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やさしさの形

中学の時、同級生からやさしいと言われたことがありましたが、ボクはやさしくした覚えはありませんでした。


なんのことを言ってるのかと思いましたが、それは自身の意見に賛同してくれた、同意してくれたということだったみたいです。



人はよほどのことがない限り、反論反対はしません。
なぜなら思いがないことなのに意見を対立させるのが、思いの外疲れるからです。



なのでボクは当時同意や賛成よりも、反対や反論、異なる意見を伝えてくれる人こそが、人として誠実でやさしいと思っていました。
手間や時間をかけて、最悪嫌われる可能性を厭わず伝えてくれることには、人と向き合う覚悟があるからです。



そしてこの時じぶんがそれができていたかと言われたら、できていなかったと思うので、やさしいと言われたことに違和感を持っていました。


今もその考えは変わらずその通りですが、見え方が変わった部分もあって、相手がやさしいと感じて、伝えてくれた部分は紛れもない真実であり、その人には同意や賛成を示してくれることがやさしさなのだということ。

反対や反論を伝えてくれることがやさしさだという価値観のボクとは違うやさしさの形を持っていて、その人が感じたやさしさを、ボクに伝えてくれていたことを最近想像する。

違うやさしさの形も共存できるし、どちらかにする必要もない。

お互いの感じ方や世界の見え方の中で一緒に過ごしていけたらと思う。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
争いはどちらかをどちらかの形にしようとするところから起こる。

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