野球の思い出まとめ 後編

 先月唐突に野球の思い出話をしようかなと思い立ち、その話を書き始めてみたのですが、今月はその続きの後編を書こうかなと思います。野球は本当に途中で学校を変えたりの繰り返しで、恥ずかしくて友だちとかにはあまり本当のこととかを話せていなかったので、ここに書き捨てておこうと思ったのです。
 前編では京都のR中学校に入学したところまで書いたと思うのですが、その中学校は俺が予想していたよりも軟式野球部が強い強豪中学でした。正直、坊っちゃん中学やから野球も大したことないやろとたかを括り、へらへらしながら野球部に入ったのですが、そこに待ち受けていたのはGACKTみたいな、パワプロのマイライフのコーチみたいな、そんな雰囲気をもった顧問の先生でした。
 その先生は礼儀にも厳しくて、めっちゃ怖かったんですが、その先生や監督の指導のおかげで野球がかなり上達したような気がします。その先生はその年の終わりに、それまでは自身の野球のスキルを見せつけることとかもなかったのですが、バッティング練習のときに打席に入って、マシンの球をぱかぱかと外野のフェンスまで飛ばしたのちに辞めていきました。
 その怖い先生が辞めたあとには優しい感じの顧問の先生に変わり、俺も二年生の新チームからレフトのレギュラーになれたのですが、その時期に同じクラスの彼女ができて、その彼女に深夜アニメを教えてもらいました。今でも覚えているのですが、『けいおん‼︎』です。野球部がこんなに厳しいのにこんな優しい世界があるのかと軽い厨二病を発症し、その彼女と別れたりしたあとに不登校になりました。当時の通知表を最近見返したら見事に急に出席しなくなっていたので驚きました。
 その年に買ってもらったガラケーで不登校のときに見ていたアニメでいまだに覚えているのが、『お兄ちゃんのことなんか全然好きじゃないんだからねっ!!』と『これはゾンビですか?』です。これはあまり関係ないのですが、不登校のときはほかにも映画とかをよく見ていました。
 中学三年生のはじめに、鳥取のおばあちゃんの家に住まわせてもらいながらそこの公立の中学校に転校して、そこでも軟式野球は続けました。たまに長打を打ったりで大して打率は高くなかったのですが、引退までずっと四番打者として試合に出してもらっていたのを覚えています。そこにも野球のうまい友だちがいて、一番野球をしていた感がありました。
 そのままそこの近くの公立高校に進学したのですが、その高校は本当に一ヶ月ほど過ごしたのちに行かなくなって辞めてしまいました。入部した硬式野球部の練習がハードやったのもあったのですが、簡潔に言うと向いてなかったのかなと思います。小さいころにキャッチボールをしてくれたおばあちゃんの家の近くに住んでいたお兄ちゃんがいたり、かっこいい先輩が多かったのをよく覚えています。ついでに言うと、同級生たちはその後三年生になったときに甲子園に出ていました。
 その後京都の実家に戻ったあとに、親の勧めで再度、オンラインでフィリピンの女の先生から英会話を学んで、その年の終わりごろにニュージーランドの高校に留学しました。唐突やなと思うかもですが本当です。そこでは野球をやらんやろなと正直思っていたのですが、そこにもちゃんとベースボールクラブがあって、その高校にいた現地の日本人の友だちにいつの間にか入部手続きのようなサインをしてもらって、そのクラブに入りました。余談ですがその友だちは今までに会った人たちの中でも断トツで顔が整っていて、最近の高校生ラップに出ていたRunLineくんの背が高い版みたいな雰囲気のやつやったんですが、欧米文化なのか出会った当初から結構口が悪くて、次第に親友のような感じになりつつもこちらからちょっとずつ避けるようになっていきました。
 そこの野球クラブでは、それまでやったことがなかったピッチャーをいきなり任されて、最初の年は日本から短期留学で来ていた、中学のときにブルペンキャッチャーを手伝いでやっていたくらいやというバレー少年の友だちにキャッチャーをやってもらって、捕ってもらったり、二年生のときは外野手兼投手みたいな感じで大会のベストナインに選ばれたり、チーム内のMVPの賞とかをもらったり、三年生のときは、ほかにもいいピッチャーのディランや球の速いトマスもいたのですがコーチからエースと呼んでもらえたりで、充実していました。ちょっと自慢みたいになりましたがわりと本当です。ニュージーランドの高校野球のレベルはそこまで高くないというのももちろんありますが、そんな感じで俺の野球人生は終わりました。その後も現地の大学に入学したりで、野球のクラブチームもあったのでそこに入って続けるという選択肢もあったのですが、勉強が忙しくなったのでクラブチームに入る気とかは全く起きませんでした。
 俺の野球人生は、まとめるとそんな感じでした。変に続けなかったのもむしろよかったのかなと思うし、正直満足しています。ニュージーランドの思い出とか、ほかにも色々と思い出話はあるので、書くことが見つからなかったときはこれからもここに書き捨てようかなと思います。見たとおり長ったらしいですし、読みたくない人はこれからもこんな感じで書くと思うので、気にしないでください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?