考え方の何よりのスタート地点だ。
そもそも、なぜ子どもたちはグラウンドに集まってくるのだろう? もちろん、それぞれにそれぞれの思いがある。友達と一緒の時間を過ごしたい。体を動かすのが好き。家にいると退屈。加えて現実問題、子ども本人がやりたくてサッカークラブに来ているのか、親にやらされているのかというテーマもある。ただ、話がぶれてしまうから今回はその辺りに関してはカットします。
いずれにしても、多くの子どもたちが抱いている思いは、「サッカーがしたい」からではないだろうか。そして彼らの願うサッカーというのは、みんなと同じピッチに立ち、仲間と協力して、支え合って戦える、試合という舞台ではないだろうか。そこでチームの一員として貢献して、願わくば勝利を一緒に分かち合いたい。もし負けたとしても、全力で戦った仲間同士励まし合いたい。そうした時間と環境が、子どもたちには何よりも大切で、だからこそまずは整理されなければならないところなのだ。
どうも日本ではやるべきこと、やらなければならないことが先にきていることが多いのではないだろうか。もっと強くなるために、もっと勝てるようになるために。それが先にきてしまってないだろうか。勝利至上主義ではダメだ。だから気がつくと、あれもやれるし、これもやっておかないとあたふたする。だから一度、子どもたちにはどんな時間が必要か、落ち着いて考えてみよう。
あるお父さんは、「正直スケジュールが大変過ぎると思う。トレセンに参加できることは素晴らしいことだと思うが、だからと言って週に3回やっているクラブでの練習に加えて、となると考えなければならない。練習の質は正直、クラブの方がいいと思うから、トレセンの方は辞退しようかというのも考えている」と打ち明けたらしい。トレセンがどうこういう話ではない。選出されることはもちろん素晴らしいことだと思う。でも、やり過ぎたら潰れてしまう。
今できているかどうかではなく、その大変さをあと10年、20年続けることができるのかという視点が必要なのだ。だから、練習時間が多ければ多い方がいいわけではなく、所属先がどこであるかが大事ではない。子どもたちの成長に大切なのは、立場の平等ではなく、機会の平等なのだ。ない時間を作るために、他を犠牲にし続けるのではなく、他を犠牲にしなくても済むようなスケジューリングを考えることが大事なのだ。だからこそ、チームやクラブにおける年間試合数や頻度もそうした点を考慮して決められなければならない。全員出場というのは理想なんかではなくて、そのための最低条件なのだ。
確かに、休むことの重要性について書いたが、日本だと「オフを増やすと、出場機会を確保することが難しい。よく試合に出る子とあまり出られない子がいる状況は変わらない」という話も聞く。だがなぜ、そもそもそんなふうに分けられてしまうのか。他では、メジャースポーツでも、どんなマイナースポーツでも、まず整理されるのがリーグシステムだ。集まった子供たちが可能な限りみんな出場できるような仕組みを作る。才能ある選手を育てるためだとか、選抜して勝ちを目指すだとかを理由に一部の子どもにしか目を向かないというのは、そのスポーツにおける将来の芽を潰してしまうことに他ならない。
例えばブンデスリーガだと才能ある子どもたちが集まるクラブ同士がより拮抗したリーグができるようにと、ブンデスリーガの育成クラブ同士では、私設リーグをスタートさせたりしている。だが、それは基盤となる試合のシステムとリーグのあり方が整理されているからこそ、意味のあるものになるのではないだろうか。現在、U-13であれば1~3部のリーグシステムが整えられている。1部リーグは日本で言う都道府県リーグの枠内だ。だがこの枠を飛び越えて、例えば関東リーグを作ったり、全国大会を行おうとはしない。なぜか。それは、移動距離・時間が増え、環境が変わり過ぎるというデメリット、そして、大会・リーグ規模が大きくなればなるほど、そこへ本来不必要な過度な競争意識や勝負へのこだわりが生じてしまうからだ。子どもたちが受けることになるストレスが、彼らの成長にマイナス影響を及ぼしてしまう。強過ぎる刺激は、将来的な伸びしろを潰すことになり、好奇心や向上心の持続や発展を麻痺させてしまう。
強化とは、子供の適切な成長へのアプローチなくして行われてはならないのだ。彼らに必要な彼らの時間、彼らの環境は絶対に考慮されなければならない。12歳が育成のゴール地点ではないし、19歳になった時に成長が止まってしまうのも間違いだ。そこからさらに選手として、そして一人の人間として成長できるようになるための下地を作るのが、育成年代で取り組まなければならない最も大事なテーマではないか。だからこそ、ここまで挙げてきた前提条件を大事にしたうえで、ではどうすればより最適な試合環境でリーグをすることができるのかを考えることが正しいアプローチなのだ。順番が逆になってはならない。
日本の育成において過密日程が深刻化し、リーグ戦がリーグ戦の役割を果たしていないのが問題なら、年間スケジュールを整理しなければならない。リーグ戦が1日2試合行われていたら、それはもうリーグ戦のあり方から遠く離れてしまっている。歴史ある招待杯やフェスティバルをおざなりにするつもりはないし、これまでの日本サッカーに貢献してきた大事な大会であることは重々承知だ。それでも、本来子どもたちのために生み出されたはずの大会が、子どもたちの負担になってきてしまっているのだとしたら、そろそろ変革の時期ということではないだろうか。最適な試合数、最適なレベル分け、最適な移動距離。誰かのためではなくて、そのスポーツを愛する子どもたちが当たり前の権利を手にできるためのシステムが確立されなければならない。