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たいがの短編小説-Vol.1

短編 あおぞらのイギリスでタタミに座って

毎日雨が降るって、もっと鬱陶しいものだと思っていたし、フィッシュ&チップスはもっと不味いものだと思っていた。サウサンプトン大学に来て3ヶ月が経ったけれど、イギリスの生活にもすっかり慣れた。この街のフットボールクラブには、かつて日本人選手も所属していたようだけれど、あかりはサッカーにもスポーツにもあまり興味がない。隣町のチームには、最近イケメンと騒がれている日本代表の選手がいるらしく、あかりも友達に旅行に誘われたけれど、その日はあいにく別の友達との予定が入っていたので断った。あいにくというか、ちょうど良くと言ってもいいかもしれない。学校で仲良くなった友達と出かけるのは楽しいけれど、どうせ日帰りで行くならロンドンの方が好みだ。ショッピングをして、テムズ川のほとりで写真でも撮って、なんか美味しいものを食べる休日の方が充実した時間になるだろう。

本音を言うと、慣れてきたを通り越して、驚きがなくなってきてしまった。初めての海外留学。2個上のお姉ちゃんがニュージーランドに留学に行ったのは、2年前の夏だった。お姉ちゃんは6週間の羊との生活を経て、あかりにも留学を激推ししてきた。「あかりも大学生になったら、日本から飛び出してみな!絶対に楽しいから!!」と意気揚々にニコニコ笑顔で言われて、絶対とはずいぶん大きく出たものだと思った。そんなに言い切るなら、私も行ってやろうじゃないか、と思ったわけではないが、お姉ちゃんの言う通りになってしまった。こんなところで張り合う必要はないのだが、少しばかりの悔しさもある。

高校時代はコロナの影響で、様々なイベントが中止になった。あかりは自分ではそれなりに楽しい高校生活を送ったと思っているが、周りの大人達は口を揃えて「残念だったね」「かわいそうに」と言った。高校生の時はそうなのかな、と思う程度だったけれど、今にして思えばそう言われることのほうが複雑だなと感じる。そんな言い方をされる必要はあるのだろうか。コロナが無くたってつまらなかったかもしれないし、コロナがあったけれど楽しいJKを過ごした人だっているはずだ。あかりは、可もなく不可もなく。ぼちぼち楽しい高校生活を終了し、進級や卒業に危機を感じることも一切なく、平凡な時間軸に乗っかって大学生になった。ようやくここまで来て初めて、せっかくだから後悔のないようにと思い、半年間の渡英を決めた。お姉ちゃんと違う国で、お姉ちゃんより長い期間の海外留学がいいなと思ったので、半年間の休学での留学を決断した。私達は仲の良い姉妹だが、一方通行の負けず嫌いをお姉ちゃんに対して抱いているあかりは、少しだけ鼻が高い。

最初の2ヶ月は全てが新鮮だったが、そのふわふわ浮足立つ時期も通り過ぎてしまった。たまに寝坊しそうになるが学校にも休まず行っている。大学で同じクラスを取っている菜帆とは、すっかり親友になった。福岡出身の彼女は、最近アイルランド出身の彼氏ができて楽しそうにしている。菜帆の彼氏も含めて、放課後に3人でタピオカを飲んだあと、解散したのはつい30分前の16時45分。今日はルームメートと一緒にご飯を作る約束があるので、普段より少し早めに解散した。何を作るかはよくわかっていないが、台湾から来てイギリス生活5年目のルームメイトが段取りをしてくれるらしいので、困ったことにはならなそう。まあ家に帰ってから確認するとしよう。

2階建てのバスの前から2列目の左側の席に座りながら、あかりは考えていた。今日だって、昼間の菜帆とその彼氏の3人での時間も、このあとのご飯の時間も、楽しい時間であることは言うまでもない。でも、何かが思ったとおりにしっくりこないのだ。落ち着きすぎている、とでも言うべきか。基本に忠実、波風を立てないのがあかりの性格なのだが、日本との時差8時間のイギリスにはなにか違うものを求めてやってきた。発見とか、冒険とか、感動とか、そういう言葉にするとちょっと恥ずかしいような非日常を求めていたのに、いつのまにか日常に周りを囲まれていた。外国人の彼氏を求めているわけではないし、ハリー・ポッターに会いたいわけではない。キングス・クロス駅は実在するし、”9と4分の3番線”で写真を撮れることも知っているが、自分がほうきに乗れないことも、魔法の杖が存在しないことも既にわかっている。サンタクロースが入りやすそうな煙突がついた家はサウサンプトンの至るところにあるが、トナカイに引っ張られて空を飛ぶサンタクロースがこの世に実在しないことが明白なのだ。だから、思っていたよりおもしろくない。それが、表面に現れない形で内出血を起こし、じわじわ心を蝕む感覚に落とされているのだ。今日はこんなにも青空なのに、なんだか気持ちがイギリスらしさ全快の曇り空でおもしろくない。

