【エッセイ】君を最初に見た時
今だから言うけどさ、君を最初に見た時、正直「ダサッ」って思ったんだよね。
父さんと一緒にドイツと韓国に行った君はその後、実家の2階の物置の奥にいたね。僕が二十歳の時、大学の春休みにドイツへ1ヶ月間行くことを知った父さんが、突然君を引っ張り出してきた。
「見た目よりも頑丈だから、ドイツの石畳でも大丈夫だぞ」
高さ60cm、幅35cm、奥行き20cmのそれ程大きくない君は、紺色の布地に母さんが作った苗字のアップリケをつけて、父さんの横で静かに立っていた。
「1ヶ月も行くんだよ。さすがに小さくない?」
「洗濯とかするんだったら大丈夫だろ。それに色々動くんだったら、これくらいの大きさの方が便利だぞ」
親の言うことには逆らえず、僕は初めての海外へ君とともに行くことになった。行く先は、ドイツの南、ミュンヘンの近くにあるプーリーンという小さな町だ。そこで3週間ドイツ語の授業を受けるのだ。その後、1週間はドイツ国内を自由に旅行する。もともとドイツが好きで、大学の第一外国語もドイツ語だったことから、最初に行く国は絶対ドイツと決めていた。僕は授業の合間にひたすらバイトをして旅費を貯めた。君に入るだけの衣類と必要最低限の日用品を詰めた。今でも割と荷物が少ないのは、君といる中で必要なものとそうでないものを分けることができるようになったからだろうね。
実際にドイツに行ってみると、見るもの聞くものすべてが新鮮で、こんな世界があったのかと刺激を受けたのを覚えている。
2回目のドイツでは帰国便を待っている最中に、ユーゴスラビアの空爆が始まったニュースを見た。フランクフルト空港の2本のうち1本の滑走路をNATOが使うというアナウンスが流れ、不穏な雰囲気の中、君を抱えながら戦争の怖さを初めて知った。
就職をしてからしばらくは海外から遠ざかっていた。あまり長い休みも取れなかったし、忙しくて海外に行くことすら考えてなかった。ある時、少し長めの夏休みを取れる機会があり、思い切ってアメリカへ行った。身体的にも精神的にも少し病み上がりだったけど、久しぶりの海外、しかも初めてのアメリカに興奮した。もちろん君も一緒だ。
「あんたがアメリカから帰って来た時、行く前より顔が生き生きしてたから、海外が合っとるって思ったわ」
帰国した僕を見て母さんは言った。自分でもそれは感じていた。自分の知らない世界を知ることが面白かったし、色々な人たちとコミュニケーションをとるのが楽しかった。『海外と縁がある』ということをこの頃から感じていたのかもしれない。
それから数年後、転勤でフランスへ行くこととなった。その時も迷わず君を連れていくと決めた。あとは君の倍くらいあるバックパックだけ。渡仏前日の夕方、空港に向かうため職場を出ようした際、声を掛けられた。
「えっ、荷物それだけ?」
これから2年も海外に滞在するのに(実際には4年もいたが)、あまりにも少ない荷物で同僚たちに驚かれたのだ。洋服は向こうで買えばいいし、パリなら都会だから色々揃っているだろう。そう思って本当に必要なものだけにした結果なのだが、どうもみんなと感覚が違ったらしい。
君は僕にとっては十分すぎるほどの荷物を持ってくれ、僕たちは無事にパリのシャルルドゴール空港に着いた。まさか君とフランスまで行くなんて。一番最初にドイツに行った時には、将来パリに住むなんて想像すらしなかったのに。パリに着いた日に初めて見たエッフェル塔、キラキラしてとてもきれいだったね。
ある時、君と僕が行った国を数えてみた。ドイツ、アメリカ、台湾、フランス、ベルギー、オランダ、アイルランド、イギリス、スペイン、ポルトガル、スウェーデン、フィンランド、ルクセンブルク、ポーランド、イタリア…思っていたよりもたくさんの国に行ったね。フランス国内も一緒にいろんなところを訪れた。
父さんが言ってたように、君は本当に頑丈で、ヨーロッパの長い石畳でも、北欧の雪道でも全然へっちゃらだった。海外の飛行機では、荷物は放り投げられることも多かった。そんなひどい扱いを受けても君はびくともせず、荷物エリアでいつも静かに僕を待っていてくれた。でもチャックのつまみの金具はいつの間にか2つともどこかいってしまい、今もないままだけどね。
コロナになり、海外出張も旅行も行けなくなり、君は僕のアパートの部屋のクローゼットで休んでいる。時々東京出張の際に連れていくけど、以前ほど出番がないよね。でもまた前のように君と海外に行けると信じている。
今だから言うけどさ、君を最初に見た時、正直「ダサッ」って思ったんだ。でもなぜかこの先ずっと君と一緒に旅をしていくんだなってなんとなく分かったんだよね。それは今も間違ってなかったと思っている。相変わらず君はダサいけど、僕が旅行するときのパートナーは君しかいないから。
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