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【エッセイ】さよなら、テーゲル空港

「あぁ、なくなっちゃうんだ…」
 パソコンの画面を見た時、思わず言葉が出た。それはドイツ・ベルリンのテーゲル空港が、ブランデンブルク空港が開港したことに伴い、2020年11月8日のエアフランス、パリ行きを最終便として閉鎖をしたというニュースだった。それは遠い異国のことであるにも関わらず、私は胸が締め付けられる思いがした。

 私がテーゲル空港を使ったのはたったの2回だけだ。しかし、良くも悪くもどの空港よりも圧倒的に思い出が多い場所だ。どちらも、毎年ベルリンで開催されるヨーロッパでも最大規模の国際観光旅行博に参加するために使用したのだが、その思い出はあまりにも印象的過ぎて忘れることの方が難しいくらいだ。

 1回目はフライトの行程自体が大変だった。今思うとなぜあんなに頑張れたのか不思議なくらいだ。その行程とは、往路がセントレア⇒デトロイト⇒ボストン⇒ニューヨーク⇒ベルリンだった(復路もほぼ似たようなものだった)。これは、アメリカでの商談会とベルリンの国際観光旅行博の日程が一部重なっており、時間的にアメリカから直接ドイツへ行く必要があったためだ。

 無謀な私は大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、これが大きな間違いだった。アメリカでは1日単位で商談会への参加と移動をしており、それだけでも相当体力を使っていたのに、ベルリン行きのフライトは早朝便、しかもニューヨークは大雪の日だった。かなり早めに空港に到着したが、早朝にも関わらず空港は多くの人でごった返していた。時間通り搭乗はしたものの、翼に積もった雪を人工の風で吹き飛ばす様子を機内で見ながら、無事に飛ぶだろうかとハラハラしていたのを覚えている。
 結局、飛行機は、30分以上遅れてベルリンに向けて出発をした。
「やっとベルリンに行ける」
 離陸した瞬間、私は思わず独り言を呟いていた。

 テーゲル空港に到着した時は朝だった。初めて降り立った時にはニューヨークの悪天候とは違い、青空の広がる穏やかな晴天だった。意外に小さい空港だと思ったと同時に、私はやっとベルリンに辿り着けたことに心の底からホッとしていた。タクシーでホテルへ向かう途中、朝の光の中で動き始めたベルリンの街を見ながら私は必死で睡魔と戦っていた。

 2回目は復路のフライトでとんでもないトラブルに見舞われた。ヘルシンキ経由で日本へ帰国する予定であったが、何とチェックインをしている最中に止められ、搭乗できないと言われたのだ。原因は荷物を運ぶコンベアーとシステムの故障だった。3分の2の乗客は搭乗できたものの、残りは搭乗不可。これまで何度もフライトを経験している中でも一番に挙げられるくらいひどいトラブルだった。結局2時間後に振替便が用意されたものの、当初の予定時刻の約7時間後、午後10時発のドーハ経由だった。空港職員には苦情を言ったものの、航空会社に言えの一点張りで相手にされず、当てもないため空港の外にも出られず、ただひたすら7時間耐えるしかなかった。私は日本にいる同僚に帰国が遅れるという連絡をし、わずかにあてがわれたミールクーポンで美味しくないランチを食べながら、この後の時間のつぶし方を考えていた。

 テーゲルはフランクフルトと違い、かなり小さい空港だった。1時間もあれば十分に回れる。様々なブティックに立ち寄り、土産物を物色するもすぐに飽きてしまった。私は入口近くの本屋へ向かい、読めそうなペーパーバックを1冊購入、2階のスターバックスで可能な限りひたすら読み続けたのだ。
搭乗時間までは耐え忍ぶ時間ではあったものの、そのペーパーバック(スティーブン・キングのペット・セメタリ―だった)のおかげで空港の様々なスタッフに好意的な声を掛けられ、ささやかながらも優しい気持ちになれた時間でもあった。ドイツ人はスティーブン・キングが好きな人が多いことが分かり親近感が湧いたのも、この空港で多くの時間を過ごせたおかげだ。

 1回目のフライトの復路で、ESTAの関係で空港職員と言い合いをしたこと。あまりにも狭い待合室に驚いたこと。2回目のフライトで空港に降り立った時に驚くような豪雨に見舞われたこと。その後空港を出た際に、輝くような夕焼けに包まれたこと。スターバックスでペーパーバックを読むのに疲れて転寝をしてしまった私を店員が追い出さずにいてくれたこと。ドーハ行きのフライトの搭乗口に向かう際にスティーブン・キング好きの空港職員たちが笑顔で手を振ってくれたこと。夜の上空から見たベルリンの街の光がきれいだったこと。どれも私の心に残っており、いつでも鮮明に思い出せる。

 今になって気づく。私はテーゲル空港が好きだったのだと。あんなに大変な思いをしたことでさえ愛おしく感じる。けれどこの先、もう二度とあの空港に行くことはできない。どのフライトもあの空港に降り立つことはないのだ。その事実が余計に私の心を揺さぶった。

 70年間、多くの人が行きかったあの場所で、私もその一部に関われたことが嬉しい。
 ありがとう、そして、さよなら、テーゲル空港。

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