"映え"ていないものの価値
昨日のnoteにも書いたのだけど、昨日西武池袋線 元加治駅というところにあるトーベ・ヤンソン子どもの森公園にカフエマメヒコの皆さんと遠足に行った。
写真で撮ると、このように写る。
だが、どこか魅力や良さが伝わっていないように感じる。
ディズニーを見なれている人には、もしかしたらやや見劣りするように感じるかもしれない。
しかしこの場所の注目点は、写真を撮った人間が写真映えしないな、つまり肉眼で見てる、味わっているこの空間の良さを写真では伝えきれていないな
と感じるところです。
"映え"になると興奮して撮るのですが、ならないのです。
なぜか?
何かが独立して良いのではなく、その空間自体が、それぞれのものが関係しあっているから良いと、写真という線が引けないということが写真を撮ることによってわかる。
写真を通すと、"映え"ないのだ。
でも裏をかえせば、"映え"ているものは写真で魅力が充分に伝わっているので、もしかしたら行くと少しがっかりしたり、予想通りなことがあるかもしれない。
だが、"映え"ていないけど、人が興奮しているものはその場に行かなければわからない何かがあると言える。
この場所で写真を撮って思ったのは、今後"映え"ているものより、"映え"ていないけどコメントが熱いものこそ身体と時間とお金を使って味わうべきものなのではないかと教えてもらったような気がしている。
"映え"ていないものの価値である。
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