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Bullshit Job蔓延の原因⑤:過剰な説明責任/アカウンタビリティ

Bullshit Jobが蔓延する理由について、いくつか追加で思いついたのでアドホックに付け足します。

説明責任やアカウンタビリティが大量の「報告書」を生む

まず思いついたのは、過剰な説明責任やアカウンタビリティです。

どういうことか。

仕事の大事な要素として「意思決定」があると思います。特に経営陣の仕事は意思決定がほぼ全てであるといっても過言ではないでしょう。

「この新規事業の推進を1億円の予算、1年間の期限でOKするのか否か?」

「1年後にどれだけの結果がでてなければ撤退するのか?」

「プロジェクトでパフォームしていない人材が出たときに彼/彼女をどこに配置転換するか?」

などなどなど、決定の連続です。

この意思決定には「説明責任」が伴います。なぜ1億円の予算をOKしたのか?なぜ1年なのか?なぜ撤退を決めたのか?どういう基準で彼/彼女はパフォームしていない、と判断したのか?などなどなど。

なぜ「説明責任」が大事なのか?

なぜ「説明責任」が伴うのでしょう?

まず一つ目の理由は、会社のお金は経営者が株主から預かっているものなので、テキトーに使うわけにはいかないからです。きちんと合理的な根拠があって、初めて使うことが許されます。経営者は「なぜそういう意思決定をしたか」を株主にきちんと説明することが求められます。なので、経営者は従業員にも同じことを求めます。従業員の意思決定の責任は経営者がとるからです。

なので大組織では膨大な量の「説明責任」が求められます。部員は部長に対して説明しなければならず、部長は本部長に対して説明しなければならず、本部長は取締役に対して説明しなければならず、etc etc etc....

もう一つは、法律がそれを要求しているからでしょう。従業員を解雇したり、減給したりするときに、「なぜ解雇したのか?」「なぜ減給したか?」の合理的な説明がないまま解雇したり減給したりしたら、法に抵触してしまいます。

そして、説明責任をちゃんと果たしたよ、ということは証拠に残しておかなければならないので、文章にします。こうして、大量の「報告書」を作る必要がでてきます。稟議書や議事録、通知書、企画書、等ほぼすべての会社における文章は、最終的には、合理的な説明ができるようにするために存在すると思います。

なぜ「説明」が大事なのか?説明できることは、いい結果につながるのか?

さて、じゃあなんでこんなにも「説明」が大事なんでしょう?こんなに膨大な労力を費やして「説明」をする必要があるんでしょうか?

一般的には、「うまく説明できること」=「正しい/真実である可能性が高い」と思われているからだと思います。

例えば、Aさんが部長に対して「新規事業を思いつきました!ここに企画書あります!読んでみてください!」と言ったとします。そして、その企画書はよく書かれていて、部長が「これならOKだ!やってみよう!」と言ったとします。

このとき、その企画書は、新規事業が成功する可能性が高いという説明を上手くできていることになります。そして、部長はその説明によって「この事業が上手くいきそうだ、というのは正しい、真実だ!」と思うからOKを出したのです。

株主と経営者間における説明責任も同じです。経営者が上手く説明できる(ファクトやロジックできちんと筋道立てて説明できる)ということは、株主がその説明が正しいと思う、ということです。

「説明できる=真実」なのか?

でも、僕はこれを少し疑っています。「きちんと説明できる=説明されていることが正しい」という等式は成り立つんでしょうか?

Aさんが部長に対して新規事業のプランを上手く説明できた、ということは、その事業が上手くいく可能性が高いということと同義なのでしょうか?

必ずしもそうではないように思います。Aさんが単純に説明が上手かった、というだけな可能性も大いにあると思うのです。

(この話は、説明とは何か、ロジックとは何か、という話につながるので深入りは避けます。)

説明の上手な人、文章の上手な人が出世する

なので、説明が上手だったり、文章が上手だったり、コミュニケーション能力にたけていたりする人が出世したりします。(こういう人を、「インターフェース優等生」と揶揄する人もいるみたいです。。。)

でも、その人たちは必ずしも事業を推進して成功に導くのが得意ではなかったりするかもしれません。(もちろん、説明もうまくて事業の推進力がある人もたくさんいると思います。たくさんではないか?笑)

上手く説明するための綺麗な資料が積み重なる

そうすると、何が起きるか?

上手い説明をするための資料や報告書、企画書が社内に積みあがるんです。でも、それを作ってる人は薄々わかってるんです。この資料の説明はしっかりしてるけど、実現するかどうかは別問題なんだよね、、、と。

でも、アカウンタビリティが重視される世の中だし、仕方ないよね。報告書しっかりつくるか。。。。でも、それってフィクションの小説書いてるのに近いよね。。。俺なんでこんなことやってるんだろう。。。?

はい、Bullshit Jobいっちょあがり。

公的組織だとなおさらそうなる

上の例は民間企業の例ですが、パブリックセクター、政府系組織だと更にひどくなりそうです。

なぜなら、国民の血税をつかって事業をやっているので、それがどう使われたか、なぜそう使われたか、使った結果はどうなったか、を逐一丁寧に説明する必要が出てくるからです。

過剰な説明責任/アカウンタビリティはBullshit Jobを生む?

もちろん、説明責任が全く必要ないといっているわけではありません。説明責任がないと、経営者が暴走し、官僚は汚職し放題になってしまいます。(途上国の官僚組織とかみたいに。。。)

でも、過剰な説明責任/アカウンタビリティはBullshit Jobを生むんではないかなと思いました。

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