父からの読書というプレゼント_写真

【エッセイ】父からの「読書」というプレゼント

私は俳優だ。と言っても、職業としてではなく、普段の生活の中で俳優になる時間があるということだ。例えば、ノンタンとブランコで遊んだり、ファルコンと一緒に空を飛んだり、アラゴルンとともに指輪を探す旅に出たり。私はさまざまな場所や時代に行くことができ、俳優として主人公を演じ、他の登場人物たちとともにいる。私にとって本は映画監督であり、読書は私を俳優にしてくれる特別な時間なのだ。

世の中には本好きの人がたくさんいる。本を好きな人の数だけ読書の楽しみ方がある。きっかけもそれぞれだろう。

私が本を楽しみ、好きになるきっかけを作ったのは紛れもなく父だ。私の父は無類の本好きで、古代日本史から宇宙科学まで、とにかくあらゆる分野の本を読む人だ。漫画も好きで、面白ければ何でも読む。また読むだけではなく、本を集めることも好きである。以前に、読みたい少女漫画があった時には、同じお店で全巻購入するのが恥ずかしいと言って、3軒ほど書店を回り揃えたらしい。ちなみに集める漫画は巻数が長いものが多く、その結果、両親宅には数万冊という漫画を含めた本がある。母親からは「いつか天井が抜けて本で圧死する」といつも言われているくらいだ。

そんな父親からもらうプレゼントはいつも本だった。幼い頃から高校生まで、誕生日やクリスマスプレゼントは常に本。ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」は今でも私の大好きな本だ。おもちゃはもらった記憶がない。ただいつも本のプレゼントが嬉しいわけではなかった。小学校の頃には、他の子がおもちゃなどをもらっているのを聞き、羨ましいと思った時もあったが、我が家では本からおもちゃに替わることは一度もなかった。また、私が幼稚園の頃は、寝る前にいつも父親が読み聞かせをするのが日課のひとつとなっていた。

父は私を自分と同じような本好きにしたかったのだろう。私が本好きになるのは必然だったとも言える。父の思惑通りに私は本が好きになり、また年を重ねるにつれて手に取る本の分野の幅も広がりつつあり、姪や甥に買ってあげるのは本だけとなってしまった。良くも悪くも父に似てきている。

しかし、私が父と違うのは読書の仕方である。父が常に冷静で何でも客観的に読むのに対し、私は主人公に感情移入をしながら、あたかも自分が主人公になったかのように読む。これは男性と女性の違いなのか、生きている年数の違いなのか、はたまた性格の違いなのか、よく分からない。
同じ物語を読んだとしても、父は第三者的な立場で分析をしながら読む。
反対に私はその話の中に「いる」のだ。私はこれを「脳内劇場」と名付けている。主人公としてあたかもそこにいるような感覚で物語が進んでいくのだ。面白いのは、小説などの物語だけではなく、ノンフィクションを読んでいたとしても、書いてある内容の情景が頭の中に浮かび、作者=自分の視点となってまるで自分が同じ行動をしていたような錯覚になることだ。

「脳内劇場」は、本を監督、主人公=自分として、まるで映画のように物語が始まる。
監督「はい、今日はこの台本ね」
私「わかりました。今日はどこの場面でしょうか」
監督「今日は恋人に冷たくされて、危機一髪が訪れる場面から。はい、アクション!」
といった具合に読み進めていく。

私「監督、この状況、かなり厳しいんですけど!」
監督「台本通りだから、そのまま読み進めて!」
私「監督、早く次の、次の展開を!」
監督「いや、まだ5ページくらい続くから我慢して」
辛い展開も主人公と同じ気持ちになりながら、今か今かと次の展開を待ちわびるのだ。

一見、どんな読書の仕方かと思われるが、自分ではこの読書の仕方を気に入っている。
なぜなら普段の生活の中で本の内容と同じことはほとんど起きないし、大冒険をすることもない。それなりに楽しい毎日だが、時々、中世ヨーロッパへ行ったり、エルフの国で大暴れしたり、素敵な人と一緒に時間を過ごしてみたい。残業して疲れた時、上司に叱られ凹んだ時、恋人とうまくいかない時、どんな時でも本を開けば自分が行きたい世界に連れて行ってくれる。これまで辛かった時に何度も助けてくれたのも本だった。本を読まなかったら、私の人生は一体どうなっていたのだろう。

私にとって生活の一部でも読書というプレゼントをしてくれた父が、私がライティング・ゼミを受ける際に紹介してくれたのは、丸谷才一の「文章読本」(中公文庫)だ。40年近く前に父が買い、今は紙も変色して、くたびれた感じの装いであるが、文章を書きたいと思った私が手に取るまでずっと本棚でその出番を待っていてくれた。こうした本との出会いはいつでも何度でも心が熱くなる。
父がくれた読書というプレゼントは、ただ本を読む行為だけではなく、私の人生に多大なる影響を与え続けている。

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