じぶんたちのことをじぶんたちで決めること
反対しないということは、イエスと言っているのと同じだ。
こち亀の両津勘吉はそうやって怒り、じぶんで政治家になろうとするという話がある。
様々な不公平な制度、誰のためか分からない組織、強固な利権、じぶんたちのことしか考えていない様々な所作に、あれやこれに目を覆いたくなるし、驚き、怒り、呆れ、失望し、最後にはどうでもいいと思い、考えなくなり、見なくなる。
じぶんには関係ない、興味ない。
でも実はそんなことはない。
冒頭の両津勘吉が言ってることは真実で、無関心こそが目を覆いたくなるような人を膨張させる栄養素であり、エンジンなのだ。
「誰にも責任を取らせず、見たくないものを見ず、みんな仲良しで暮らして行けば楽でしょう。しかしもし、誇りある生き方を取り戻したいのなら、見たくない現実を見なければならない、深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない、戦うとはそういうことだ」
これはドラマ『リーガルハイ』の公害訴訟の回の台詞だが、両津勘吉とリーガルハイは同じことを言っている。
見たくないものを見て、じぶんの頭で考えて、じぶんの責任で判断して選ぶこと。
それを放棄すれば、じぶんたちを取り囲む世界は当然腐っていく。
腐りかけているものをそのまま腐敗させるか、変化させるかは、一人一人の姿勢にかかっている。
選ぶ力は、反対する力は、強い。
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