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体験組成研究室~「体験‛組成’って?」 その1(とりあえずメモ)

「ものより思い出」に始まり、かれこれ四半世紀以上、その業界業種問わず、様々な事業者が「コト化」「サービス体験」「エクスペリエンス」「UX」と自らの提供する何らかの価値を体験として如何であるかに留意し、多義にわたる挑戦をされてきている。

コミュニケーションの領域でも特に「体験づくり」「体験設計・開発」は都度重要なテーマである。

設計や開発というと、「体験」というものが建物のように構造を成していたり、時間軸の右から左へ流れていくような順序だて、規則的な工程を経ていくように考えてしまうが、しかし実態はどうだろう。

例えばとある事業者が顧客向けにイベント体験を提供するにしても、確認/網羅していかなくてはいけない事項はおよそ定まってきているものの、そこで実際優先される事項の優劣とは一定でない。又その各事項を完了させていく工程・スケジュールというのも一定ではない。というのも、体験とは常に外部環境やステークホルダーと密接であって、無機質な部材を合体させて成すものでなく、様々な生身の要素を絡めあい、混合一体化させて完成させていく性質をもっていると言えるからではないだろうか。

その実状をみると、体験とは生きた細胞を組成することのようにも思えてくる。
・・・ということで、本研究活動のお題を「体験〇〇うんちゃらを改めて学んでいこう」の意を表現したいと思ったとき、構造学?工学?、、(いや自分文系だしなぁ苦笑)、、理学要素も入れば「理工?」いやいやもっと違うなぁ(苦笑)。…やりたいのは新しい時代新しい世界をより素晴らしくするために体験を究め、様々な現場に活かしてもらいたい…のだから「究活学だな」とふと思ったのものの、あまりも新語・造語過ぎるから、とりあえず組成でいいかということで、暫定で「体験組成学」とあいすることにした。

以下は、「体験づくり」していくにあたって、考慮される事項をざっくりあげてみたもの。又それは□とか△とかでなく、規律ある構造の中におさまるものというよりは、時々の状況・事情によって変化する細胞を組成していくようなかんじであろうと今日の実際からは見受けられる。

そしてである。これは提言に近い提案であり、まさにこれから諸方皆さんの考えを加え、より良い理解と実践へつなげていきたいのであるが、これら体験を組成するものだけでは、もはやコロナ後の社会、AIが存在感を高める社会、人口80億の世界では物足りないのでないか。新たなものを改めて考慮すべき存在として加えていくべきではないかと考えており、ここでそれをより明らかにしていきたいと思う。





例えば何等かのサービスやコミュニケーションの体験づくりにあっても、昨今においては事業者のパーパス、存在意義や人々のウェルビーイングをやはりその中心や軸に置かなくてはならない、意識的にそこに適う行動をとろうというところは実態数は多くはないが、それでも着実に増えてきていることは実感として伺える。

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