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【エッセイ】御朱印帳は我が家のアルバム

*このエッセイは2020年に天狼院書店HPに別名義で掲載されたものです。一部追記修正しています。

「ここから始めるから、御朱印帳買ってくる」
 そう言うと父はいそいそと御朱印帳を買いに行った。
 今でこそ御朱印がブームとなっているが、我々はその10年以上も前から先取りをしていたと父は言う。
 
 平成20年9月19日、それはたまたま私がニュースを見たことから始まった。金曜の夕方のニュースで「関西の名だたる古社名刹が手を結び神仏霊場会を設立。150にも及ぶ寺社仏閣を巡る巡拝の道が誕生した」という話題があったのだ。テレビの中にはお坊さんと神主さんが揃って取材を受けているというややシュールな絵面に150社寺という文字。かなりのインパクトである。
 
 このニュースを見て私の中で驚いたことは3つあった。
 1つ目は、これまで御朱印は仏閣でもらうものだったが、神社でももらえるようになったこと。
 2つ目は、神社仏閣が多数ある関西地方の中で、あえて150寺社選定をしたこと。(後で伊勢神宮関連が多いことが分かった。)
 3つ目は、150箇所という途方もない数の御朱印を集める巡拝であること。四国でさえ88なのに、そのほぼ倍とは思い切ったものだ。
 この時ちょうど関西に住んでいた神社好きの私がやらないわけがない。しかも次の日は両親が遊びに来て、一緒に鞍馬寺と貴船神社に行く予定だった。
 よし、私の巡拝の道は鞍馬寺から始めよう!
 
 翌日、鞍馬寺に着くと、私は御朱印帳を購入してそのまま最初の御朱印をもらうために社務所へ向かった。昨日ニュースで出たばかりで巡拝の道はまだほとんど知られていなかったのだろう、社務所ではこう言われた。
「150寺社の御朱印帳、ここに買いに来られたお客さん、初めてですわ。周るところ、たくさんありますけど頑張ってくださいね」
 受け取った御朱印帳は持ち運ぶのもかさばりそうなくらい分厚い。けれども、産まれて初めて買った御朱印帳はなぜか特別なもののような感じがした。1ページ目にはまだ墨の匂いがする鞍馬寺の御朱印がある。基本的にその場で書いてもらうため、同じものは1つとしてない。両親は「御朱印なんてもらったことないわ」と珍しそうに見ていた。
 
 それから私は毎週のように御朱印帳を片手に、関西のあちらこちらの寺社を周り始めた。京都まで電車で15分という場所に住んでいたため、京都市内の神社仏閣は早くのうちに御朱印が集まった。時々両親が遊びに来ると、車でしかいけないようなところに一緒に行き、御朱印を集めて続けていった。
 
 母は御朱印には全く興味がなかったが、こういうことでもない限り行かないような寺社を色々見ることや各地のローカルフードを楽しんでいた。父は私以上に訪問場所を調べ、どのルートが一番早く行けるか、効率よく回れるかを研究し尽くし、「今日はここ、ここ、ここ」と奉行のように取り仕切っていた。きっとこの頃から父は自分でも御朱印集めをしたいと思っていたに違いない。
 
 ある時、琵琶湖に浮かぶ竹生島の「宝厳寺」に行くことになった。ここ船でしか行けない場所で、古くから神の住む島と言われている。一日がかりの訪問だ。
 
 島に着き、165段の石段を上る。私が境内で御朱印をもらってくると、父が突然「私もやろうかな」と言い出し、母の顔を見た。母は苦笑しながら「やればいいがね」と言う。母の許可を得た父が嬉しそうに御朱印帳を買いに行くと、母は私に言った。
「お父さん、あんたが御朱印集めるのを見ていて、前からやりたそうやったんやて。早く言えばいいのに、ねぇ」
 二人で笑う。父が買ったばかりの御朱印帳に御朱印をもらい、自慢げに戻ってきた。母が「もらえたかね?」と聞くと、「うん、もらえた」と嬉しさを隠すように素っ気なく父が答える。そこから父は私以上に巡拝の道という名の御朱印集めにハマっていくのである。
 
 父も一緒に始めてから、これまで以上に私と両親の3人で関西を回ることが多くなった。ほとんどが日帰りだったが、1日でかなりの数を回ることもあった。一番多い日で8箇所、少なくても2箇所。
 
 正直に言うと、当初は御朱印を集めることが優先になっていた。しかし、私が就職してから両親と3人で出かける機会も少なくなったなと思っていたところ、思わぬところからこの150寺社を巡る旅が始まった。それによって、また両親と3人で出かける機会が増えたことに気が付いた。
 
 普段だったら決して訪れることのない寺社にも行くことができ、母の笑顔を見て、父のマイペースっぷりに笑い、毎回珍道中だった。こんなに親子で楽しめる巡拝の道は、もしかしてものすごいアトラクションなのではないかと思うくらいだ。そして御朱印帳はそのひとつひとつに場所を訪れた時の思い出があり、まるでアルバム写真のようだ。今でも御朱印帳を見れば、どこで何があったか思い出すことができる。写真はもちろんある。けれど私にとっては御朱印帳を見る方がその時の会話や笑顔などを鮮明に思い出すことができるのだ。
 きっと昔の人たちも写真のなかった時代、御朱印帳を見ながら、「あの時はこうだったよね。楽しかったよね」と思い出話に花をさかせていたかもしれない。
 
 実はこの後、私は海外転勤となり、御朱印集めは80箇所目で一旦休止となった。
 しかし、その間に両親は時間を見つけてはちょくちょく関西に通い、150箇所の御朱印を集めきったのである。
 4年後、私が帰国した際に、自慢げに御朱印帳を見せながら「150箇所回ったぞ」と言った父、あのドヤ顔を私は忘れない。

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