降りるバス停で、乗り過ごすこと無くちゃんと降りる。ここからあと15分歩けば家に着く。歩きだしてから数分のところでスマホが振動を発した。What's Appを開くと、ルームメイトからテキストだった。Soy Sauceが切れたから買ってきてもらえないかということだったので、「Don't worry, I'll pick it up on the way home😉」と返しておいた。十字路で90度方向転換したあかりは、Tescoに向けて歩き出した。イギリスのスーパーマーケット、いつも使うWaitroseに行くよりも、ここからだと少し近いはずだ。

3ヶ月で土地勘も付き、Google Mapを見なくても街のどこに何があるかはわかるまでになった。だが、言われてみればこの道は今まで通ったことがなかった。そして、とあるお店があかりの両目を捉えた。入口には、国旗ともうひとつ違うデザインの旗がはためいている。チャリティーショップだ。

急いでいたわけではないので、あかりは足を止めた。なんとなく、理由はなかったが気になった。中に入ると、古着や置物、壁にかけられそうなアート作品や、古いレコードがたくさんあった。入口に一番近い空間が、一番大きいようだったが、その奥の部屋にはいかにも古くてかっこいい本がたくさん並んでいた。そしてその奥の部屋まで歩みを進めた。古いカバンや、1弦が張られていないアコースティックギターが置いてあった。その、いちばん奥の隅に、それはあった。そのアンティークなお店に似つかわしくないほど、きれいな状態が保たれた畳が3畳おいてあった。透明なフィルムがかけられ、床に並んでいる3畳の畳は、日本の落ち着いた和室の情景ををあかりの脳内に直接たたきこんできた。

入口横のカウンターまで戻り、見るからにジェントルマンな60歳くらいのイギリスおじいちゃんに声をかけた。「Hi-ya, would you mind telling me how much that Tatami sheet is?」「OK, just give me a second」あかりはおじいちゃんの優しそうな声と笑顔に、安堵した。おじいちゃんは、他のお客さんがしばらくレジにこないであろう様子を確認した後、こちらに来てくれた。

日本から遠く離れたイギリスにあるこの畳は、日本からはるばる船でやってきたのだろうか?それとも、イギリスに住む日本人がこの土地で作ったのだろうか?もしくはひょっとして、イギリス人が日本の文化の畳を気に入って、工場を設計し、そこで作ったのだろうか?いずれにしても、すごいことだと思った。明らかに、このチャリティーショップに馴染んでいないにも関わらず、日本色の畳はあかりの心に温かな陽を灯した。

ほんわかしたあかりの表情を見たイギリスおじいちゃんが、声をかけてくれた。「You can try to have a seat on it, go for it!」と言いながらフィルムを剥がし始めた。断ろうか迷ったのは一瞬、おじいちゃんが既に一枚剥がし終えたのを見て、素直に感謝をすることにした。「That would be great, thank you!」

靴を脱いで、靴下になった。そのまま上に乗って座ってみると、想像通り、いや想像以上に落ち着いた。膝を抱えながら座り、目を瞑った。畳ってこんなにすばらしいものだったのかと、身に染みた。ああ、日本の生活って、こんな感じだったな。両目を開いた。フロアに座っているのに、嫌味がなく、ちゃんと保護されている感覚。それに加えて、子供時代を思い出す目線、ここからの視界。さっき立っていたときには気が付かなかった西陽が、窓の外から斜めに入ってくることに気がついた。直接見ようとするとちょっと眩しいので、視線を外す。ふと、思い出した。「あれ、そういえば今日は一日ずっと雨が降っていないや」久しぶりに独り言の日本語がこぼれた、と認識した。英語の世界で生きることに慣れてきた、そんな自分が少しだけ誇らしかった。オレンジ色に染まりつつあるが、やっぱり今日は青空だ。

畳とイギリスおじいちゃんに再度感謝を述べて、あかりはSoy Sauceを買うための旅路に戻った。靴を一旦脱いだからかもしれないが、なんだか足が少し軽くなったような気がした。その日の夕飯、ルームメイトと何を作ったかは覚えていないが、冷凍のフィッシュ&チップスをオーブンで解凍して食べたことだけは覚えている。冷凍のくせになぜか美味しい。半年のイギリス留学生活が、折り返し地点に差し掛かった。カバンの肩紐から飛び出た羊のキーホルダーをきらりと反射させながら、今日の夕日がイギリス海峡に沈んだ。あかりは明日も英語を話す。

今日の英語

What's App:テキストメッセージのアプリ。日本の”LINE”のようなもの。
Soy Sauce:醤油
Don't worry, I'll pick it up on the way home:心配しないで、帰り道に買って帰るよ。
Hi-ya, would you mind telling me how much that Tatami sheet is?:こんにちは、その畳の値段を教えてくれますか?
OK, just give me a second:オッケー、ちょっと待ってね。
You can try to have a seat on it, go for it!:試しに座ってみな、さあどうぞ。
That would be great, thank you!:それは良いですね、ありがとう。

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