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言葉を知らなければ、世界の見え方から全く変わります。

おはようございます! ( *´艸`)
哲学会議室管理者のてっつんです。

「語りえぬことには沈黙せねばならぬ!」

という哲学者の意見は無視して、
本日は語りえぬことを独自の視点で語り切ります。

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今日は、

以前子供と外食していた時のこと。



私はご飯を食べながら何気なく外に目を向けると、
なんと5秒くらい経ってから
やっと雪が降っていることに気付きました。

娘も同じく外を見ていましたが、
雪が降っていることに気付いておらず、
私が伝えると「本当だ~。」と言って喜んでいました。

これは

「言葉を覚える前の世界の見え方」

と同じような状況ではないかと思いました。

私達は言葉を知らいないと何も知覚することが出来ません。

例えば、外の景色を見て
「上から降ってくる白いもの(雪)」を言葉として捉えた時に、
外で何かが降っていると理解します。

次に、外が寒く雪が降るのではないかと理解した時に、
「上から降ってくる白いもの」が
「雪」だと理解出来るということです。

ということは、「雪」や「白いもの」などの
そもそもの言葉を知らない赤ちゃんには
何も映らないかもしれません。

もしかすると、何かが見えているかもしれませんが
その世界は言葉で整理されていないので、
カオスになっているのではないでしょうか。

例えば、灯台下暗しというように、
目の前にあるのに見えていない事は
多くの人が体験されていると思います。

しかし、灯台下暗しは見るべきものが
実際にあるものなので、言葉を知ってさえいれば
見ようと思えば見ることが出来ます。

一方で、権力者などの強者だけが知る概念は、
無形なので、概念や言葉を知っていなければ
いつまでたっても見えません。

よく考えてみると

人間には知覚できないモノや事柄ばかり

ですが、私達が思い描く真実は、
自分が知覚出来たことからしか発生しません。

ということは、最上位の言語構造を知っているからこそ見える
強者の世界観があるということです。

哲学は世界のリーダー層が見る視点を言語化することで、
私たちのような弱者にも強者と渡り合う視点と考え方を
学ばせてくれています。

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