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記憶はじぶんのものだと疑わないこと

人とは記憶である。


何となく昔からそう思っている。




『ブレードランナー2049』という映画で、レプリカントと呼ばれるアンドロイドが、大切にしていた記憶が作られた記憶であることがわかるシーンがあるのだが、ボクらはその疑いをじぶんに向けたことはない。



良い思い出も、苦い思い出も、それぞれ受け取り方はあるけれど、共通してじぶんの体験であることは信じきっている。



そしてその揺らがなさがじぶんを形成している根っこの部分になる。


だからこそ映画の中で描かれていた記憶を疑わなければならないシチュエーションの過酷さを感じたし、ボクらが人であるために、その部分はいじってはいけない部分なのだということも同時に学んだ。



じぶんの体験、記憶、感じたものが改変される可能性があり、それを一度ほんとうか偽物か疑わなければならないのは、生きていく上で足場が緩いことになる。



現在ボクらが力を出せたり、じぶんのことが語れるのはこの部分が担保されているからで、脳になんらかの操作をくださるデバイスが現れたとしても、ボクはなるべく入れない方向で調整したい。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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